大体いつも書いている最中でわやわやになってくるので、まあ頭スッキリさせて再び。
幾つも出版されている司馬遼太郎文学の中で、実は司馬氏が最も描きたかった話は、これなのではなかろうかと思った訳です。
残っている資料が多いということもあると思うが、全くの想像…というと語弊があるけれど、例えば資料のみで描く戦国時代の話とは一線を隔し、この話の中で司馬氏は何人かの当事者、砲撃手であったり(だっけ?)、島の人であったりと実際に戦火をくぐった人に話を聞いている。ということは、司馬氏はある程度、実際にこの明治時代を生きた人たちと時代を共有できたんじゃないか。そして、この時代の「生き証人たち」の代弁者という立ち位置でこの物語を書いたんだな。
更にその中でも書きたかったことの1つが、名もなく死んで行った人々、例えば中島文弥三等兵曹であったり、池田作五郎二等水平のような人たちの記録を残すべく書いたのではなかろうかと。司馬氏がこの原稿を執筆中の1972年、86歳で「矍鑠たる印象」を持った、片山三平氏という、いわゆる市井の人々が「日本という国家を作った」戦争に何らかの形で関与していたという記録を残したかったのではないかと。
国の記録ではただ単に時間の中に埋もれてしまう人々も、司馬文学の中に名前を刻むことで、我々市井の者たちにも当時の人のありようを知らしめる結果になるのだろうと解釈したのですよ。
同じようなことをこれは小説ではないという類のことを司馬氏本人があとがきの中で書かれているので、この話は、なんだろう、後世に残さなくてはならない「戦記」を史実のままに積み上げたものだろうと。
そして、下世話な話です。テレビの配役について。
乃木大将の柄本明がメチャハマっていたと言いましたが、高橋英樹 as 児玉源太郎は児玉が非常に小柄だったという話でしたので、桃太朗侍は如何せん堂々としていたように思いましたが、児玉の質量ということなら、まああのくらいの容積かなと思うのです。
今、ふと思ったんだけど、司馬氏が「映像化は不可」と言ったのは、人間の配役に対してなのか!!そうか、それだったらなんとなく分かるぞ。阿部寛 as 秋山好古は納得できるが、変人の誉れも高い秋山真之のもっくんはどうだったんだとか。
香川照之 as 正岡子規はナニがアレかって、帝大受験時、正岡が英語が全く分からんような発言をしていまして、イヤイヤあんた(香川)は東大卒だったよね!!!この日本の最高学府の試験を突破したお方ですよね、コレは他の出演者に対するイヤミなのか?なんてことも考えたりしました。小澤征悦 as 夏目漱石の従兄弟の小澤健二も東大卒だったよな…的なことも考えてました。
石●さとみは不要だったように思われます。いなくてもOK!!
最もあっているように思えたのは、米倉斉加年 as 大山巖でした。あのこんもりしたところがああ、大山だなーと。
それから、主題歌はやはりサラ・ブライトマンが白眉!!2部からはなぜか白石譲の娘になりましたが、残念の一言。全然声質が違うだろう。あの透明感!予算が足りなくなったと推測される。
と、もんくを書きはじめたところで今日もキャパがいっぱいになった脳をリセットしたいと思います。続くかどうかは…なんか書いてないこともあるようだけど、そんなわけで。
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