
(牛込橋)
牛込(飯田橋)から赤坂(赤坂見附)
へ続く江戸城外堀は、1636年(寛永
13年)に仙台藩伊達家をはじめとする
東国52家の大名により開削されました。
自然の台地に深さ15m、幅100mに
もなる人工の谷をつくる巨大工事でした。
外堀普請は、約30年にわたる江戸城建
設を締めくくる大規模なもので、外堀予
定地やその周辺の多くの寺院や町屋が移
転しました。
飯田橋
JR飯田橋駅西口を出て左に行くと交
番があり、その背後に巨大な石垣の石組
みがあります。

(牛込見附跡)
「牛込見附」の跡です。
牛込見附は江戸城内郭の田安門から始ま
る上州道(いまの川越街道)が通る道で、
重要視されていました。
牛込見附から先は外堀に沿って土手があ
り、春には桜の名所となります。
土手は城外から城内の人の動きが見えな
いようにすると共に、防火帯の役割も果
たしました。

(市ヶ谷橋)
牛込見附の次の門は市ヶ谷見附です。
桝形門がありましたが、跡形もありませ
ん。

(江戸城の石垣)
メトロ南北線市ヶ谷駅構内に、「江戸歴
史散歩コーナー」があり、発掘された石
垣が移築再現されています。
石垣は九段下そばの雉子橋(きじばし)
付近から移したものです。

市ヶ谷門の外には尾張家の大きな屋敷が
あり、防備を固めていました。
さらに市ヶ谷から四谷に向かい歩きまし
た。
四ツ谷駅に着くと、主婦会館前のロータ
リー脇に、石垣の一部が残っています。

(四谷見附跡)
四谷見附は半蔵門から始まる甲州街道が
通る重要拠点。
江戸城の西の玄関口として、江戸城防御
のための城門でした。

(真田堀跡)
さらに赤坂方面に行くと、真田堀と呼ば
れていた堀はすっかり埋め立てられ、上
智大学のグラウンドになっています。
この部分は江戸城の背後にあたり、敵が
攻めてくると一気に内部に迫られる恐れ
があり、巨大な堀を設け攻めにくくした
そうです。
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