31歳サラリーマンの ホジキンリンパ腫闘病記

悪性リンパ腫ホジキン病の発病から完治までの記録

★私の病状と治療メニュー★

【病名:ホジキンリンパ腫 / 発生部位:胸部従隔および肺門リンパ節(鎖骨リンパ節への転移あり) / 進行の程度:ステージⅡ / 治療メニュー:抗がん剤(ABVD)治療2クール+放射線照射】  【2011年3月8日ひとまず寛解】  【2011年11月2日 ホジキンリンパ腫再発と診断。 /発生部位:脾臓(ひぞう)横のリンパ節と脾臓の一部 / 進行の程度:ステージⅢ / 治療メニュー:抗がん剤(ABVD→CHASE→大量LEAD)+自己幹細胞移植】 【2012年6月再発治療終了】

【再発】自宅 /1回目投与から7日

2011年11月11日 16時32分02秒 | 闘病記
最初の投与から、丁度1週間が経過しました。

昨日くらいから、抗がん剤の影響による左腕の血管痛が
徐々に強くなっていて、昨晩は痛みでなかなか寝付けませんでした。

前の治療の際に 初回の抗がん剤を投与した時よりも結構キツく痛む。
血管に関しては、前のダメージがまだ残っていたみたいです。


でもそれ以外は、順調な回復。
食欲も戻り、吐き気もふらつきもすっかり良くなりました。

なので、ここらで初回投与時の経過を詳しく振り返っておきます。
(思い出すと気持ち悪かったのです)


◆投与日:11/4◆

朝10時から左腕に点滴をつなぐ。
この点滴は、水分補給の為の点滴で、朝から夜10時までつなぎっぱなし。

この時点では、特に吐き気は無し。

午後2時から4種類の抗がん剤を投与。
抗がん剤は、先ほどの点滴のラインに割り込ませるような形で投与を行う。

「ABVD療法」の抗がん剤は、Dの『ダカルバジン』という薬が
投与時に激しい血管の痛みを伴う。

今回は初回だった為、我慢できない程の痛みではなかった。
でも、回数を重ねるごとに痛みが増していくので 今後の投与は覚悟が要ります…


1時間半ほどで全ての抗がん剤投与が終了。

気持ち悪さは既にあったけど、吐くほどではない。
食事もそれなりに取れたし、水も飲めた。

夜8時前からだんだんと吐き気が悪化。

早めに、吐き気止めの注射を入れたがほとんど効果がなく
1時間ほど耐えたけど 結局吐いてしまった。

そこからは ずーっと吐く寸前の状態。
少し体を動かすだけで吐きそうだったので、当然寝返りもうてず
声を出して会話する事さえできなかった。

寝るまでに数回リバースして、初日はなんとか就寝。


◆投与から1日~3日:11/5・11/6・11/7◆

朝起きて1時間くらいは、口をすすぐ程度の余力あり。

しかし、そこから夜寝るまで、ただひたすら込み上げる吐き気と
ひどい体のだるさに襲われていた。

当然食欲は全くなし。
きちんと時間通りに食事が運ばれて来る事が、辛くてたまらなかった。

毎回『少しでも食べなきゃ…!』と食事とにらめっこして
全く手をつけられずに、食事は片づけられた。

水分も取る気にならない…というか体が受け付けない。

『飲むぞ!』と気合い入れて、果汁100%のジュースを
手に取るが、ストローで2口くらいしか飲めない。 どうしても飲めない。


でも、あまりにも自分で栄養摂取できないと 点滴を入れられてしまう。

それだけは絶っっ対に避けたかったので、1日目の夜以降は
食事の時間の度に小さなロールパンを1つ手に取って
指でちぎりながら1時間くらいかけて口に押し込んでいた。


◆投与から4日:11/8◆

ようやく吐き気はひと段落。
まだ匂いに反応して吐くことはあったけど、常に吐きそうな状態は越えた。

体のだるさと食欲はまだ回復していなかったけど、この頃から
香りの良い甘い紅茶とかは飲めるようになった。

時間が経つにつれてだんだんと回復していき
夜にはシャワーを浴びることができた。


…長々と書きましたが、こんな経過でした。


いや~  やられました。

正直、蓄えていた気合いはもうカラッポ。

今週1週間でまた気合いを溜め直します。




治療を重ねるごとに、思い出すと気分が悪くなる症状が強くなっていくので
今後の治療では、多分詳しい経過は書けないと思います。

今後は、今回を基準に状況の良し悪しを書いていきますね。