出典 『漱石の思ひ出』夏目鏡子述 松岡譲筆記 改造社 昭和13
夏目漱石は、文部省給費留学生として、明治33(1900)年33歳のときから明治35(1902)年までロンドンに滞在し、いろいろな珍しい事物に触れ、その新鮮な体験を新妻鏡子や知人らに伝えている。
明治35(1902)年3月10日、35歳の漱石は、妻鏡子に、こんな手紙を送った。
「霧は有名なるものにて之(これ)を角切りにして缶詰にして日本へ持帰度位(もちかえりたいぐらい)に候(そうろう=です、という意味) 当地〈=ロンドン〉にて始めて氷すべり〈=スケート〉なるものを見物致候 甚(はなは)だ面白相(おもそろそう)なるが険呑(けんのん=あぶない)故(ゆえ)未(いまだ)だ試(こころ)みず」
以前、富士山山頂の空気の缶詰が売り出され話題になったが、その発想は、漱石が100年前に考えついていたようだ。ともあれ、漱石はスケートを見て興味を覚え、やってみたくなったが、スッテンコロリン転ぶのが怖く、公費留学の責務を果たすことが優先されたから、安全のため挑戦しなかった。
と思いきや、事実は異なっていたかもしれない。妻鏡子への手紙の約1か月前、明治35(1902)年2月16日 付の友人への次の手紙により、妻への報告が虚偽であったことが疑われる。
「其後(そのご)は御無沙汰(ごぶさた)をして済みません 不相変(あいかわらず)頑健(がんけん)には候(そうら)へども 近頃の寒気には閉口(へいこう=気がめいること)水道の鉄管が氷つて破裂し 瓦斯(ガス)がつけられぬ始末 厄介(やっかい)に候 氷すべり〈=スケート〉を始めて見て経験を増した位(くらい)の事に候 漸々(ぜんぜん=だんだん)留学期もせまり学問も根つからはかどらず頗る(すこぶる=とても)不景気なり(ふけいき=おもしくない)」
「氷すべりを見て経験」を、どう解釈すべきだろうか。見たという経験を増したのか、見てから実際に体験したのか、どちらともとれる文章だ。漱石はロンドンで自転車乗りにも初めて挑戦しているから、面白そうなスケートにも挑戦したと想像することに無理はない。漱石は好奇心旺盛だ。もしスケートに挑戦していたとしたら、妻に「未だ試みず」と伝えたのは、上達しなかったせいか、あるいは心配をかけないようにしたのか、いずれかの理由だろう。
《文責 中川 越(手紙文化研究家・コラムニスト 東京新聞連載中 NHKラジオ深夜便・文豪通信・レギュラーとして出演中)》
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