gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ジョギング

2015-03-15 18:36:24 | 日記
ジョギング中に死ぬ人が多いようだ。マラソン大会でも多く死につつある。どうやら長時間走る事は体によくないらしい。何のための健康マラソンかわからなくなる。健康のために走っているのに死んだとなると笑い話になってしまう。
 しかし、ゆっくり一週間に二度ぐらいかけて一時間ジョギングするのは体に良いようだ。スロージョギングというやつだ。歩くよりやや速めぐらいがよい。下手をすると足歩の人に追い抜かれるがそれでぐらいがちょうど良いようだ。あくまで人を追い抜こうと思ったら死が待っていると考えていいのではないか。
 長寿者の人の生活を見ると坂を上ったり、畑仕事をする人が多い。ジョギングをしている人は圧倒的に少ないようだ。
 反対にジョギングは一度やりだすと快感がありやめられない中毒となる。麻薬と同じ作用がある。今、ジョギング本や有酸素本が大流行のようだが、二十代、三十代までは有効かもしれないが中年以降はやめたほうがいいようだ。

知的生活の一手段

2015-03-08 13:45:45 | 日記
何もしたくない時は書くといいようだ。日記をつけたり夢を書いたりしたらどうだろう。あるいは、少し運動をしてみる。何もハードなトレイニングではなくて腕立て伏せやスクワットを少ししてみれば、気が変わる。特に昼からは眠けとの勝負になるが、こういう時に一度試されるとよい。健康法で有名な石原氏によると、空腹時の運動は間脳が鍛えられ痴呆症の予防につながるようだ。読書をしていて一時間ほどすると、脳がもういやだ、という信号を出す。その時に軽く有酸素運動をしてみるとよい。かなり運動後、また読書できる。ただし、また、ある時間がすぎると、脳が疲れだす。すると、また有酸素運動をする。その繰り返しが最高の知的生活につながる。お試しあれ。

筋肉運動

2015-03-07 19:04:42 | 日記
今日も雨だ。昼からずっと降っている。最近、筋肉運動をしている。スクワット一日100回とバーベルの上げ下ろしを40回している。確かに、こういう運動は読書疲れしているときにいい効き目となる。昼の三時過ぎになると眠くなる。そういう時は体がどうやら目を使うより体を使えという指令が来ているようだ。石原健康法によると、一日一食で運動を勧めている。どうして、少食であのような筋肉質の体になれるのか、最初不思議だったが、自分も真似してみて「なるほど」とうなずけるようになった。石原氏は肉も卵、乳製品は一切とらずに。一日一食はさぞ腹がへるだろうなとする前は考えた。しかし、ジョギング時に太陽を浴びると、ビタミンDが吸収されるようで食事をしているような感覚にとらわれることがある。腹がグーとなりだすと、筋肉運動をすると、食のことがあっという間に忘れ去る。そして、運動後、本を読むと、断然スピードが上がるとわかってきた。これは老後にボケないヒントになるようだ。人は言う、「タンパク質をとりなさい、さもないと、痴呆症になるよ」と。しかし、これはまやかしのように感じている。一日一食で夕食に自分の体が欲する者をとるのが一番理想的だと思う。

古いものを見直そう

2015-03-01 09:39:18 | 日記
本日は雨だ。外へ出かけたくない。昨日はNHKで料理研究家の辰巳さんと華道の職人さん(名前は忘れた)の対話を見た。辰巳さんは90歳だが、矍鑠としたものがある。稲が日本人のいのちであり田園風景は何とも穏やかな気持ちにさせてくれる。稲が風にそよいでいる所や、稲にトンボが寄り添う姿をどうやら見ることを忘れてしまったらしい。そんなものは今の競争社会ではあってなきの如く。辰巳さんは「日本には四季があるから、一つ事を考えようとすると、すぐに景色が変わるので、じっくり長く考えられない習性になっているのではないか」と言う。俳句や短歌などの一瞬の感動を伝えるのはうまいが、思想や論理を作るのは苦手なのもそんなところに原因があるのかもしれない。
 さて、次に田中泰直氏の『日本近代の起源』という本を読んだ。
 
 伊勢神宮は二十年に一度建て直す。柱の根っこが必ず腐り、二十年たつともう駄目になるように、建てられている。
 永久建築物をつくらない思想を祖先は持っていた。すべての建築物は仮住まい風で、二十年もてばいいという発想だった。地震、津波などの災害列島の中で生きる知恵だった。破壊されれば、立て直せばいいと。鴨長明が茅屋を好み、我々の古典になっているのも、そのあたりに原因がありそうだと言う。
 電気製品なども三年ぐらいたつとどこか故障ができるように作られているようだ。一生ものと言われるのが少なくなってきている。買い替えが当たり前で、リフレッシュとか乗換えとか平気で宣伝する時代だ。まさに古いものを持つ事は悪である時代風潮である。なぜ、こんなに新しいものに日本人は飛びついてしまうのか。
 果たして、インターネットをして、精神が進歩したかどうか。落着きなさを誘発するし、圧倒的に馬鹿になってしまったのではないか。本屋で長時間立ち読みしている人はほんの少数になってきている。新刊書と言われるものは十年前、二十年前のベストセラーを再刊しているのが実情で、本当に読みたい本を書いている人は実に少数になってきているのではないか。
 これからの知的生活を送るには少し反時代的生活をする必要があるのではないか。あれもこれも持つ要求よりもできるだけ持たない工夫をする。たらふく食べるより少食にするなど。それでこそ自分だけの時間を独り占めできるのではないか。持てば持つほどあくせくし、時間に追われ結局何も出来なかったことになる。この世にはかなりの時間泥棒がいる。電車でも少し油断をすると、広告を見てしまい、ほしくない物を買ったりするように出来ている。その予防手段として、朝起きた時に今日の予定を立てることが大事のようだ。