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逆説の日本史 25: 明治風雲編 日英同盟と黄禍論の謎

2020-08-11 19:27:55 | BOOKLOG
 
井沢元彦さんの書籍、逆説の日本史、ついに25巻。日露開戦直前まで来ました。
しかしながら、井沢先生の歴史学者への批判が止まらない感じ。呉座さんが、井沢さんの本書の説に対しての否定があったとして、反論を述べておられました。
なるほど、井沢先生のおっしゃることもわかる、例えば飛鳥時代の名称を変えるとか、日本的宗教観である言霊信仰怨霊信仰話し合い主義ということは、けして論として誤ってはいないものの、井沢先生のおっしゃる通り常識を理解して動くことが難しいということなのであると感じております。
これまでの事実を地道に検証して、真実を導き出すことは重要で、これはつい最近になってすごく進歩したように感じます。
それ以前までの歴史としての二次史料以下のベースでの定説化や忠臣蔵のようなフィクション影響による定説化を変えるためには結果的には、一次史料から解析していくしかなく、実際井沢先生のおっしゃるとおり「常識的なことは記録しない」ので一次史料にないとなっていく、ないことを証明する状況になっていて、これは悪魔の証明になるかと。
歴史学者のみなさんも何かやはり思うところはある人もいれば、ただ目の前の史料や史跡にしか興味がない人もいるだろう。そういう中で歴史学会とひとことで攻めても致し方ないと思う。私が思うことは、井沢先生も証明したいことを一次史料を持って説明しない限り、歴史学者の皆様を説得できないことだということ。
ただ、それを実現するために仮説を提示し、それを信じさせることが重要なのであって、そこで井沢先生は生きている間に認められるということは諦められたほうがいい。あるいは我々のような単なる歴史好きに認められればよいではないか。と思うのである。
定説を変えるためには、トロイア戦争の実在を証明したシュリーマンを生み出すことが井沢先生の仕事なのだとボクは思っております。
私自身は井沢先生のおっしゃっていることは歴史学から認められることではなく、日本人全体が理解して、課題だと思うことであり、そのためにはけして歴史学をベースにすることはないのではないか。それこそ道徳にちかいようなものと感じる。
ただ、その課題を課題として認識させ、より良いものにしていく道筋をみつけていきたいと。そう思うのであります。
また、それ以前の問題として、デジタル書籍化を先行して、時代を変えていくことをまずやっていくべきお人であるべきでは、と思うのです。(20巻以降は紙の本を買わされて納得いってないのです)

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