
いつの話だって感じですが、読みました安国寺恵瓊です。
恵瓊って書けませんでした、しかも瓊の字が分かりませんでした、慶か?と思った残念なオレ。実は漢字苦手だった。だから、中国文学科でありながら、三国志が専門でありながらパープーなんだ。漢字のせいにしてるけど、カタカナもパープーだ。要するに人名が分からないんだ。これは、学習障害ではないのか?まあいいや。
関ヶ原の合戦あたりを読むと確実にこの人の名前が出てくるけれど、毛利家の僧であり西軍に加担して敗戦、六条河原で斬首という以外、この人物に対しての書籍を読んだことがなかった。出自もはっきりしていないのだが、安芸武田氏の末裔という説と自称末裔という説と。
そういえば、戦国時代に流行った職業にFamily Tree Creator...なんだっけ、えーと「家系図製作者」だな。豊臣秀吉のように明らかに出身が"百姓"という人たちが家系図をそれらしく書かせて、それをそれっぽく構成することで生計を立てていた人々がいたので、幾ら
「うちは鎌倉時代から続く由緒ある家系…」
確かに、その家系図は素晴らしいが、信憑性は…。まあいいや。
そんな安国寺恵瓊の成り上がりの生涯の物語である。
最初の理解者は毛利元就さま。やはり大国を治める者は清濁併せ呑める人物なのだよ。その長男隆元⇒小早川隆景と毛利家の"柔"系が恵瓊を擁護する。これに反対するのは"武"系の吉川元春。
恵瓊は巧に時の権力者の下に付くように毛利家をリードしていく。これは毛利家訓なのか、
「毛利は天下を望まず」
を巧く手の平で転がして引いては毛利家を転がして、戦乱の世を渡って行った。
中国へ駒を進めようとする信長は本能寺で横死を遂げる。明智光秀から放たれた密書を偶然にも手に入れ、それを切り札に、秀吉を高松城から手をひかせる。ああ、そういう解釈もあるんだなと。
外交ができる人というのは、先見の明があって、ブラフをかませる人なんだろうなと思いました。
年をとった元春さまが、文禄・慶長の役で小倉城に詰めて、そこで毛利の行く末を案じつつ、恵瓊の姿勢をとがめつつ亡くなったのはなんというか、気の毒としか言いようがないな。秀吉の朝鮮出兵がホントにムダなことだったと…もっと国益が上がるようなことしろよと恵瓊とは関係ないのだがそんなことを思ってしまいました。
生臭坊主って、どんなのを定義するんだろうか?人を殺してその魂を鎮めるというマッチポンプなのがそれだとすると、恵瓊なんか生臭中の生臭だろうな。ただ、魂を鎮めたかということになると疑問だが。
袈裟を纏っていたら人徳者ってことではないよな…。
って感想で。
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