シャキーーンと ブ中継! AKEMISO のLOG!!!

三日坊主?三日も続かねえタイプですけど
ブログ十年たったぞ・愛するマリアナでのダイビングとか・日々のボヤきを綴る

49日

2008-06-11 06:29:58 | アケミのネター明るいまいにち
やっと四十九日をむかえました。。。

一日一日の長いこと!

こんな長い一ヶ月を過ごした事はない‥‥。


うちの宝物だった、すーちゃん。

いまごろどうしているだろう。


保険会社から連絡がきた。
私は規約も読んだけど 死亡御見舞い金受けとるのには、遺体を獣医に連れてって、診断書と死因の確認を提出しないけません、とあり、

ある理由で遺体は死後すぐに名古屋→東京に行っているので(すーちゃんの被毛で思い出の品を制作中なの!!!!)出来ないし、


六月末で担保が切れ新保険に変わるの、死亡してしまってフェードアウトと思っていたら、ちゃあんと死亡書類書かなあかんらしい。


はい、わかりました。

(でも今だから素直にそれ書ける心境だと思うよ。)

対応のお兄さんもたいへん、深妙な心ある対応で助かった。

あ~死んじゃったんですかぁ~~
また次にもっとかわいいの買って、また保険入ってくださいね~!と明るい声で言われたら どうする?????????


みんなには、とても信じ難い事だと思うが


私たちはそんな心ないことをされました。そしてシシマルは旅立ち、その後にこんな事をされました。これから書く事は、事実です。深く心が痛みそうな人は読まないほうがいいかもしれませんが。



私は前日に、仙台から更に三時間以上北にある山の温泉へ行かないかと 言われました。
ウサギがいるし、母も医者から気圧が変化する飛行機にのせられない といわれている。具合が悪くなっても名古屋へすぐかえせない。これ以上名古屋から北へ離れるのは絶対にならん、と土下座でお願いした


私が寝たあと、ミトコンドリアたちは相談していた。

だが私は寝たふりをして一部始終聞いていた。


…やめて仙台駅付近で遊んだほうがいいのか。
…あんなこといっているが疲れてるんだよ。でも明日になったら気がかわるよ。


私は部屋に戻りシシマルを抱きながら布団で泣いた。この強引さ。嫌だというお客を強引につれていって楽しませようというのは単なるエゴだろ。もう、ここにいたくない。


夜が明けた

目の前は、森。
フクロウや、ざっと50種の鳥の声。
私は 一人で聞いていた。

強引さんが起きてきて、驚いたらしい。

何してるの?

私 『ここは素晴らしい所だ。リビングあけたら森。犬を連れて散歩したきた家周囲は、まるで高原リゾート。名古屋の地下街では、森の地下街といって、汚い空気の中わざわざマイナスイオンを流し、森の鳥の声をスピーカーから流して人工的につくっているのよ。

こんな生が味わえる所に私は今日いちにち、居たい。


強引さんは驚いていた。

そりゃ毎日ここにいる身にしてみりゃ宝でもなんでもないだろう。高層ビルや都会の喧騒の方が憧れの対象か。


やがて強引さん二人がのんびり過ごしている私達に牛たんを食べに行くと告げた。

牛たん たべにいった。@仙台駅付近

食後、車が東北道インターへ向かい走り始めるのがわかったた。

私にゃ土地勘は無いがこのブログの以前の記事にもあるが地図をみて事前に叩き込んであったので、仙台駅付近ならだいたい自走できるようにはしてあった。



どこへ向かうの?これ東北道インターへいくでしょう?


私は聞いた。


いい所だから、


強引親子は騙し続ける。

三時間以上北にある山の温泉にいくんか? 飛行機許されていない母もいるのに急変したらどうするんだ?


……いい温泉だ。それに入れば何でも治るさ!!!


ここでウサギと私と母だけ下ろしてと懇願した。


だが両側を挟まれ降りられず


山奥のリゾートへは無事ついた。着いてからもシシマルは元気に水を飲んだりご飯も食べ 放牧していた。


夜に急変し、ぐったりし、救命措置しながらホテルは一番近い二時間という獣医に連絡をとってくれた。

夜中11じ。

獣医は連れてきてもいいですが、かなり危険でもある。どうかあなたの判断で、という。


諦めることなんかできなかった。

飲酒もすこししてるし運転代行も頼んで片道二時間の獣医にむかう!と出る時


ふっとみたらなくなっていた。まさに眠るようだった。


遺体を抱いて泣く私に 強引・子は『自己責任だ』ともらし

強引・親はもっていた清め塩をカバンからとりだし、

『清めてやるから清めてやるから』と部屋中 そして私の頭から、ふりかけ、

シシマル遺体にもふりまいた。


塩で清める必要があるのはお前ら親子のほうだ!!


フェリーで車ごと名古屋に帰る手段を思い付き、昼仙台発のフェリーにのるために朝五時にホテルをでた。


遺体を運ぶのに、クーラーボックスを買うといったら、うちにあるやつを使えばいいというので、甘える事にしたが、物がモノだし返せないかも……といったら


クーラーボックスを万札で一杯にして返せばいい と高笑いで言う


とりあえずフェリーに載せる荷づくりを泣きながらする私に 強引・親は


そんなん(クーラーボックス)、車に載せたままにしておけばいいじゃないか? ときた。


返す言葉はない!


ミトコンドリアはだまっていろ。


無視して黙々と荷物を分けた。この先二十時間も車には戻れないから


すべて整いあとは車を載せるだけ となった。


まあ最後だ。


この世でもうおまえらに会う事は無いだろう。そう思うとこの世最後の挨拶をしようという気になった。



たったひとこと、ありがとうございました とつげた。


強引・子は、じゃあ!といい さっと逃げ隠れた


強引・親は、一言だけ、

『明美ちゃん、ガンバレガンバレ』

と。


殴りたいのを抑えるのにいっぱいだった


泣きながらフェリーに乗り込んだ。

強引親子は身内から借金も多く うちからも借金している。


お金に全く困っていない私たちは、一等の特室をとった。もっと安いとこにしとけば……とほざく下等生物の声を背中できいた


海と船が苦手な母は心配だったが、

まったく穏やかな航海で、初フェリーだったし、こんなんなのかと毎日船にのっている乗務員に聞いた。

年に一日あるかないかの 凪の航海だという。


長い船旅で個室で思いきり泣いた。

夜中、船尾から飛びこんでやろうともおもったが あの下等動物たちにその価値はないのでやめた


航海もよく、スタッフのホスピタリティがとてもよかった。誰もいない海の上にこんな接客をする人たちがいる。 この会社に手紙を書くつもりだ。


快晴の名古屋に朝着いた。セントレアがみえ、赤と青と白の橋がみえたとき、私達は泣き崩れた。



名古屋に……
戻ってこれた……


だが不思議と放心状態ではなかった。

アタマのなかは非常にクリーンでクリヤーで


これから何をやるのかを冷静に組み立てていた。
コメント (2)
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