matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

江戸城外郭巡りその1-浅草橋・柳橋

2019-05-16 10:36:40 | 東京散歩




 江戸城の総構えと呼ばれる城郭全体は、
現在の千代田区と中央区のほぼ全域にも
わたる巨大なものでした。

外郭とは、城の中心部である内郭の外側
に広がる、外濠で囲まれた区域のことで
す。

 浅草橋

 JR「浅草橋」駅から神田川に向かっ
て歩くと浅草橋があります。



江戸時代、浅草橋門の桝形がありました
が、現在は「浅草見附跡」の碑が残るだ
けです。


  (浅草橋)

浅草橋門は奥州街道が通る道で、江戸城
北東の守りを固める要地でした。

神田川にはじめて橋がかけられたのは
1636年(寛永13年)。

浅草観音への道筋にあたることから浅草
御門橋と呼ばれましたが、いつしか「浅
草橋」になりました。

浅草橋から神田川べりを隅田川に向かう
と柳橋です。


  (柳橋)

柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部
に位置する第一橋梁です。

1698年(元禄11年)に初めて架け
られました。

当初は川口出口之橋と呼ばれますが、い
つしか柳橋と呼ばれるようになりました。

江戸中期から花街としてよく知られ、橋
のほとりには船宿が並び賑わい、料亭・
芸者衆も多く隆盛を誇りました。


  (亀清楼)

亀清楼は安政元年創業の江戸前料理の
老舗。かつての花街「柳橋」の風情を
残す唯一の料亭です。

正岡子規は「寒山落木」の中で、
「春の夜や女見返る柳橋」
と詠みました。

島崎藤村は明治39年から大正2年まで
今の柳橋一丁目に住み、「新片町にて」
を発表、小説「沈黙」の中では大正期の
柳橋界隈を情景豊かに描きました。



神田川が隅田川に流入する地点です。
右手の橋が両国橋。

隅田川は江戸城の外濠として機能。
江戸の舟運にも重要な役割を担います。
東側の城下町との境界線となりました。


  (両国橋からスカイツリーを望む)

神田川は家康が水利工事をし、秀忠が
流路を付け替えた外濠。洪水対策と外
濠の強化を兼ねて隅田川に通じるよう
開削された人工の濠です。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-05-21 16:41:10
浅草橋から周辺の、江戸情緒が残る
散歩に堪能しました。

隅田川の流れと多様な橋がまた味わい深い風景をかもしだしていますね。

柳橋と文豪の文章もさりげなく味読しました。

マイナーだけど本場江戸の地域をこれからも!。
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