ぶうりんの希望の種まき新聞

絶望的雑感有りの希望的投稿ブログ。
世界中の子どもたちの笑顔と幸せのための新聞社。あなたにも希望の種をプレゼント!

私とエンパワメント

2009年08月10日 | 過去の記事
私を元気にしてくれるもの、
沸かしたてのおいしいほうじ茶
それから、膝の上であまえる猫
そして、食事のあとの子どもたちとの団欒
素敵なご馳走がなくっても、
ここは最上級の「レストラン」。

私を元気にしてくれるもの、
玄関でしっぽを振って迎えてくれる犬
「おかえりー」のハーモニー
『いい子にしてたよ』と擦り寄ってくる猫
 ここが私の帰る場所「ホーム」。

 私を元気にしてくれるもの、
活動で出会う子どもたちとお母さん
そして、いっしょに活動する仲間たち
 私を認め許してくれる「コミュニティ」。

 私を元気にしてくれるもの、
曇り空と雨降りといいお天気と雪
それから、空いっぱいの星空と風
のぞき込むようなお月さま
 宇宙から降り注いでくるエネルギーが、
 私の力を満たしてくれる。

 ラララン、ラララン、ラララララ
 そして私は歌いだす。
 

そんな私も子どもの頃は、
 いつも「自信」を持てなかった
 「私には無理」と思ってた
 だからあまり「挑戦」せず、
 ちょっと踏み出してもすぐ諦めた
 「これが実力…」って言い訳してた
でも、私は変わった

バイト・就職をして、職場のみんなは、
 誰も私に怒鳴らなかった
 誰も私に命令しなかった
 「△△ちゃん、○○してくれる?」
 「□□さん(旧制)、今いいかな?」
 「△△ちゃん、△△ちゃん…」
 みんな私の名前を呼んでくれた
 みんな私を頼りにしてくれた
 みんな私の意見を聞いてくれた
 みんな私を大切にしてくれた

でも、結婚して出産して、母になったとき、
 私の頭の中にある「母親モデル」が
 私を侮辱し命令し、支配を始めた。
子どもたちが不登校になり、
「母親モデル」は大打撃、
 『こんなはずじゃなかった』と。
私は「母親モデル」に戦いを挑む
どちらが勝ったかはわかるでしょう?
私は、「本当の私」になって、
 「今を楽しむ」私になった。


『ふくやまCAPスイミー通信 2009年8月号』に掲載されました。

ヒロシマの8月6日

2009年08月08日 | 過去の記事
梅雨が明けました。(遅いか…)
梅雨明けを待つかのように、8月6日が訪れた。

広島県内の多くの小中学校ではこの日、平和学習が実施される。
ということが、幻になりつつあるという実態。

原爆投下・戦争の愚かさを考えることが、偏向教育だとする判断が校長会でくだされた。

人々の幸せを考える・平和を考えることが、どうして偏向教育なのだろうか。

人を支配する側に立っていたい人は、「人権」を嫌う。
人権意識の高まりが、特権意識の排除に繋がるからだ。

ニュースで流れる「この平和がいつまでも続きますように」という願いがまやかしであることは、多くのひとが気付いている事実だ。

アメリカばんざい 上映会開催

2009年05月04日 | 過去の記事
今、評判の映画
アメリカばんざい crazy as usual
http://www.america-banzai.com/
の上映会を広島県福山市で開催します。

と き:2009年6月5日(金)19:00~21:00
ところ:福山市市民参画センター5階・会議室1
観賞料:一般 1000円 / 13歳~18歳 500円(当日会場にて)
主 催:どなべねっと
連絡先:市民運動交流センター(ふくやま)内
    TEL・FAX 084-924-4435

お近くの方は、ぜひご参加ください。

アメリカ兵は「どこから来たのか? 何故兵士になったのか?
そして、どこへ行くのか?」を問う、
2006年10月~2008年4月、200日間のアメリカ取材・撮影の記録

新兵を生み出し続けている海兵隊ブートキャンプと帰還兵に焦点を当てて、
その戦争体験をもとに、戦争をリアルに描く。
兵士となって戦場に借り出された息子や娘たちを、アメリカの家族はどのように支え、どのように迎え入れてきたか、家族の姿を捉える。

「志願制」の米軍、その実態は「貧困徴兵制」・・・これは、日本の近未来なのだろうか?



主題歌がまた素晴らしいのです。

[For the Mothers 母たちのために] 作詞・作曲・歌 Betsy Rose

同時多発テロの翌年、2002年の母の日に作られたもの。
イラク開戦後は、地元の女性たちと共に、地下鉄駅前で、歌い続けた。

私も、駅前で歌いたいなぁ・・・と計画中です。
一緒に歌う人も募集中!



憲法9条守る?変える?全国シール投票 福山駅前で実施 第3弾

2009年05月04日 | 過去の記事
2009年5月3日 福山市(福山駅前南口)で10時~11時半の間、
 実施者、どなべねっとメンバー7人+17歳の青年の計8人で、
憲法9条を守る?変える?わからない?の全国シール投票を実施しました。

  
  結果は

  守る     322人(78%)
  変える     42人(10%)
  わからない  47人(12%)

  計   411人

でした。

今年は、例年よりも人通りが少なかったようにも感じました。
けれど、場外馬券場に向かうらしき、足早なおじさんは増えたなぁ、と感じました。

参加してくれた方で、
 変えるの方のご意見
  北朝鮮の脅威があるから・・・
  やられたら、やられっぱなしはイヤでしょ!
  なんとなく・・・

 守るの方のご意見
  やっぱ、守らにゃぁ、いけまぁ。

ちなみに、
参加されない方のご意見
 私みたいな年寄りが何を言っても変わらんじゃろぅ
 わかりません
 いいです
 もう、わかりゃぁせんけぇ、どうでもえぇ

備後弁で失礼しました!
私は、シールを渡す係なので、多くは他の実施メンバーからお聞きした声です。

感想として・・・

憲法が変えられてしまうかもしれない危機感が薄いのか、
無関心を装う人が増えたなぁ・・・と感じました。
また、危機感が薄いこととつながっているのかもしれませんが、
「憲法9条を守るか・変えるか・わからないか・・・」と呼びかけると、
「僕は守ります!」的な声が聞こえたりしました。
 「オイオイ! 僕が守るんじゃなくて、変えないように守るってことなんだけどぉ」

と、説明を加えなければいけない場面も多々ありました。

それと、3年目の活動だからか、「シールをください」と近づいてくれる方が増えました。
逆に3年目だからか、背高女を見ても驚きもせず知らん顔の方も増えたように感じました。
ただ、知らん顔をされたのは、約40分間ぐらいの時間です。
その時間、50mほど離れたところで、ある政党の福山市議会議員の方々がマイク大音量で演説をされていたのです。
それが終わってから通り過ぎる人々の表情とそれまでの人々の表情・対応が、まるで違うということを目の当たりにしました。背高女だと、みなの表情がよく見えるんです。

なので、このシール投票は、市民に考えを押し付けず、こちらのスタンスは持ちつつも、相手の意見を聴こうとするところが凄いし大事な点だよなぁと思います。


取材に来てくれたのは、朝日新聞1社でした。

午後から、「福山9条の会」で、憲法講演会が企画されていたので、そちらにも参加してきました。
会の世話人の方に、「シール投票の結果を報告してくれますか?」と言われていたので、ボードを持って報告してきました。
講師の先生の到着が遅れたために、場つなぎとして、話す時間をたっぷりもらえちゃいました!(講師の先生は、午前中福山駅前でシールを貼っていったんですが・・・)


写真は、後日添付します。



愛のムチ条例?

2008年08月18日 | 過去の記事
子ども・子育て情報誌「はらっぱ」7月号 特集ページ(子どもとエンパワメント)より 発行:こどもステーション

6月18日配信の毎日新聞によると、“宮崎県の東国原英夫知事は18日の県議会本会議の終了後、記者団に「体罰は愛のムチ。昔はげんこつで教えられたが、最近はできなくなっている。愛のムチ条例はできないか」と発言した。この日は一般質問があり、印象に残った質問を問われて、突然「愛のムチ条例」に言及した。”とあります。何かとお騒がせな知事の今回の発言、皆さんはどう思いますか?
体罰という暴力は、子どもの地位の低さを象徴しています。何を「愛」「正しさ」とするのかは、なぐる側が一方的に判断することです。もしかすると、現在大人である人が、子どもの頃の体罰の経験を「自分に真剣に向き合ってくれた」という感覚でなつかしく思うことがあるかもしれません。でもそのとき「あなたを信じているよ」と抱きしめられていたらどうだったのでしょうか。子どもの心の痛みに共感して一緒に涙を流してもらえたらどうだったのでしょうか。体罰を肯定的に受けとめてしまうのは、大人から真剣に向き合ってもらう経験が少なかったからなのかもしれません。体罰によらない方法で子どもに真剣に向き合う方法はいくらでもあるはずです。
体罰は、痛みと恐怖によって子どもの言動をコントロールする手段です。即効性があるし、次からは脅すだけで子どもをコントロールできるかもしれません。しかしこれは「しつけ」ではありません。体罰によって子どもが学ぶのは「腹が立ったら暴力によって表現すればよいのだ」ということに他ならないでしょう。「尊厳を傷つけられた悔しさを人はもっと語っていいのです」そのことによって、人は自分の気持ちを整理して伝えることができ、そこに生じている問題を解決する力になっていくのだと思います。 
今回の宮崎県知事の発言は、秋葉原での連続殺人事件を受けて議会で質問された後の発言だったと報道されています。その痛ましい事件について、加害者の暴力行為を許すことはできません。しかし、それまでに、どれだけの抑圧や暴力があったのか、私たちはそれを推察する必要があると思います。書き込みされていたネットの情報からは、現在の彼に対する経済的な暴力の存在を想像できます。子どもの頃には、学力や芸術に長けていることが求められ、本当の自分を表現することが許されなかった。虚像の自分が褒め称えられている姿を、子どもの頃の彼はどう受けとめていたのでしょう。ネットには表現できていない暴力もあったのかもしれません。
 暴力は、百害あって一利なし。人が生きる力を奪う行為そのものに他なりません。この世の中に「暴力を受けて当然・人権を侵害されて当然」な人は一人もいないのです。 
     
    ぶうりん

9条世界会議 池田香代子さんのスピーチ

2008年05月10日 | 過去の記事
今日ここに人類の希望の一里塚を築くという、人類史上きわめて重要でよろこばしいつとめを果たすために、全国から、全世界から、みなさんようこそお集まりくださいました。

このつとめは、わたしたち市民にしか果たし得ないものです。なぜならこのつとめは、わたしたち世界中の市民が、憲法によってそれぞれの国の交戦権を封印したときに、初めて完了するものであり、ご存じのように、憲法とは、わたしたち市民の政府にたいする命令であって、そこに想定される主語はわたしたち市民だからです。

幸いにして、わたしたち日本の市民は、政府に戦争を禁止する憲法をもっています。
これは、人類が近代の歴史のなかで育んだ非戦の思想の本流に位置するものであり、このくにと市民が過去、とくに近隣諸国の市民にたいして犯したおそろしい戦争犯罪を心から慚愧し、また市民みずからが被った戦争被害の悲惨さを見据えるなかで、わたしたち市民が選び取り、日々選び取りなおし、61年、努力して維持し続けてきたものです。3日の憲法記念日に向けて、今年も全国でたくさんの市民が平和憲法を変えるか変えないかのシール投票を行いました。結果は、変えないが81%で、年々変えないという答えが増えています。

この憲法でわたしたちは、このくにの市民には平和のうちに生きる権利があると宣言し、政府にこの権利を擁護する義務を課しています。ところが、このくにの政府はともすればこれを無視したがっており、今このときも、日本政府はイラクに輸送機を送り、またインド洋アラブ海域に補給艦を出して、明らかに戦争に加担しています。このような政府のふるまいを止められないわたしたちは、世界の平和を愛する市民のみなさんに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

けれど、コーラ・ワイスさんが触れてくださいましたように、先月17日、名古屋高等裁判所は、イラクで航空自衛隊がしていることは憲法違反であるとの判決を下しました。3268人の市民が4年かかって勝ち取ったこの判決を、わたしも原告のひとりとして法廷で聞きました。憲法によって戦争を拒否するこの喜びを、今日ここでみなさんとともに改めて味わうことができ、たいへん幸せに思います。

政府が戦争に走ることを憲法によって封じるこの喜びはしかし、世界のすべての市民のものにならなければなりません。その重要性をもっとも理解しているのは、紛争地域で困難を強いられてきた市民です。たとえば今年の4月1日、エクアドル議会は、外国軍基地を国内に置くことを禁止する憲法条項を可決しました。これもコーラ・ワイスさんとかぶりますが……ワイスさんとちゃんと打ち合わせすればよかった……ボリビアの大統領は去年日本を訪れたとき、新たな憲法には戦争放棄を盛り込みたいと表明しました。コスタリカとパナマは常備軍をもちません。こうした勇気ある決断を下す政府を選んだ市民のみなさんに、心からの敬意を表したいと思います。

世界の憲法には、さまざまな形で平和への思いがこめられています。むしろそうした憲法のほうが圧倒的多数を占めます。それをもう一歩進めて、政府から交戦権を取り上げ、真に民主主義的な憲法へと完成させること、それがわたしたち世界の市民の願いであり、つとめであるということを、ここに再確認したいと思います。

今わたしたち市民が国際的な協力によってできること、すべきことはたくさんあります。
わたしたち市民というとき、これまで思いをじゅうぶんに表明したり、行動に移すことを阻まれて、社会や歴史の片隅においやられてきた人々、つまり先住民や途上国の市民、先進国の貧困にあえぐ市民、難民、障害や病気を持つ人々、子ども、女性などがそこに大きな比重を占めていることは、わたしたちの強みです。かれらの知恵がいまこそ生かされることが、これまでの発想を変え、世界に新しい、さわやかな風を吹き込むことになるからです。

わたしたち市民がすべきこと、これはほんのたとえですが、すでに地球の大部分をおおっている非核地帯をさらに広めて、核兵器にしがみつく少数の国々を包囲し、核兵器が意味をなさなくなるようにすることです。そのほかの各種武器の禁止などもそうです。

世界には問題が山積みですが、問題の解決に、手段はふたつしかありません。戦争をはじめとする暴力か、話し合いかのふたつです。話し合い、つまり民主主義は、戦争を否定して初めて本物になるのだということを、わたしたちはいま一度銘記しなければなりません。世界は貧困と気候変動に待ったなしの対応を迫っています。もう戦争をしているばあいではありません。

ジョン・レノンは「イマジン」に歌いました。
「さあ、想像して 国家はないと 難しくはないはず 殺しあう理由がなく すべての人が平和のうちに生きてあるさまを」。
ここで否定されている国家とは、それがなければわたしたち市民が殺し合う理由もなくなる、というのですから、交戦権を持った近代国民国家に限定されていることは明らかです。「イマジン」は、すべての国家が交戦権を放棄した世界を歌っているのです。だとしたらここには、日本国憲法が提案する平和の流儀が歌い込まれているのではないでしょうか。世界の平和を愛する市民のみなさんは、この歌を歌うことで、とっくに日本国憲法9条をわがものにしてきたのです。

さあみなさん、後世の人々に2008年5月4日という日付を、日本の幕張という地名を、喜びとともに思い出していただくために、それぞれの持ち場につき、仕事にとりかかりましょう。お金のグローバリゼーションではない、市民が縦横につながりあうオルタグローバリゼーションの大波で世界をおおいつくしましょう。ありがとうございました。



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世界は、9条をえらび始めた。    
                     
     9条世界会議        
 
  2008.5.4~6日     
     幕張メッセ
    仙台、大阪、広島       
 
http://whynot9.jp       
                        

   9条ピースウォーク      
 
  2/24広島スタート!     
http://homepage3.nifty.com/peace_walk/
                                      
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9条世界会議 大阪会場から ベアテ・シロタ・ゴードンさんのスピーチ

2008年05月09日 | 過去の記事
 ベアテ・シロタ・ゴードンさんのスピーチ
(2008.5.6 舞洲アリーナ)

今日は、ここに平和のために活躍している多くの人たちが集まっている事は本当に素晴らしいことです。(拍手)
私は「第9条」の専門家ではないです。
私は「男女平等」のことを憲法の草案に書きました。(拍手)
私はシロタといいますが、本当はシロウトです。(会場、笑い)
しかし私は、お母さんでもあるしおばあさんでもあるので、わたしはむしろ第9条に興味をすごく持っています。

マッカーサー元帥は、本当には日本の政府がちゃんと民主的な憲法を書けばそれが一番いいと思いました。
そしてマッカーサーは松本烝治に頼んで、松本さんはどうしても民主主義的憲法を書く事ができませんでした。
二三回やって見たんですけれども、いつでも明治憲法と同じものが出て来たのです。(会場、笑い)
だから、マッカーサーは憲法を創ることを自分のスタッフに命令したのです。

私はちょうどそのときに1945年の12月、日本にいました。
なぜならば、戦争中ずっとアメリカの大学で勉強していたので、お父さんとお母さんは日本にいましたので、私は親に会いたかったのです。
占領されていた日本にはアメリカ人は行かれなかったのです。
アメリカ軍属の仕事を探してそれを見つけて日本へ飛んで行きました。
日本についてすぐ親を捜しに行きました。大変だったです。
ジープに乗って、破壊された東京の中で、乃木神社のそばの赤坂区檜町十番地にあった私の家を探しに行きました。
残っていたのは一つの石の柱だけでした。隣の家も焼けていましたので、本当にがっかりしました。
パパとママが、戦争中ずっと軽井沢に住んでいたので、私は軽井沢に行って燃料の不足、食料の不足、よく解りました。
軽井沢に冬に行った事がなかったので、十二月の寒さは恐ろしかったです。皆様の戦争中の状態がよく解りました。

私は仕事のために東京へすぐ帰らなければならなかったのでマッカーサー元帥の司令部、第一生命ビルへ行きました。
そこには民政局という事務所がありました。
その民政局は日本の政府と一緒にいろんな占領規則を創りました。
私は、そこに入って最初の仕事は女性政治運動、そして小さい政党の運動のリサーチだったのです。
その時には小さい政党がずいぶんあったのです。
だから朝から晩まで忙しかったです。そして一ヶ月そこで務めたあと1946年の2月4日の朝、十時に民政局部長ホイットニー大将が私と他のスタッフメンバーを呼んで次の事を発表しました。
「あなたたちは、今日から憲法創案・制定会議のメンバーになりました。
これは極秘です。あなたたちはマッカーサー元帥の命令で新しい日本の憲法の草案を創るのが任務です。」
これを聞いたのは20人くらいだったです。もちろんみんなでずいぶんびっくりしました。
発表が終わったあと、???代表者ケーディス大佐が憲法創案の仕事を振り分けました。
人権に関する創案は三人に与えられました。
男性2人女性1人、その女性が私だったのです。その時には私は22才だったのです。(会場、ほぉ~っ)

その後3人で相談して、人権の草案については誰がどういうを権利を書けばいいかとか、二人の男性が「ベアテさん、あなたは女性ですから、女性の権利を書いたらどうでしょうか。」
私はすごく喜んでもちろん賛成しました。
女性の権利の他にも、学問の自由についても書きたいと言いました。
みんなで賛成して、わたしはジープに乗っていろんな図書館へ行って、いろんな国の憲法を参考に集めました。
この仕事は極秘だったので、私は1カ所の図書館だけに行ったら、図書館司書がなぜ司令部の代表者はこんなにいろんな憲法に興味があるのかを疑うといけないから、私はいろんな図書館に行きました。
事務所へ帰って来たら、みんながこの本を参考に見たかったので、私は引っ張りだこになりました。
マッカーサー元帥の命令ではこの憲法を早く書かなければならなかったのです。
一週間、7日間で草案を創らなければならなかったのです。
それで、私は朝から晩までいろんな憲法を読んで、何が日本の国に合うか、または自分の経験で日本の女性にはどういう権利が必要であるかを、よく考えました。
私は憲法の中に女性のいろんな権利を含めたかったのです。
配偶者の選択から、妊婦が国から補助される権利まで、全部入れたかったのです。そしてそれを具体的に詳しく強く憲法に含めたかったのです。

民政局の他のメンバーはもちろん私と同じようにいろんな憲法を参考にしました。
そしてまた、日本にあった憲法研究家、社会党、共産党と他の組織もGHQにいろんな草案を送りました。だからこの新しい憲法にはいろんな国の歴史的英知が入って来ます。

日本の国民は新しい憲法を喜んで受けました。しかしその時の政府は、あんまり喜ばなかったようです。(会場、笑い)
保守的な政府だったので、デモクラシーに興味がなかったのです。
国民は日本の新しい憲法がマッカーサー元帥のスタッフによって書かれたということを知りませんでした。
しかし、1952年に占領軍がアメリカに帰った時にある日本の保守的な学者と新聞記者がそのことを知ってこの憲法が日本に押し付けられたのであるから、改正すべきだと主張しました。

マッカーサー元帥が憲法を日本の政府に押し付けたということが、言えますでしょうか。
普通、人が他の人に何かを押し付ける時に、自分のものよりいいものを押し付けませんでしょう?(会場、笑いと拍手喝采)
日本の憲法はアメリカの憲法より素晴らしい憲法ですから(拍手)押しつけという言葉を使えないと思います。(拍手)

特にこの憲法が日本の国民に押し付けられたと言うのは正しくはありません。
日本の進歩的な男性と少数の目覚めた女性たちは、もう19世紀から国民の権利を望んでいました。(拍手)
そして、女性は特別に投票権のために運動していました。
この新しい憲法は、国民の押さえつけられてきた意志を表したので国民に喜ばれました。(拍手)
ある方は「この憲法は外から来た憲法であるから改正されなければいけない」と言います。
日本は歴史的にいろんな国から、ずっと昔からよい物をいろんな国から日本に輸入しました。(拍手)
漢字、仏教、陶器、雅楽、他の国からインポートしました。
そしてそれを自分のものにしました。
だから、他の国から憲法を受けても、それがいい憲法であればそれでいいではないですか。(拍手)

憲法創案に参加したわれわれはこの仕事について永い間黙っていました。
一つの理由はこれが極秘の仕事だったからです。
もう一つの理由は次のような私の気持ちから出たものです。
憲法を改正したい人たちは、わたしの若さをたてにとって第24条の改正を進める事を恐れていました、私は。
だから黙った方がよいと思って、私は日本の新聞記者のインタビューを受けませんでした。
十年前まで親しいお友達にも何にも話しませんでした。

本当は、デモクラシーの観点から見ると、誰が書いたかと詮索するのは意味がありません。(拍手)
いい条項であればそれでいいのです。(拍手)
しかしその時代の者の考え方は封建王権的だったので私は黙っているのがいいと思いました。

私は4年前からしょっちゅう日本へ来ました。
日本はどういう風に変わったか、そして女性はどういう風に変わったかを見て来ました。
ま、今は日本の女性は私の目で見ると、昭和21年から憲法が公布された時からずいぶん進歩したと思います。(拍手)
60年は長い間ではないです。
皆様はまだまったく満足していないかも知れませんです。
けれども戦争前の女性の状態と比べると女性の地位がずいぶん上がりました。(拍手)
大阪と東京といろんな街を歩くとそれがすぐ解ります。女性の顔と動き方に自信があります。(場内、笑い)
前みたいに奥さんは夫に従っていません。(場内、拍手と笑い)
女性はいろんな職業を持っています。
会社の会長になった女性があります。新聞記者、TVアナウンサー、ドキュメンタリーフィルムを作る女性、議会の代表者、女性はそういう役割を今持っています。

もう60前から憲法を改正したい政治家が現れました。
日本の多くの女性たちは最初から憲法の改正に反対しました。
そして、今まで60年の間に改正がなかったことは世界で初めてです。(拍手)
私は、この憲法が非常にいい憲法であるから改正されなかったと思います。(拍手)
この憲法を改正しないで、他の国々に宣伝すれば、いろんな国に9条がモデルになる可能性がありますね。(拍手)
そして、平和をみんなで手をつないで作ることができると思います。(拍手)

  テープ起こし BY もぐら@9条さん

世界9条会議 広島会場に参加!

2008年05月06日 | 過去の記事
今日、広島の世界9条会議に参加してきました。
 オープニングの「コーラス9」の当日練習・リハーサルから参加させてもらうことができ、充実した一日でした。

 コーラスには、県内各地から100名以上の参加があり、歌を歌っている仲間が9条を通じても、こんなに繋がりあえることにいたく感動しました。
 中学生が作詞を手がけたという「ねがい」は、すごく詩が素敵で、それに合わせてメロディも歌いやすく希望の湧く歌で、歌っていても心が震える感じでした。
 会場からも大きな拍手が沸いて、嬉しかったです。
 「希望の9条」という歌は、「第九」のメロディと聞いていたので、大阪のピースウォークで歌った歌かと思っていましたが、詩が違っていました。この歌も素敵でしたよ。でも替え歌なので、メロディが先行してしまって、歌う側も聞く側も「言葉」に力がなかったのがちょっと残念な気がしました。

 ステージの最後に広大のアカペラサークルの男性5人が見事な歌声でハーモニーを届けてくださり、「あまり9条とかに興味なかったけれど、大事なんだということを今日感じました」とステージでMCしていました。

 歌三昧で楽しんでしまっている私で済みません。
 講演とリレートークのことはあまり感想がありません。
 理由は聞かないでください。

 会場は、1000人以上の参加があり、大成功だと司会の人が言っていました。
 広島の平和大通りでは、今日までの3日間、フラワーフェスティバルがあり、街は大変な賑わいだったのではないかと思います。カープの試合もあったし・・・。
そんな日に、世界9条会議の会場がいっぱいになるんだから、すごいことです。だって、公共の交通機関以外、道路は交通規制がある中だったのですから!



憲法9条守る?変える?全国シール投票 福山駅前で実施

2008年05月04日 | 過去の記事
福山駅前でのシール投票無事終了しました!
 暑い熱い、シール投票でした。

   投票日時  5月3日 10:00~12:00
   投票場所  JR福山駅南側自転車置き場入り口南側(つまり、福山駅前広場です)

   投票結果  守る     592票
           変える    61票
           わからない 87票    合計740票
   参加者   背高女2名を含む8人
   取材     毎日新聞・朝日新聞・山陽新聞・中国新聞 の4社

   参加者の感想など
         ・楽しかった!
         ・若い人のほうが、興味をもって貼ってくれるなぁ、と思った。
         ・呼びかけで「憲法記念日」であることを思い出して、”参加しようかなぁ”と思う人
          も少なくなかった。
         ・いろんな国の人が通ったが、言葉が通じなかった。
         ・背高女の威力ってすごいと思った。


   今回のまとめ的感想(BY ぶうりんの独断+参加者の意見)

 とにかく、暑かったです。日差しがきつくて、2時間は長かった。
 見回りに来た警官2人(婦人警官)に、「暑いので、熱中症にならないよう、気をつけてください」とご配慮をいただくほどでした。まぁ、暑かったのは福山だけではないとは思いますが・・・。
 背高女だった私は、止めるように言われるかしら?とひやひやしましたが、何事もなくホッとしました。じつは、私たちの実施している場所は、投票ボードを置いているところが歩道なので、道路使用許可証をとっていますが、そこは人通りがあまりないので、駅が所有している場所にシールを持った者が入って投票を呼びかけています。そんなもんで、遠慮しながら呼びかけているんです。
 ボードを準備している10時前から「貼らせて下さい」と次々人が来ていましたが、10時から、共産党の市議の方が、ちょっと離れたところで「憲法9条を大切に守っていきましょう」と、スピーカーを使って大音量で演説を始めたら、その場の空気が変わってしまったような気がしました。その時間帯は、シールを渡そうとしても知らん顔する人がすごく多かったと感じています。
 こちらは、なるべく公平な立場になるように、「憲法9条を変えるほうがいいのか、守るほうがいいのか・・・・」と、わざと「変える」を先に言って、変えたいと思っている人の反発を防ぐように心がけました。
 それでも結果を見ると、圧倒的に「守る」が多いのですが、シールを張ってくれた層としては、若い方々が断然多かったです。年配の男性は怖い顔をして通り過ぎる人が多い。そういうことも、結果に現れているように感じます。
 
 今回は憲法9条についてのシール投票だったので、投票内容の意味について説明する必要がほとんど無かったです。若い人には、「憲法9条って知っていますか?」と問えば、ほとんどの方が「知っている」ようでしたし、「知らない」という人には「戦争の放棄を謳った日本国憲法の条文です」といえば「あぁ!」とわかってくれます。そういう点で楽でした。
 でも逆に、「疲れるなぁ」と感じるのは、年配の男性とかが、「変えにゃぁいけんじゃろうが、お前らバカか!?」と吐き捨てる方が少なくないことです。DVを地でいってるみたいな人に話しかけるのが、私はしんどいです。
 それでも、家族連れの方が子どもに話しかけながらシールを貼ってくれたり、若いカップルが二人並んで違うところに自分の意見を貼っていたりする、そんな状況には心も和みます。
 今回初めて参加してくれた友達も「楽しかった」と言ってくれて良かった。もちろん一緒に活動できたこともうれしかったです。シール投票は、シールを貼るのも・活動に参加するのも、誰もが気軽に行動できる素敵なアクションです。
 来年は、もっと実施場所が増えていくといいな、と思います。私も、どなべねっとの活動だけではなくて、もっと近所で小さな活動を、いろんな仲間と実施できるようにしていこうと、今日友達が参加してくれたことで思うようになりました。
 皆さんの地域でも、シール投票を実施してみませんか? 



奥地圭子さんの相談会に参加して

2008年04月27日 | 過去の記事
私は、3人の子どものうち二人がこちらのフリースペース旅遊で毎日楽しく過ごしていて、もう一人は家で過ごすことを選んでいますが、不登校のことではもう迷うことも無いので、相談会に参加させてもらってもいいものだろうかと申し込みを躊躇していました。しかし、参加された皆さんの話を聞きながらこれまでの自分の気持ちを振り返ることができました。
当時は、子どものことで何か言われるのではないかとドキドキしていて、学校に出向いて行ったり、先生と話をしたり、不登校を否定している人と話しをするのがいやでした。今となっては、人に何を言われてもあまり動じることも無く、冷静に考えられ、将来の不安を感じることもありません。
このように気持ちが変化してきたのは、たぶん、いろんな思いを聞いてくれる仲間がいてくれたこと、不登校を経験してきた若者が残してきた軌跡を知る機会があったからだと思います。そこで心に少しの余裕を持つことができたことによって、子どもの人生はその子自身が一番考えていると気付くことができたし、人としての価値は、どれだけ親の理想に近いかどうかではなく、今生きているそのままがすばらしい、ということに改めて気付くことができたからだと思います。
奥地さんは、「子どもにとってどうなのか」という言葉を伝えようとしていたのではないかと私は感じました。そのことは不登校に限らず、子育てや子どもに関わる全ての人にとって忘れてはいけない大切なキーワードだと感じました。

 フリースペース旅遊会員 ぶうりん


「不登校・当事者から学ぼう! ~当事者学のすすめ~」に参加して

2008年04月23日 | 過去の記事
 不登校体験者であり、「東京シューレ通信」の発行などに参加し、さまざまな活動をする経験から、「学校に行かない生き方」があることを実感してきた、『須永祐慈さん』を講師にお招きし、「当事者」の声に学ぶことの大切さについてお話していただきました。

2004年9月5日(日) 13:30~16:30
   福山市男女共同参画センター「イコールふくやま」

  主催:女性と子どもの支えあいの場「PROP]

 人は誰しも何かの当事者だという。女性という当事者だったり、交通事故の被害者という当事者だったり、あるいは加害者という当事者だったり。なるほどいろいろな角度から見れば、人はいろいろな意味での社会的弱者の立場の当事者になっているのかもしれません。その意味で言えば、私自身は、不登校の子どもの母親という当事者であり、子どもは、不登校の一番の当事者ということになります。
 とか言う私は、三人の子の親ですが、現在三人とも学校へ行っていません。初めに不登校を始めたのは、現在中三の長女でした。中一の終了間近という頃に、「お腹が痛い」と言って三日ほど学校を休み、その後は「学校へ行きたくないから行かない」と断言してから、ほとんど学校へ行っていません。
それは、本当に突然でした。クラブの新しい道具を買い、美容院へ行って髪を散髪し、お店の人に「かわいいね」と言われ、ニコニコしていた週末の休み明けのことでした。保育所のときも、小学校のときも、「行くのが当たり前」「言われたことはやるのが当たり前」と、毎日まじめに過ごしていた娘が、突然『学校行かない宣言』をし、毎日十時過ぎても起きてこない。友達が迎えに来ても顔を出さず「行かんって言っといて」と伝言を頼まれ、私は子どもの前でオロオロするばかりでした。学校や同居している祖父母には、「本人が行きたがらないので休ませます」と毅然として訴えるのですが、やはりどこか自身を持てず、問い詰められると、態度や返事は変わらないのですが、心の中は揺れるばかりでした。
それまでにも、今中一になる男の子と小四の男の子が、学校や保育所に、行きたくないときが続くことは、かなりありました。「行かなくったっていい」と、認めていた私でしたが、学校や保育所や祖父母から、責められることをかなり恐れていたように思います。わが子が学校や保育所に行かないことを先生や祖父母は、「育て方が悪い」「甘やかし過ぎ」「親の考え方がおかしい」「行かれないのならば連れて行くべき」などとまくしたてていました。そして、私自身、自分の子育てが本当に間違っていたのではないか、私の考え方が異常なのか、と悩み苦しんだりもしました。私にそう言ってくれる人の言葉の裏には、「本人は一歩踏み出せば行けるんだから」とか、「本当は行きたいと思っているんだから」という言葉が含まれていたからです。
でも、私はそのとき、自分の子育てや自分自身の考え方を否定することは、わが子が「間違った子育て・異常な母親の産物」と言われることを肯定することになる、と思ったし、わが子の一番近くで寄り添っていて、子どもの姿が「本当は行きたがってる」とか「学校や保育所に連れて行けば楽しく過ごせる」という状態にはとても思えませんでした。「学校に行きたくない」ということを精一杯表現しているように思えたのです。そして長い時間をかけて悩み苦しみ、私の出した結論は、「わが子はおかしくない。異常ではない。何も悪くない。イヤだと思うことを拒むことはむしろ正しい反応だ。」ということです。そして自分自身も肯定することができました。
ある日こんなことがあったのを思い出します。PTAの集まりの後に職員室に呼ばれ、先生方から質問攻めにあったことがあります。そのときに、先生は不登校の原因探しをしているようでしたが、どうもそれは母親としての不行き届きな点探し、という感じで、ついに先生の出された結論は、「お母さんがいろんなことをして忙しくしているから、親子のスキンシップや愛情の表現が不足しているからでしょう」ということになったのです。私は、あきれて帰ってきたものの、あまりにつらくて、テレビを見ていた子ども達に先生に指摘されたその言葉を「こんなん言われたんよ」と吐き出したら、三人揃って「有り得ない!」という言葉が返ってきたのです。なぜ学校に行かなくなったのか、これまで子どもに質問できずにいた私でしたが、子ども達の本音を少しでも聞き取ることができて、うれしい瞬間でした。また、不登校の原因は「私」ではないと断言してもらえたこともうれしかったのです。
須永さんが「子どもの本当の声を聴きましょう」と話してくださいました。本当の声を聴くことはとっても難しい。こちらが質問することは、単にこちら側が聞きたいことであって、子どもの話したいことではない。そんな質問に答えるには、子どもは相手の期待する言葉をさがして答えてくれるでしょう。でも、いつかこんなふうに突然に自分の本当の気持ちをぽろっと話してくれるのでしょうね。こちらが聞こうとして答えてもらうものではなく。  
社会的弱者の立場の人を苦しませる言葉は、たくさんあります。そしてそれは、「あなたのことをすごく心配してるのよ」というとても優しい言葉として、いとも簡単に使われているのではないでしょうか。「学校には行けなくても、社会に出られればいいじゃない」「今いやなことを避けて通るのは簡単だけど、社会に出たら、もっともっといやなことはいっぱいあるよ、辛抱する力をつけないと」…。
娘もいっぱいいっぱい悩んで考えてきました。今の自分をみつめて、将来をみつめて、過去も振り返って。でもそのことは、今の彼女にとってマイナスではなく、彼女の力になっていると感じるのです。須永さんも、フリースペースに通い始める前の二年半の年月が大切な時間だった、と話していました。娘もいつか自分を振り返ったときに「あの時間が必要だったんだ」と思えるようになるのだと思います。と、私が考えているよりも、すでに深く悟っているかもしれませんが…
わが子が不登校をしてくれたおかげで、私は、たくさんのことを考えてくることができました。「なぜ、学校に行っていれば安心で、行っていないと不安なのか」「将来のために今辛抱して生きることに大きな意味があるのか」…。これまで自分が生きてきた価値観を見つめなおす、私にとっても大切で必要な時間、となりました。世の中に流されず、自分の気持ちに素直になれたわが子の不登校に敬意を払いたい。
元不登校当事者という立場で、須永さんが不登校当事者の気持ちを話してくださったことで、私の目の前にあった霧がさあっと晴れたような気がしました。言葉や意識の中にあった暴力から解放された気がします。当事者が語る力強さが、きっと勇気をくれたのでしょう。私も、不登校の子の親という当事者として、誰かを勇気付けることができるかもしれませんね。とは言っても、何かあれば、また悩んだり苦しんだりしてしまう私です。そんな時は、「親の会」へ出かけていって、そっと思いを話したいので、みなさん聞いてくださいね。
            

須永さんは現在、「東京シューレ出版」を立ち上げられ、日々奔走されています。
               2008年4月23日 記す




「人が生きる力」を信じること

2008年04月22日 | 過去の記事
 「ぷらっとほぉむ第5号」2007年11月29日発行 あいさつより

 部屋の窓から見える山の広葉樹が鮮やかに色づいています。
数年前まで目立っていた松枯れは、他の樹々に覆い隠され、山はすっかり蘇っています。松くい虫防除の農薬では、自然の生態系を壊して虫の発生を防ぐことはできても、山を蘇らせることはできませんでした。それに比べ、自然・大地・山そのものが持っている力のすごさを感じずにはいられません。
援助とは、そのものが持っている力を信じ、何が最善なのかそのものとの心からの対話によって生みだす必要があるのだと思います。「樹のお医者さん」という人がいて、枯れかけた樹をみごとに再生するのですが、そのとき、樹に耳を押し当てて、樹の声を聴くのだそうです。どんな声が聴こえるのかわかりませんが、そんなふうに人と関ることができたら素敵だろうなと思います。
 11月は、児童虐待防止推進月間でした。メディアでは、母親からの相談件数が増えたことを、母親からの虐待が増えたかのように報道し、母親の子育て能力が衰えてきていると報道していますが、本当にそうなのでしょうか。こどもステーションの子育てひろばに参加しているお母さんたちを見ていてもそんなことは決して感じません。
 「子育てはこうでなければならない」「母親の役割」「夫婦のあり方はこうであるべきだ」専門家のこんな言葉にこれまでの母親がどれだけ苦しめられ、右往左往させられてきたことか。私たちの子育て支援のあり方も、樹のお医者さんがそっと樹に耳を押し当てるように、その人の力を信じ、声を聴き、そっと寄り添いながら支えあう支援でありたいと思っています。

 

9条シール投票実施@どなべねっと

2008年04月20日 | 過去の記事
福山駅前で9条シール投票実施します

一緒に活動しませんか?

呼びかけ文

 憲法9条 守る?変える? 全国投票 

 憲法が変えられようとしています。昨年5月、憲法改定のための国民投票法が成立し、改憲に向けた手続きは国会においていつでも開始できる状況にあります。
 改憲の核心は「戦争の放棄」を定めた憲法9条です。2005年に発表された自民党新憲法草案では「戦争の放棄」という言葉が完全に消し去られています。このことからも分かるように9条改定は、戦後60年間、日本が曲りなりにも堅持し続けてきた専守防衛・平和主義の原則を根底から突き崩す恐れがあります。その影響は単に私たちだけにとどまらず、子々孫々にまで末ながく及ぶことは必至です。
 いま政治の世界で先行している憲法改定の動きを国民はどう見ているのでしょうか。 私たちは、このことを市民の手で確かめるために、一昨年、昨年に引き続き、今年も「憲法9条 守る?変える?全国投票」を行うことにしました。
 投票は、(憲法9条を)守る、変える、わからないの3つの部分に区分けされた(一枚の)投票ボードを街頭に設置し、通りかかる市民に丸いシールをボードに貼ってもらうことによって自らの意思を表示してもらいます。この方法は最も気軽に投票してもらうことができ、効率的、かつ公正に市民の意思を確認できる方法です。
 全国投票の統一実施期間を2008年4月20日(日)~5月3日(土)とします。 このなかの都合のいい日を選んで実施してください。
 全国の投票結果は、総理大臣、衆参両院議長をはじめすべての国会議員に届けます。投票の詳細は下記のウエブサイトをご覧ください。
          http://qjyot.exblog.jp/
 全国投票が成功するかどうかは、全国でどれだけ多くの地域でこれに取り組んでいただけるか、そしてどれだけ多くの投票を集約できるかにかかっています。昨年は全国91市町・区で投票を行い、28461票を集約しました。今年は、憲法改定は昨年以上に差し迫った問題です。全国の個人、団体のみなさん、昨年を越える参加を達成するために、ぜひ全国投票に取り組んでくださいますよう呼びかけます。
   2008年3月20日
 呼びかけ人
  雨宮処凛   作家
  安斎育郎   立命館大学教授
  井口秀作   大東文化大学法科大学院教授(憲法学)
  伊藤 真   伊藤塾塾長
  伊藤成彦   中央大学名誉教授
  上原公子   前国立市長
  岡本三夫   広島修道大学名誉教授
  奥平康弘   憲法学者
  きくちゆみ ハーモニクスライフセンター/グローバルピースキャンペーン
  金城 睦    弁護士
  小出昭一郎  東京大学名誉教授
  斎藤貴男   ジャーナリスト
  高山俊吉   弁護士 憲法と人権の日弁連をめざす会代表
  寺尾光身   名古屋工業大学名誉教授
  毛利正道   弁護士
       事務局 野田隆三郎(岡山大学名誉教授) 090 6837 2425
                    tohyou9@yahoo.co.jp

デートDV防止教育活動始めました

2008年04月20日 | 過去の記事
デートDV防止ひろしま、という
 デートDV防止教育プログラムを実施するグループを立ち上げました。

 
ご存知ですか?

●DVは大人だけの問題ではありません。
 10歳代~20歳代の時、交際相手から「身体的暴行」「心理的攻撃」「性的強要」のいずれかをされたことがある女性は13.5%います。7人に1人の割合です。
 20歳代の女性に限ってみると22.8%です。4~5人に1人の割合です。(2006年内閣府)
 デートDVは身近な問題です。

●身体への暴力だけがDVではありません。
 言葉や態度による心理的暴力や性的な暴力などによって深く傷ついている被害者が大勢います。たとえば、『交際相手の携帯メールを勝手にチェックしてアドレスを消去する』『セックスを無理強いする』『別れるなら自殺すると脅す』など

●DV加害者の多くが若いころデート相手にも暴力をふるっています。
 身につけてしまった暴力のパターンを変えるのは大変なことですが、デートDVが起こる前に、対等で尊重し合う健全な関係について学ぶことで、DVを未然に防ぐことができます。

●知識を得ることで暴力から離れることができます。
 デートDVの被害者の多くは、自分が暴力の被害者であることを認識できていません。暴力を受け続けることによって自分を責め、孤立し、どうすることもできないと感じてしまいます。それが暴力の恐ろしさです。

●デートDV被害者が初めに相談する人の多くは「友人」です。
 その友人がデートDVを理解していないと、被害者は2次被害を受け、さらに傷つきます。学校やサークルでデートDV防止教育を実施することが、被害者を支える役割の友人にとっても非常に有効です。
また、自分への不当な暴力を解決するために、大人の援助を求めやすくなります。

 ぜひあなたの地域に・学校に呼んでください。


祝 成人

2008年01月05日 | 過去の記事
福山市では、1月14日に成人式がとりおこなわれます。
新しく成人式を迎える皆さん、心よりお歓び申し上げます。

オギャーと生まれてからの20年間って、本当に貴重で思い出のいっぱい詰まった時期ですよね。
そんな時期を一人一人、幸せに過ごしてくることができたのでしょうか。
いろんなことがあったのでしょうね。
それでも、無事に成人を迎えることができるというのは、なんと感慨深いことなのでしょうか。
みんな、ずっと幸せに生きていってほしい。

今、社会は、若い人たちにとって、とても生きづらい社会です。
仕事が無かったり、正規の雇用が無かったり、賃金が安かったり・・・。
こんな社会を創ってしまった私たちおとなをどうぞ責めてください。

でもこれからは、一緒に、もっと生きやすい社会を創っていきましょう。
軍事費なんかにお金を使わずに、教育や福祉や医療に税金を使う社会にしていきましょう。
誰もが安心して、病気をしたり、年をとったり、仕事を変えたり、子どもを産んだり、離婚したり、結婚したり、できるように。
誰もが自信を持って、自分らしく生きられるように。
誰もが自由に、自分のやりたいことを選ぶことができるように。

私たち一人一人の命と人権を大切にする社会を創っていきましょう。

それは、私たちのために、子どもたちのために、そして、あなた自身のために・・・。