オイラは、ボイラ 寒がりボイラ

6月から9月まで迄の4か月間は、失業状態ですが、冬期間はボイラーマンとして出身高校を暖めています。

浦嶋製作所に就職決まる。 新寮生活に興奮する美也・・・

2017年03月02日 19時51分14秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 今日は3月10日、3日前の夜に北海道苫小牧港を出た美也は、今日午後から鉄工所で就職面接を受ける。
朝8時に起床して、ホテルで朝食をとりJR葛西臨海公園から一駅の舞浜迄行き、しばらく東京ディズニーランド
を外から眺めていた。大観覧車がゆっくり回っている。2時間程ぶらぶらした後昼食を軽く済ませ、そこからタクシーで
7分、旧江戸川に面した土手に大きな建物が3つ並んでいた。ここが浦嶋製作所だ。美也は約束の14:00より40分早い
13:20頃に事務所に着いた。応接室に通され少しすると、60才過ぎの社長らしき人と40歳前ぐらいの若い男性社員
の二人が応接室に入ってきた。「北海道から一人で来たんだね。中々度胸があるね。」と年配の男性が切り出した。
「私は、社長の相川茂と言います。」と名詞を渡してきた。もう一人の男性は、総務係長の伊藤豊と名乗った。
「北石美也です。よろしくお願いします。」と答えると社長は笑みを見せ、うなずいていた。「金属の工作が好きらしいね。」
と総務係長が聞いてきた。ハローワークからの紹介状に書いてあったのだろ。と美也は思った。「はい、技術系が得意です。」
と話すと社長が、「総務の伊藤君が君の面倒を見てくれるから、何でも解らない事を聞いたらいいよ。」と言ってくれた。
採用が決まったのだと、美也は喜んだ。総務係長の伊藤さんが聞いてきた。「今までにアルバイトした経験はありますか。」
美也は高校3年間夏休みに、地元の土木建設会社でバイトした内容を話した。相川社長は「来週の月曜日(15日)から
仕事をしてもらいますが、いいですか。今月一杯は、見習い期間として日給7000円で残業が2時間程付くので8800円
ぐらい支給します。」美也は、「はい。」とうなずき、笑みを浮かべた。北海道の土木会社でのバイトは、日給6500円
だったからすごくうれしかった。伊藤係長が続けて話し始めた。「4月からは、本採用で月給18万5千円を支給します。
日曜日と第2、第4土曜日が休日になります。残業がある日があり、3時間以内なので遅くても20時には終業します。
月に20~30時間になります。大丈夫ですか?」美也は少し不安そうな表情を浮かべ、「はい、大丈夫です。」と言った。
更に伊藤係長は、話し続けた。「残業手当は2~3万円で、他手当てを含めて21万円、社会保険、所得税など3万円引いて、
18万円です。それから寮費2万5千円と財形積み立て5千円を引くと手元に15万円ぐらいは残るかな。」「長期休暇は、
5月のゴールデンウイークに5日間とお盆休みが3日間、年末年始は4日間の休みがあります。ボーナスは、昨年実績で、
年2回、合わせて2.5カ月分を6月と12月に支給します。」「他に質問はありますか。」美也は、「いいえ、ありません。」
と答えた。初めての会社勤めなので仕組みが解らなかったのだ。「一ヶ月に15万円は、使えるんだ。」とだけ考え、うれしかった。

15:00前に面接が終わり、伊藤係長が工場の中を案内してくれた。大きな工作機械が「キィー、キィー」と音をたてていた。
作業をする人が、ヘルメットをかぶり、一生懸命に機械を操作している。白いマスクを掛けている人もいた。
「力仕事は殆どないよ。機械の操作がメインだから。」「ただ、体は汚れるけどね。」と説明してくれた。確かに作業服が
油の様なもので黒ずんでいた。美也は、「15万円貰う為だから仕方ないかな。」と頭で考えていた。金属部品は、自動車の
エンジンに使われるそうだ。ここの工場から出荷された金属部品は、別の会社で更に手を加えられてから、三菱、マツダの
自動車組立工場で、エンジンの一部として使われるとの説明を受けた。「下請けの孫会社の様な存在かな?」美也は考えてみた。

必要書類の書き方を教わり、信用金庫で給与振込み口座を作るように言われた。東京シティ信用金庫浦安支店と書いてあった。
美也は、郵便局の通帳しか持っていなかった。北海道の田舎で、アルバイトのお金を貯金する為に、始めて口座を作ったのだ。
 
16時過ぎに、伊藤係長が工場から歩いて会社の寮に案内してくれた。東京ディズニーランドの方向に歩いて10分のところにあった。
美也は、さっきより近くなったディズニーランドの観覧車を見て心がときめいた。それを見ていたのか、係長が「ディズニーランド
に行ったことはあるの。」と聞いてきた。「高校2年生の修学旅行で来ました。」と答えると、ニコッと微笑んでくれた。
寮はかなり古そうな建物で、2階建ての木造アパートのような感じであった。30年前から単身者用の寮として使っているとの事だ。
現在は、13名が利用しているとの事、あと二つ空いている部屋の一つの106号室に案内された。殺風景な畳の4畳半であったが、
布団と小さなテレビだけは、置いてあった。「明日、明後日で日用品や洗面道具などを揃えたらいいよ。」と伊藤係長が言ってくれた。
一階の中央に10席程の食堂があり、ここで朝ごはんを食べる様だ。昼食は寮母さんが弁当を作ってくれるので工場の休憩室で
昼食を食べることになる。風呂は湯船が大きく、一度に5人は浸かれる大きさであった。23時までに入るように言われた。
朝早くに寮母さんが来て、朝食と弁当を作り、その後、トイレ掃除をして風呂に水を張り、午前中に帰るそうだ。
 
美也は初めての都会での一人暮らしに興奮をしていた。北海道では鍵っ子であり、母は水産加工場の残業で夜遅く帰って来ていた。
美也は夕食を自分で作って食べていた。ここ浦安での夕食は、寮の近くに食堂やレストランがたくさんあり、仕事帰りのサラリーマン
用の定食や晩酌セットが500円~700円で用意されている。浦嶋製作所の従業員も皆ここ辺りで、夕食を食べている様だ。
ちなみに、日曜日は寮母さんが休みで、食事は自前である。コンビニも歩いて2分のところにあり、便利そうだ。
明日から4日間はのんびり出来るが、その間で準備できるものは買っておかなければ、仕事が始まる15日からは忙しくなる。
工場は朝8時からスタートだから朝食を済ませ、7:40分にはここを出なくてはならない。「6時半起きかぁ~」美也はつぶやいた。
今晩は、東京の深夜放送テレビを見てから寝ようと考えていた。












北の旅人は浦安で自立する。

2017年03月02日 09時33分16秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 北石美也は現在18歳、5月の誕生日で19歳になる。
ハローワークプラザ柏の女性担当者を信じて、ここで職を探そうと思い始めた。やはり、東京都心での生活がしたいところだが、高卒18歳で、寮に住み込みとなると都心から離れたところに会社が存在する。女性担当者は、千葉県内に良い職がたくさんあると言っている。「何か資格はお持ちですか?」女性担当者が聞いてきた。美也は張り切って答えた。「英検3級と普通自動車一種免許があります。」 首都圏に住む人には、運転免許を持っていない人が多い。交通網が、たくさん整備されていて、目的地に行く手段が2~3通りもある事が当たり前になっている。美也は簡単な英会話が少しだけ出来る。と言っても極少しだけである。「職種はどのようなものが希望ですか。」「収入はどれくらいあればいいですか。」色々聞いてきたが、美也は戸惑った。漠然としか考えていなかったので、何と言っていいか迷った。
「住み込みの工場で、20万ぐらいの給料があればいいです。」女性担当者は、「工場と言っても、飲料水、食品、電気、自動車部品、鉄鋼、石油精製など複数の工場が存在しますよ。」美也は、困った。テレビで見た鉄鋼工場が普通の工場として考えていたから、そんなにたくさんの製造工場があることに驚いた。
「僕は、金属で物を組み立てる仕事が好きです。」と女性担当者に話した。美也は、中学時代に技術が得意で、糸鋸を使って木材加工で本棚やうさぎ小屋を造り、賞を取ったことがある。女性担当者のはうなずき、パソコンで検索し、5社の求人票を用意してくれた。江戸川、市川、川崎などの工場である。その中で美也の目を引いたのが、浦安にある自動車部品を造る鉄工所であった。従業員は80名で資本金3000万円の中規模な工場だった。独身寮があり朝飯と昼飯がついて寮費は2万5千円、4畳半の個室で風呂トイレ共同、光熱費込みと書いてあった。肝心の給料は、正社員扱いで18万円~25万円となっていた。美也が目をつけた大きな理由は、鉄工所の所在地が、東京ディズニーランドの直ぐそばであることだった。ここなら歩いても30分もかからないと思った。美也は、ディズニーランドが好きで将来、彼女とデートするのはディズニーランドと決めていたのだ。女性担当者に、ここの会社の情報をもう少し詳しく聞いてみた。
自動車のエンジン部品を製造する会社で、基本給は18万5千円だが、残業が月に20時間~40時間あるらしく、夕食は、遅くなるので自前で摂ることになる様だ。なんと言っても、「この場所なら片道240円で、東京まで30分以内で行けますよ。」と女性担当者が言った言葉に引かれた。美也は決意した。「ここの会社の面接を受けたいのですが、どうすればいいでしょうか。」「分りました、ハローワークから連絡を取ります。その後の面接になりますね。」
美也はこんなに早く、仕事を見つける事が出来て、浮き足立った。株式会社浦嶋製作所は旧江戸川に面した、東京メトロ浦安駅から徒歩35分のところにあった。ハローワークの女性担当者が手配してくれて、翌日の14時に会社で面接をすることになった。今日は、これからJR常磐線で上野へ行き、東京見物をした後に東京駅から京葉線で葛西臨海公園駅近くのホテルに宿泊するにした。ホテルは、浦嶋製作所がとってくれた。美也は、柏から上野までの常磐線快速電車に乗る事になったが、16両編成の長い列車を初めて見てビックリした。先頭車両がものすごいスピードでホームに滑り込み、止まらないんじゃないかと思った。どんどん列車は過ぎ去り、16両目がやっと美也の前で停止した。北海道では電車は、せいぜい4~6両編成なのだ。上野、東京見物をした後、葛西臨海公園駅に降り立った美也は、潮の匂いを胸いっぱい吸い込み、東京湾の大きさをしみじみと感じていた。北海道の田舎漁師町の潮風とはまったく別な海風を浴びて、これから浦安での自立生活が始まろうとしていた。


北の旅人は、東京で何を求める。

2017年02月28日 07時20分15秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
北石美也は、北海道の日本海に面した田舎町に生まれた。父は出稼ぎ労働者、母は、水産加工場で働いていた。
美也は鍵っ子であり、学校から帰ると自分でおやつを作り、夕食も自分で用意して食べていた。
母が残業で、夜9時ごろまで帰らぬ日が度々あったから空腹を我慢できなかった。
美也の母は、袋のインスタントラーメンを箱買いし、美也に預けていた。
地元の高校に入学し、3年間を終えた美也は、自分の進路について漠然としか考えていなかった。
憧れの職業とか、父の仕事についても興味がなかったので、とりあえずこの田舎から都会に出ようと
考えたのだ。ほかの同級生は、札幌に就職するものが殆どであった。しかし、美也はどうせなら
高校の修学旅行で行った東京に行こうと決めていた。田舎の静かな環境とは別世界の人混みの中で生活する
ことに憧れを感じていた。卒業して直ぐの3月7日に北海道の田舎町を旅立った。
まったく宛のない職探しをあえて選んだのは、下積みから始めて、成り上がってやろうと考えたからだ。
とりあえず職業安定所に行けば、職は見つかると思い、東京に着いたらまず始めに職安に行こうと考えていた。

千葉の柏市で一泊した美也は、次の日の朝8時に目覚めた。前夜は、フェリーの2等寝台で大揺れの中、
中々眠ることが出来ず、その分昨日は、早い時間から熟睡した。ホテルの朝食バイキングを食べてから、荷物を
まとめて駅を目指した。東京を目指す為に柏駅に向かった。ハローワークプラザ柏の案内看板を目にして、足が止まった。駅の西口から東口に抜けるとビックカメラの大きなビルがあった。直ぐ左にはそごうデパートがあり、大都会の
風格が揃っていた。そごうの直ぐ横のビルの3階にハローワークプラザ柏があった。
どのような仕事があるか、ちょっとだけ寄り道していこうと思ったのだ。夕方までに東京に行って、東京見物を
した後、ホテルでゆっくりしてから、明日仕事探しをしようと考えていたから心に余裕があった。
職安で、職業斡旋担当の人に話しかけてみた。30代のメガネをかけた細身の美しい女性が窓口に座っていた。
「住み込みの寮で、どこか良い仕事はないでしょうか。」と漠然とたずねると「職種は、どのような物を希望ですか。」とやさしく、尋ねられ、美也は言葉が出なかった。とりあえず、何かの工場でコツコツと働きお金を貯めようと考えていた。
「どこかの工場で給料が良い所ないですか。」と切り出した。「場所は、どこが希望ですか。」と聞かれ「東京」と答えるとくすっと笑顔を見せた。窓口の女性は「どちらから来られたのですか。」と美也の大きな荷物を見て微笑んでいた。「北海道から来ました。」と答えた美也に目を細めて「ご苦労様です。千葉は工場が多いので東京まで行かなくても、色々な仕事がありますよ。土地が広くて、住みやすい町です。房総半島の方は暖流の影響で冬でも暖かいですよ。」と紹介された。「東京まで、電車で1時間以内のところにも工場はたくさんありますよ。」とやさしく話されているうちに、美也は、この人の言うことを信じて、千葉の工場で働いてみようと決心した。




北の旅人は、オアシスを求める。

2017年02月27日 20時11分17秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 北海道南西部の漁師町で18年間学び、他で暮らしたことのない少年が一人旅立つ。
行き先は、苫小牧港からフェリーで18時間、茨城県大洗港だ。たった一人での旅行目的は、
首都圏での就職である。3月始め、北海道はまだ雪深く、外仕事がない季節だが、東京なら
仕事がたくさんあるだろう。少年は、大都会に自分のオアシスを求め、19:30出航のフェリーきたかみで、
苫小牧を後にした。3月の太平洋は低気圧の影響で、強い風と高波でフェリーの行く手を阻んだ。船は縦ゆれ、
横揺れを繰り返し、1時間半遅れで15:30に大洗港に接岸した。青白い顔をした少年は、重いスーツケースを引き、
リュックを肩にかけ、桟橋を歩いて大洗フェリーターミナルに降りた。昨夜、乗船前に食べた味噌ラーメンの後は、
何も食べていない。激しい揺れで、食べられる状況にはなかったのだ。この後は、バスでJR水戸駅まで行き、
そこから、常磐線各駅停車、上野行きで千葉県の柏駅まで行き、宿を探そうとしていた。目的地は、東京の上野なのだが、
昨日からの疲れが残り、早く横になって眠りたかった。水戸から柏までは各駅停車で、一時間半ほどで到着した。
まもなく18:00になるところであった。柏駅西口を出て、直ぐにビジネスホテルを見つけてそこに泊まることにした。
おなかが、グーと鳴り、昨日から24時間食事をしていなかった事に気づいた。本州での初めての食事を、何にしようか悩んだ末、
ホワイト餃子にした。北海道では、みよしの餃子が有名だが、千葉ではホワイト餃子が有名なのだ。以前、修学旅行で食べたことが、
あったので、少年は美味しいことを知っていた。餃子定食とコーラを注文し、10分でたいらげた。この後ホテルに戻り、
シャワーを浴び、深い眠りについた。今年3月1日に北海道の公立高校を卒業した、この少年の名前は、北石美也(キタイシ ヨシヤ)と言う。