ころがせ複勝!

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本を読む(義経 by 司馬遼太郎)

2010-10-18 22:22:20 | 読書
最近本を読んでいないじゃないかという話。読書の秋なのか?秋深しって感じでは全くなく、最近23:30くらいには眠くなって撃沈するパターンが多すぎる。かと言って朝早く起きられるわけでもなく、8時間、1日の1/3は睡眠時間に充てているし。

ま、そんな中でも読んでいる本はある訳ですが、久々に読むと、以前読んだ時と全く違った感想を持つ本も多いです。

非常になんというか混沌としている平治の乱以降鎌倉幕府開闢以前の日本。
源九郎義経、源頼朝の弟です。かなり淡々と私情を挟むことなく、司馬遼風史実を書いていますが、後白河上皇目線で書かれているような気がします。

義経は京の五条大橋の上で武蔵坊弁慶をこらしめて(笑)家来にすることもなく、屋島の合戦で八艘跳びをすることもありません。

源頼朝は結局、伊豆で挙兵したものの最前線で指揮を執ることなく鎌倉で一喜一憂していたとか、北条氏は頼朝を使って一族を強大にしようとしたとか、奥州藤原氏は自分の土地の安寧を考えていたとか、義経はただ父親を殺された復讐のためにのみ戦っていたとか、後白河上皇は天皇家を存続させるために強者を見極めていたとか。
それぞれの立場の違い、考え方のギャップが争いの元であるのは今も昔も全く変わることはなく、気に食わないヤツがいたり、己の利のため昔は大量殺戮が日常茶飯事で行なわれていたという非常にプリミティヴな世界だったんだよ~ということなのか。

司馬氏の描く義経像は、戦いには優れていたが、政治的能力は皆無、好色なヤツです。なぜ、兄の頼朝は自分を愛してくれないのだろうと考えていたようですが、この話を読むと誰にも感情移入することなくというかできず、第三者的に物語を読み終えることができます。
全員変だった!まともだったのは二位の尼と、大体女性陣はまともだったかな。
しいていえば、後白河上皇はなんとなく物見高い人っぽくて共感できる。弁慶も許容範囲。

義経に共感できることがあったのは、
「常法は殿輩が守られよ、私は常法よりも勝つことのほうが大事である」
と言っていたことか、当たり前のことだが当時は美しく戦うことを要求されていたらしい。
壇ノ浦の戦いもイケイケで戦ったのかと思っていたんだけど、義経は潮の流れも研究していたというので、緻密な研究も必要なのだと思いました。今では敵のリサーチなど当たり前の話なのだがね、愉悦愉悦。

「話が進むにつれ、どんな最期か分っているだけに読むのが辛い~」
と友人が言ってましたが、そうか?我には必然にしか思えなかったのですよ。
人によって感想って異なるんだなーと思った逸品。
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