matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

断崖絶壁の美しい街、ロンダ

2015-08-13 15:03:01 | 世界の都市



 世界の都市シリーズ、スペインの旅
はグラナダ、セビリアの次はロンダへ
向かいました。
(実際の旅程とは異なります。撮影は
2013年5月です。)

途中、ミハスに寄りました。写真はミ
ハスの高台からコスタ・デル・ソルを
見渡した1枚です。




 ロンダ

 コスタ・デル・ソルの海岸から車で
1時間。
ロンダ山地を流れるグアダレビン川の
浸食によってできた、深い峡谷の上に
広がる町です。

ヌエボ橋の両側は巨大な岩山で、岩山
の上に乗っかかるように町があります。



1485年、アラゴン国王フェルナンド
が率いるキリスト教国軍が、イスラム教
国を攻撃した際は、天然の要塞が砦とな
り、7日間頑強に抵抗したそうです。



荒涼とした山の中に白壁の家が並ぶ独特
の風景は、多くの文化人・芸術家を魅了
しました。

詩人リルケは、第一次世界大戦の前年、
1913年1月にロンダに滞在して「ス
ペイン三部曲」を書き上げました。

「・・・リルケは冬を逃れて、また創作
の危機を逃れて、南スペインのロンダに
やってきたところだ。・・・・太陽がそ
の前に岸壁の上に誇り高く君臨する街ロ
ンダをもう一度温かく照らすことを楽し
んでいた。・・・アーモンドの木はもう
花をつけており、スミレや、ホテルの庭
園ではライトブルーのアイリスさえ咲い
ている。」
(グローリアン・イリエス「1913
20世紀の夏の季節」より)



 ロンダは近代闘牛発祥の地でもあります。

1572年、フェリペ2世は、王立ロンダ
騎士養成学校を設立しました。騎馬隊が編
成され、乗馬はスペインの伝統と誇りにな
りました。
騎士が馬上から牛と戦う騎馬闘牛は、貴族
のスポーツでした。

18世紀に入ると、闘牛は貴族のスポーツ
から庶民の娯楽へと変わっていきました。

1785年にはスペインで最も古いロンダ
闘牛場が完成します。
フランシスコ・ロメロは牛をけしかけるム
レータ(赤い布)を考案し、近代闘牛術を
確立しました。



ヘミングウエイやオーソン・ウエルズはロ
ンダ闘牛の大ファンで、しばしばロンダを
訪問しています。



ヘミングウエイはスペインを舞台にした小
説「日はまた昇る」(1926年)や「誰
がために鐘は鳴る」(1940年)を書き、
ロンダを有名にしました。
闘牛というマイナーな競技が世界中の人に
知られるようになりました。

新市街地の闘牛場の西側には、ヘミングウ
エイとオーソン・ウエルズにちなみ、彼ら
の名前がつけられた遊歩道が整備されてい
るそうです。

(尚、マドリードで闘牛観戦をしましたが
感想は、マドリードの項で書きます。)

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ヘミングウエイの愛した街 (風の空太郎)
2015-08-16 19:02:50
ヘミングウェイの小説は、好きでだいぶ読み、彼が永いこと滞在したパリの滞在ホテル、居酒屋、等々を何度か訪れましたが、ロンダ闘牛のフアンとは知りませんでした。
ロンダの街並みは歴史のある哀愁ただよるいい映像が撮れております。次回が楽しみです。
 風の空太郎より
返信する
Unknown (Unknown)
2015-08-18 09:49:27
空太郎さんへ
 いつもコメントありがとうございます。
ヘミングウエイのパリ時代のゆかりの
地を巡るのも興味ひかれました。
いつか行けたらと思います。

又三郎
返信する

コメントを投稿