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本を読む (坂の上の雲全8巻 by 司馬遼太郎)

2012-08-29 22:55:45 | 読書

NHKが途切れ途切れに放送した「坂の上の雲」の冒頭に流れるナレーション

このながい物語は日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。
…のぼっていく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみみつめて坂をのぼっていくであろう。

改めてこの文言を目にして自然に涙がダラダラと。本を読んで泣くのは…覚えがない。

この本を最初に読んだのはいつの頃だったんだろう。
ちなみに、手元にあるのは文春文庫のもので、2002年6月5日の第10版。これ以前に読んだ記憶があるので、それは実家の書庫に眠っているのかと。いうことは、例によって複数冊を所有していることになる。
以前読んだときは、「司馬遼太郎モノ」なんだからで、ある意味シンパであるが故に読まなくてはいけないという一種の義務感で読んだ訳で、いまひとつ…。しかも自分の得意とする戦国時代ではないので、途中休憩を挟みつつ読みましたが、今回は楽しかった。

読んでる最中色々ありまして、顔見知りのおっさんに司馬遼太郎全否定された(笑)。
「私は大っ嫌いなんですよね、まるでその場に居合わせたかのように描くでしょ、アレがイヤなんですよ、私は何でも知っていますみたいに描くのがね」
色々な捉え方がありますな。しかし、作者がその場に居合わせたかのように描くのはある意味当たり前のことではないかと思うのだが、そうでないと読者の共感を得られない…もっと淡々と描けということなのだろうか?
まあアレだ、我が「ノルウェイのなんとか」とか、「秘密」のようなものを「おやじの妄想」と決め付けているのと同じことだな。

昨年末で、NHKの坂の上の雲が終了しましたが、面白かったです。ちなみに、乃木はキライです、司馬氏もお嫌いだと思います。柄本明が画面に映るたびにチッなどと言っていたのは我です。それだけ、柄本の乃木がはまっていたということか。
ところで、このドラマの感想がYahoo!かどこかにあり、ちょいと気になったのは、
「司馬氏はこの映像化を望んではいなかった=従ってこのドラマは作成すべきではなかった」
「愚行である」
「短慮である」
というものでした。まずそれについて。

司馬氏が亡くなったのは1996年。既に16年も経っていることにイマサラ気づきましたが、まあ、ざっくり考えて20年前に司馬氏はこの話の映像化を望んでいなかったということにします。
あとがき集は昭和44年となっておりますので、1969年?ナニソレ?ウルトラマン?セブン?ゴジラとかモスラの時代か?当時の映像技術がどの程度であったのか、多分ワイヤー丸見えだと思うし、16年前にしても、パソコンが会社の全員にいきわたっていましたか?って時代ですね。
以降、特撮、CGの技術も、今の映画、ゲームやアニメを見れば、諸々どれだけ進化したかは一目瞭然だと思うんだ。
司馬氏は20年前の、20世紀の技術による映像化は望んでいなかったかもしれないが、21世紀のこれならまあOKかなと私は思うんですがね。あのビジュアル化された2次元があったため、改めてこの全8巻を読み返す気になった訳だし、司馬史(志?)観を再認識するためにも有効だったと思う。
立体的なものを目にすることで、今までこうなんというか、ちょっとうっとうしく思っていた司馬氏独特の歴史的Background解説というものも、比較的すんなり理解できたしな。

とりあえず、この本を、
今の政治家に今、是非読んでいただきたい。近代黎明期の日本がどのように歩んだか、その道程が正しい部分もあり間違いだった部分もあり今日に至っている訳なので。
ホントに、今の政治家はどうなっているんだと、心から思いました。帝国海軍の礎を作った山本権兵衛が、薩摩藩海軍要人のリストラをする時、
「功労者は、勲章をやればいいのです。実務につけると、百害を生じます」
と言い切っているのがよいです。と毎回同じようなところに感じ入るんだ
なと思ったのは、海音寺潮五郎氏の「戦国風流武士」でも同じような表現があり、同じように喜んでいたからです。浅いな、我は。

ってナニを書きたいのか、グダグダになってきたので、一旦終了!!


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