以前は中区に住んでいて実は国際市場は本当によくいきました。
そこで日本語を教えていた時期もあって、国際市場に関連した人にいろいろ会いました。
ある学生さんが国際市場の人は頑固で、融通がきかず、再開発しようにもうまくいかないと嘆いていました。
その理由もわかったような気がしました。。。
ネイバーの辞書で調べると。。「国際市場」とは国際旅客ターミナルのある中区にある大きな市場で、日本の統治時代には日本人居住地だったそうです。1945年、韓国は日本の統治から解放され、当時住んでいた日本人は日本に帰っていった。その空き地を利用して戦時物資を売ったり、韓国動乱後は北からの避難民が商売を始めるなどして、市場は大きく発展していったそうです。また、米軍の軍用物資とともに密輸入された物が、この闇市を通じて全国に供給されたといいます。
国際市場といわれるのは韓国も品だけでなく、いろいろな輸入品が扱われていたからで、機械、工具、電気・電子類、厨房器具、衣類などが卸売価格で扱われています。市場は長い2階建ての建物がいくつも連なり、初心者は迷子になりやすい。2007年の統計では1500店舗ほどだったとされています。
現在の国際市場は、再び活気を取り戻しているように見られます。
観光特区中区にあり、観光客が必ず行く、龍頭山公園やBIFF広場、チャガルチ市場に近く、クルーズ観光客も団体で訪れています。
数年前は地元のおばちゃん(わたしも?)に混ざり、旗を掲げたガイドさんと団体行動する日本人観光客をよくみかけましたが、今は中国人観光客と韓国人観光客がいっぱい。
国際市場の周囲には徒歩でいける範囲に富平カントン夜市や、チョッパル(豚足)通り、光復ファッションストリート、チャガルチ市場、宝水本屋通りなどなど大きな商圏をなしています。
私が良く利用していたのは、文房具で、一般の文房具屋で買うよりもずっと安く購入していました。日本のお味噌やお菓子、ヘアカラー、小物類などもカントン市場で見かけられ、よく利用してました。
ついつい前置きが長くなりました^^;
映画は今から60年以上昔の韓国動乱で、釜山に避難する際に離れ離れになった家族を中心に描かれていました。小学生と見られる主人公の父親から任された「家長」としての責任を生涯守りつづけて行く姿がとても感動的でした。
そして、なぜ店の主人が今の店を手放したり、再開発を拒むのか、その理由がわかったように思いました。もちろんみんなではないかもしれませんが。
ただ、釜山なまりがものすごくて、標準語しか学ばれてない方には深いストーリーは理解しがたいかなと思います。
外貨を稼ぐために看護婦として、炭鉱の労働者として、ベトナムへと、家族のために命を削って生きてきたがために、今の韓国があるんだなあともつくづく感じました。
単に市場としてみていた国際市場に、今はちょっと遠くに引っ越したけど、また行ってみたくなる映画でした。
あらすじ
「最も平凡なアボジ(父親)の最も偉大な話」
1950年代の韓国動乱以降から現代に至るまでの激変の時代を生き抜いてきた今の時代の「アボジ」、「ドクス」(ファンジョンミン)、彼はなりたいものもやりたいことも多かったが、生涯一度も自分のために生きたことがない。「大丈夫だ」と笑ってみせ、「よかった」と涙を隠し、苦労したその時、その時代、ひたすら家族のために生きてきた我々のアボジの話
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