皆様、こんにちは。シニアハワイアンバンド「ブルー・アイランダース」の代表・松波 榮一 と言います。
この度、平成14年から約17年間演奏活動を続けてきましたが、令和元年七月31日をもちまして解散することにしました。
その最大の要因はリズムセクションで重要なギタリストが急死したことです。
我々は令和元年7月31日の老人福祉施設「小針の郷」のライブに向けて練習していました。ギタリストももちろんラスト練習で張り切ってサイドギターを弾いていました。「31日の本番の前にもう一日練習日が有るのでその日に仕上げをしますのでよろしく」と声掛けして帰宅しました。
その翌々日、彼の息子からの電話で驚いたのである。
「昨日、7月25日、父が亡くなりました」と言うのだ。
そんな馬鹿な何かの間違いではないかと私は何度も聞き返していました。
練習日の24日の彼は特段の変化もなく、新しく取り入れた昭和歌謡の曲のイントロを覚えてきたから聞いてくれと言って弾き始めたのです。
私は、短期間のうちによくぞ覚えたと言って褒めていました。
少し疲れ気味なのかいつもの毒舌が無く、しきりに疲れるとは言っていましたが、まあいつもの口癖だろうと思っていました。
この度、平成14年から約17年間演奏活動を続けてきましたが、令和元年七月31日をもちまして解散することにしました。
その最大の要因はリズムセクションで重要なギタリストが急死したことです。
我々は令和元年7月31日の老人福祉施設「小針の郷」のライブに向けて練習していました。ギタリストももちろんラスト練習で張り切ってサイドギターを弾いていました。「31日の本番の前にもう一日練習日が有るのでその日に仕上げをしますのでよろしく」と声掛けして帰宅しました。
その翌々日、彼の息子からの電話で驚いたのである。
「昨日、7月25日、父が亡くなりました」と言うのだ。
そんな馬鹿な何かの間違いではないかと私は何度も聞き返していました。
練習日の24日の彼は特段の変化もなく、新しく取り入れた昭和歌謡の曲のイントロを覚えてきたから聞いてくれと言って弾き始めたのです。
私は、短期間のうちによくぞ覚えたと言って褒めていました。
少し疲れ気味なのかいつもの毒舌が無く、しきりに疲れるとは言っていましたが、まあいつもの口癖だろうと思っていました。
リズム楽器はギターのほかにウクレレ2名、ベース1名居ますが私のスチールギターはサイドギターによるリズムが不可欠なので、これはもう、アンサンブルとしては出来ないと思いました。
彼の告別式は台風6号が東海地方へ向けて直進するという7月27日㈯に執り行われた。
バンドの残党4名で参列しました。最後のお別れに顔を見てやってくださいというので彼を見てから「こら、〇〇さん寝とったらいかん。起きてギターのチューニングをせんかい」と言ってお別れの言葉としました。
告別式が終わって我々4名は近くのファミレスで軽食をとりながら今後の対策を話し合いました。
私としては、7月31日のライブは流石にやれないと思いキャンセルを申し出ると言いました。誰も異論はなかった。
次に、予定している8月・9月のライブ及び練習をどうするかと言う課題に入り、私が8月はちょっと前に辞めていったギター奏者 Y を起用して決行しようと提案したら、ボーカル担当の女性 S から、彼のリズムでは歌えないので私は降りますという。もともと、3月の「春を呼ぶ 北里フェスティバル」が終った時点で彼女は辞めるつもりだったとのこと。ここで私は3名だけではバンドとして成り立たないと判断しました。即、解散宣言を出しました。今更、新しいメンバー募集をやっても間に合わないことだし、私自身も80歳までは頑張るという意思表示もしてあったことから、丁度キリが良いのではないかと思いました。取り残されたベースマンやウクレレ女性は何も言いませんでした。
シニアハワイアンバンド「ブルー・アイランダース」は この時点で「解散」しました。
長い間のご愛読有難う御座いました。 読者なんて・・ほんの数人だったかも知れませんが。
彼の告別式は台風6号が東海地方へ向けて直進するという7月27日㈯に執り行われた。
バンドの残党4名で参列しました。最後のお別れに顔を見てやってくださいというので彼を見てから「こら、〇〇さん寝とったらいかん。起きてギターのチューニングをせんかい」と言ってお別れの言葉としました。
告別式が終わって我々4名は近くのファミレスで軽食をとりながら今後の対策を話し合いました。
私としては、7月31日のライブは流石にやれないと思いキャンセルを申し出ると言いました。誰も異論はなかった。
次に、予定している8月・9月のライブ及び練習をどうするかと言う課題に入り、私が8月はちょっと前に辞めていったギター奏者 Y を起用して決行しようと提案したら、ボーカル担当の女性 S から、彼のリズムでは歌えないので私は降りますという。もともと、3月の「春を呼ぶ 北里フェスティバル」が終った時点で彼女は辞めるつもりだったとのこと。ここで私は3名だけではバンドとして成り立たないと判断しました。即、解散宣言を出しました。今更、新しいメンバー募集をやっても間に合わないことだし、私自身も80歳までは頑張るという意思表示もしてあったことから、丁度キリが良いのではないかと思いました。取り残されたベースマンやウクレレ女性は何も言いませんでした。
シニアハワイアンバンド「ブルー・アイランダース」は この時点で「解散」しました。
長い間のご愛読有難う御座いました。 読者なんて・・ほんの数人だったかも知れませんが。