クラムとジジイの泣き笑い

一人暮らしのジジイが、Mシュナを飼う事にになった。小型犬故、寿命は、20年か?私は90歳まで長生きしなければいけない。

老人性乖離 8(荒金均の場合)

2013-03-31 11:23:32 | 日記
クラムが、今朝小粒のウンチを1個した。まるでウサギようだ。大きさもウサギ大だ。それでも肛門は汚れる。洗う手間は一緒だ。バーヤロウ!どうせなら大量に出せ。

老人性乖離

利夫には稼ぎが無い。その上趣味はギャンブルである。パチンコ、競輪、酒に、女、飲む、打つ、買うの強者だ。保子がいくら稼いでも追いつく筈がない。それでも惚れた弱みで昨日5万円、明日は3万円と、貢ぐのだった。当然店の支払いは滞る。利夫は、貰える金が少なければ、不機嫌になり家へは帰ってこない。利夫は、その当時、3人の女を、同時に転がしていたのだ。長身で、丹精な顔立ちにプラスして利夫には絶倫という武器まで備わっていた。保子は利夫の手練手管に翻弄されて借金につぐ借金を重ねた。客におたねごかしをいって金を造り、場合によっては身を売って12年間は何とか、持ちこたえてきたが、ヤミ金に手を付けると、後は落ちるだけだった。連日連夜返済に追われ、時に、取り立て屋の紹介する客を取らされたりもした。そのうち利夫は女の一人とT県に逃げた。居所を突き止めた保子は有り金を叩いて利夫を追ってN市に織り込んできたのだった。そして、ようやく連絡を取り付けて、K線の新N駅で待ち合わす事になっていた。利夫はそこに金を持って来る事になっていたが2時間待ち、3時間待っても姿を見なかった。可愛い娘が飢えているのだ、まさかスッポかされるとは思いもしなかった。電話は不通になっていて通じない。仕方なく、死おも覚悟して海岸をめざした。トボトボ歩いて、とうとうあの時間に明かりの点
いていた処理場に辿り着いたのであった。

老人性解離 7 (荒金均の場合) 

2013-03-29 20:59:17 | 日記

クラムの写真は座っているものが多い。それは“座り込み症候群”の発作時を撮ったものだからなのだ。この頃は散歩にならない。1㌔歩くのに1時間を費やす。歩数にして3000歩に過ぎない。治療してやりたいのだが、検査を受けても悪い所ない。なぜなのだろう。判らん。
老人性乖離7
均は2年前に、3年介護した母を亡くして、ヤモメ暮らしであった。だから保子たち親子の側さえ問題視しなければ、彼女らを部屋に迎えてもなんの支障もない。それに団地という住宅は無干渉住人の巣窟である。ドア一枚隔てるだけで隣人の顔も何をする人かさえも判らない。均は、その旨を親子に告げ部屋に招じ入れた。親子は、同郷のB市出身と言う事もあって、忽ち打ち解け、今日までの、来し方、顛末を聞かされた。保子は、男好きのする顔立ちであった。彼女もそれを意識していて美貌を武器に、O市の繁華街で、飲み屋を経営していた。客あしらいも悪くないので、そこそこ繁盛していたのだが、客の石川利夫とねんごろになったのが躓きの基だった。利夫は日本人離れした長身で眉目秀麗な男であった。保子は忽ち、のぼせあがって、同棲を始めた。だが利夫は、その界隈で“種馬のトシ”と異名を取るドンファンで、女の間を点々としながら、貢がせるのを生業としていた。間もなく将来、絶世の美女を、思わせる女の子が生まれた。春菜は両親のいいとこ取りして誕生してきたのである。


貯め糞しない

2013-03-29 10:43:42 | 日記
狸のため糞は有名だが、たいていの動物は同じ場所で排泄する。犬も概ね同じ場所でするようだ。今まで飼った3匹もそうだった。しかし今度のクラムは違うのだ。その日、その日で、糞の排泄場所が違う。出たとこ勝負である。交差点の真ん中で、やりはじめたら、どうしようかと何時も危惧している。基本的には邪魔をせず、気持ちよく排泄させてやりたいから、リードを引っ張ったりしたことはない。それが、今朝、とうとう踏切の真ん中でやりはじめたのだ。少々慌てたが早朝だったし、電車の通過には余裕があったので、糞の処理は完了できた。それでもタクシーを始め2台の車が通過していった。

老人性解離6
保子との出会いは、1994年、12月の寒い晩であった。均は下水処理場に勤務していて、4日に一度の夜勤をこなしていた。広い処理場ではあるが夜間は3人で、不寝番を務めるのだ。機器の運転をコンピュウーターで管理し、家庭や工場から流入してくる汚水や雑排水を浄化するのが仕事であった。その日、均は場内の定時巡回から制御管理棟に帰順した時、玄関に不審な女性が10歳くらいの女の子を連れて、立っていた。それが保子と春菜であった。聞けば、ベンチでいいから一晩明かさして欲しいと言う。金も無く行く所もないのだとの事だった。関係者以外の立ち入りは禁止されているが、外は凍えるような寒さである。追い出すのは気の毒であった。そこで、均の一存で、自分の知り合いと言う事にして、監視室に連れて行った。同僚の了解を得、買い置きのインスタントラーメンで軽く食事を取らせて、仮眠させることにした。この部屋ならコンピュータの熱気や屋内暖房も行き届いているので寒さは凌げる。翌朝6時にほかの職員が出勤してくる前に均の車に移動させ、業務終了時間まで、再び仮眠させた。均の住まいである団地に連れ帰り詳しい事情を聴くためである。

フラストレーション

2013-03-28 10:51:57 | 日記
今朝の散歩は、散歩にならなかった。クラム“座り込み症候群”の発作がひどく、30分で切り上げてしまった。どこが悪いのだろう。フラストレーションがたまる。クラムはもっとだろう。

老人性解離5
春菜は、あれほど忌み嫌っていた義父との同居に、なぜ拘るのだろうか。彼女の母親、保子と結婚したのは1995年で、均は54歳であった。その時春菜は12歳の思春期であった。
彼女の実父高井靖夫は長身で美男であり、女癖の悪さをのぞけば、自慢の父親であった。他方、均は、愚鈍で胴長短足、見映えのしない事しきりであった。均も若い頃、人並みに恋をし、一人の女性に愛を打ち明けたことがあった。その時の返事が「バカにしないで。」であった。均は面食らって、オロオロするばかりであったが「あんたに愛を打ち明けられたら、私のプライドが傷つくのよ」という意味であることを後で知らされて、唖然としたもだ。その一件以来、均は、恋愛には臆病になってしまった。好きな女性が居ても恋愛の入り口で拒否され発展のしようがないのだ。それゆえ54歳まで独身を通していた。事ほど左様にミテクレの差は歴然としていた。春菜にはそれが許せず、均を父と認めるには抵抗があったのだ。つづく

脱糞時が悲惨だ

2013-03-26 22:29:01 | 日記
昨日のクラムは“座り込み症候群”の発作を起こさなかった。ただ、ベタベタとやたら甘えてきた。やっぱり、身体の何処かが悪いのだろうか。クラムは草を食うのが下手だ。いつも中途半端に食うせいか、胃液を吐き出すに至らない。その結果が、糞をする時に惨めな状態で現れる。消化しきれない草の半分が肛門の中から出てこない。そして出ている半分に糞の塊がぶら下がっている。いきんでも出てこず、進退窮まる。だからワタクシ奴が引っ張りだしてやるのだ。
老人性解離4
春菜一家との家計を分離していなかったのが間違いのもとであった。今思えば亭主の利夫が転がり込んできた時が、別会計を切り出すチャンスであった。失業中で金もなかろうと、就職が決まってからきりだせば良いだろうとの、均の善意が逆手に取られた気がする。孫たちの就学問題も係わって来るし、住まいが決まるまで地元の小学校に転校させて、利夫の就職をまった。その間、均の安い年金で、春菜一家の生活を丸抱えする結果となったてしまった。春菜を始め利夫までが、その境遇を甘んじて受け入れてしまい、羞恥心すら見せない。その上彼らの金使いは荒く、均の財布が、早晩、干上がるのは自明の理であった。均の留守中に訪れるセールスからはすべて買い入れてしまう。「ミソを買いました。お父さん好きでしょう。」1㌔g3900円である。均は目を剥いた。どんな味噌なんだ。スーパーでは銘柄の違いはあるだろうが、750g280円で販売している。1年分のミソ代だ。「牛乳を2リトル月契約しました。」誰が飲むのだと聞けば、育ち盛りの孫たちだと言う。じゃあ会計は、そちら持ちだなと念押しすると、「親子の間で硬いことを言うな」とのゴ託宣だ。「新聞をの購読契約をしました。払ってください。」均はもう30年新聞の購読はしていない。以前のように必要としないし、TVやネットで充分間に合う。「俺はいらんぞ。」と声を荒げると「求人欄を役立てたいので頼む。」と引かない。利夫の就職がきまったのは、同居が始まって半年経た9月だった。しかし安月給のため「別居はもう少し待ってくれ」となし崩しになろうとしていた。