
武蔵野
4月上旬の武蔵野です。
武蔵境駅で下車、玉川上水に向かう道を
10分程歩くと、桜橋に出ます。

(桜橋)
国木田独歩の「武蔵野」の一節です。
三崎町の停車場から境まで乗り、
其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと
櫻橋といふ小さな橋がある、(中略)
「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」
と答へると、婆さんも笑て、(中略)
「櫻は春咲くこと知ねえだね」と言った。
桜橋付近は桜の名所で、玉川上水の堀の
両側には、吉野桜として有名な古木の桜
の樹が植えられていました。
独歩が恋人と桜橋を訪れたのは、夏の暑
いさかり。茶屋の婆さんは呆れたように
笑います。

(独歩文学碑)
桜橋のたもとには、柳田国男らが世話人
となり、没後50年の昭和32年に建て
られた碑があります。
「武蔵野」は近代化で失われつつあった
雑木林などを含めた東京西郊の自然美を
人々に知らしめたことで、現代に至るま
で評価されています。
しかし明治31年の発表当時は、尾崎紅
葉と幸田露伴が主流の「紅露時代」で、
時代に早過ぎた独歩の作品はあまり理解
されませんでした。

玉川上水と境浄水場の間のさくら通りを
三鷹方面へ歩きました。
桜が散り始めています。

(大橋付近)
大橋は、玉川上水ができた1654年以
降に最初に架けられた橋の一つとされて
います。三鷹との境にあるので「境大橋」
とも呼ばれたそうです。
さくら通りをゆっくり20分程歩くと三
鷹駅北口に着きました。
駅前に「独歩の碑」があります。

(独歩の碑)
独歩は編集者・小説家として活躍します
が、明治41年36才の若さで肺結核の
ため亡くなります。
田山花袋は弔辞で、独歩の人生を一文字
で表すなら「窮」であると述べました。
碑にある半身レリーフは、独歩が亡くな
った3ヵ月後に誕生した次男佐土哲二の
作品です。
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