読み直し。
20世紀はなんだったのかというと、人のあるべき場所を見失ったということではないかと。ニヒリズムと言っているが、人がかくあるべきという姿が、合理的経済人的であることを求められているというようなところがありまして、正直にありたい姿で生きることが難しくなった時代ということかなと理解しました。
そういう中で、大量生産大量消費みたいな経済的成功があるが、その結果ナショナル的な意味や人間的な何かが失われたということかと。マクドナルドに行って食事をすることが本当の食事の意味なのかと、そういうことを問われているなと感じられた。
私はそれはそれでいいと思うが、確かに我々東京にすまう人間にとってみれば故郷を消失しているということでもあり、そういう意味で差異がなくなっていくというところが原資になって、世の中の経済が回っているという考えを若い頃もっていたのだが、まさにそれを感じた。
だが、これが繰り返せるのかというと、アメリカでフロンティアが失われていったように、世界からもフロンティアは失われていくだろうし、ここでやはり、大量生産大量消費ではない、経済の発展の仕方させ方を模索しないとならない。
もしかするとスマートフォンというのはその最後の一つになるかもしれないわけだが、大量生産大量消費ではない経済発展を遂げる。つまり労働者の所得を上げながら欲しい何かを与える、そういうことを作っていかなくてはならない。何が世界から変えていけるのかなぁと。真面目に考えていくとかなり厳しいものがあるので、ここらで考えるのを一度やめて、現実に向き合っていきたいなと感じているところです。