東京帰りのUEPYは、
昨日日曜日、これまた弾丸で能登へ帰っていた
忙しすぎる女である(llllll゜Д゜)
土曜日の朝7時半頃、電話が鳴る
なんやーと寝ぼけ眼で出ると、金沢の従兄だった
「○○が亡くなったぞ」
えええーーーーΣ(  ̄ロ ̄lll)
6つ年上の従兄が亡くなったのだった
胃ガンだったらしい
ちょうど1年前ぐらいに従兄と一緒に能登へ帰ったときに
手術をしたと聞いて、でも元気そうで安堵してたのに
UEPYは小さい頃からよく田舎に預けられてたが、
その時よく面倒を見てもらっていた
3つ上の金沢の従兄はやんちゃ過ぎるので、
いつも見守ってくれてた気がする
やさしい従兄だった
昨年の叔父が亡くなった時のパターンで
金沢まで行って従兄の車で能登へ行き、
金沢で泊まって、翌朝始発で大阪へ帰ってそのまま会社行くか・・・と
弾丸旅行を計画してると、
今回はだんなも顔を出したいと言う
ということで、車で行くことになった
嫁は運転できないので気楽である
最初に「昨日寝るの遅かったし、寝ちゃうかもしれない」と
断って、爆睡してまうzzz
お気楽すぎる嫁である(;¬_¬)
8時前に家を出て、能登に到着したのは2時頃
ちょうど納棺に間に合う
従兄に「こっちこっち」と前に押し出されるが、
顔を見て胸がいっぱいになる
早過ぎや
おっちゃんやおばちゃんもご健在なのに
ほんまに早過ぎや
奥さんが気丈にふるまう姿に、涙がこみあげる
お年よりのお葬式は、あきらめがつくけど(こんな言い方ごめんなさい)
若い人のお葬式は、ほんとに悲しくて、つらい
ご家族の悲しみはいかばかりだろう
順番は守らんとあかん
従兄のお兄さんが言う
悲痛な面持ちでいてると
「○○ちゃんの娘さんやね??○○ちゃんは元気かいね??」
とたくさんの人に声をかけられる
私は母にそっくりなのだ
母の同級生の人や、父の同級生だと言う人、皆さんお元気
認知症の母を思い出して、人生って残酷だなと思う
同じ年でもお元気な人もいれば、あかん人もいる
この分け目は何なんだろう
いろんなあったかいやりとりが心にしみる
母が認知症になってからは
こんな風に普通に会話を交わすことはできなくなったし、
涙が出るほどあったかい
「そろそろ、仕事辞めて、のんびりせんね?」と
金沢の従兄にまた誘われる
あはは
それは、こっちに聞いてーと、だんなに振ると
だんなが
「飛び回ってて、全然家にいないですよ」とため息をつく
あ、そうだった
私が好んで、飛び回ってるのだった(;^_^A アセアセ
おっちゃんやおばちゃんも気になるし、
また顔をださないとね・・・
お通夜を済ませて、家路に着く
金沢の回転すしで、ぶりやぶりとろやホタルイカや白えびさんの握りをいただく
めっちゃおいしーーー
だんなは嫁のあまりの食べっぷりに驚いてる
考えてみると、朝から
サービスエリアで朝定食、
お昼は能登でピカ丼(卵丼に天かすが入ったもの)とうどんのセット
で、夜はお寿司と、糖質三昧
がっつり食べている
「おれより食べてるーー( ゜_゜;)」とあきれられる
まーねー、
寒いところへ行くときは、燃やせるようたんと食べとかんと(食べ過ぎ??)
というか、忙しすぎて
こんな風にだんなとべったり一緒にいるのも久々過ぎる
嫁失格かもしれん
家族は大事にせんとあかんね
今更ながらそう思う
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能登の海は荒れ荒れ
時々みぞれ?雪が舞う
東京行きの富士山とは打って変わって
きびしい、寂しい光景
でも、UEPY、実はこういう荒波の海が好きなんだな・・・
ちっちゃい頃、よく高波見に行って
時々波かぶったりして、おばあちゃんに怒られたけど
波を見てるのが好き
だんなにあきられるぐらいばしゃばしゃ写真を撮る
あやしすぎる女
かと思うと、また爆睡してるしzzz
ほんと、しょうがない嫁だが、
ちょっと助かった
一人だったら色々と落ち込んでそうだもん
金沢の従兄は
「今夜はまた飲もうと思っとったのになあ」と笑ってたが、
たまには、だんな連れもよかったかもしれない
大阪にたどり着いたのは午前2時
お疲れ様でした・・・
ってことで、嫁は今日はまじめにご飯作っとります
たまには、だんな孝行しとこう
やらんとあかんことはたーんとあるけど
まずは、家事やろう
ってことで、洗濯機回します(^^)
昨日日曜日、これまた弾丸で能登へ帰っていた
忙しすぎる女である(llllll゜Д゜)
土曜日の朝7時半頃、電話が鳴る
なんやーと寝ぼけ眼で出ると、金沢の従兄だった
「○○が亡くなったぞ」
えええーーーーΣ(  ̄ロ ̄lll)
6つ年上の従兄が亡くなったのだった
胃ガンだったらしい
ちょうど1年前ぐらいに従兄と一緒に能登へ帰ったときに
手術をしたと聞いて、でも元気そうで安堵してたのに
UEPYは小さい頃からよく田舎に預けられてたが、
その時よく面倒を見てもらっていた
3つ上の金沢の従兄はやんちゃ過ぎるので、
いつも見守ってくれてた気がする
やさしい従兄だった
昨年の叔父が亡くなった時のパターンで
金沢まで行って従兄の車で能登へ行き、
金沢で泊まって、翌朝始発で大阪へ帰ってそのまま会社行くか・・・と
弾丸旅行を計画してると、
今回はだんなも顔を出したいと言う
ということで、車で行くことになった
嫁は運転できないので気楽である
最初に「昨日寝るの遅かったし、寝ちゃうかもしれない」と
断って、爆睡してまうzzz
お気楽すぎる嫁である(;¬_¬)
8時前に家を出て、能登に到着したのは2時頃
ちょうど納棺に間に合う
従兄に「こっちこっち」と前に押し出されるが、
顔を見て胸がいっぱいになる
早過ぎや
おっちゃんやおばちゃんもご健在なのに
ほんまに早過ぎや
奥さんが気丈にふるまう姿に、涙がこみあげる
お年よりのお葬式は、あきらめがつくけど(こんな言い方ごめんなさい)
若い人のお葬式は、ほんとに悲しくて、つらい
ご家族の悲しみはいかばかりだろう
順番は守らんとあかん
従兄のお兄さんが言う
悲痛な面持ちでいてると
「○○ちゃんの娘さんやね??○○ちゃんは元気かいね??」
とたくさんの人に声をかけられる
私は母にそっくりなのだ
母の同級生の人や、父の同級生だと言う人、皆さんお元気
認知症の母を思い出して、人生って残酷だなと思う
同じ年でもお元気な人もいれば、あかん人もいる
この分け目は何なんだろう
いろんなあったかいやりとりが心にしみる
母が認知症になってからは
こんな風に普通に会話を交わすことはできなくなったし、
涙が出るほどあったかい
「そろそろ、仕事辞めて、のんびりせんね?」と
金沢の従兄にまた誘われる
あはは
それは、こっちに聞いてーと、だんなに振ると
だんなが
「飛び回ってて、全然家にいないですよ」とため息をつく
あ、そうだった
私が好んで、飛び回ってるのだった(;^_^A アセアセ
おっちゃんやおばちゃんも気になるし、
また顔をださないとね・・・
お通夜を済ませて、家路に着く
金沢の回転すしで、ぶりやぶりとろやホタルイカや白えびさんの握りをいただく
めっちゃおいしーーー
だんなは嫁のあまりの食べっぷりに驚いてる
考えてみると、朝から
サービスエリアで朝定食、
お昼は能登でピカ丼(卵丼に天かすが入ったもの)とうどんのセット
で、夜はお寿司と、糖質三昧
がっつり食べている
「おれより食べてるーー( ゜_゜;)」とあきれられる
まーねー、
寒いところへ行くときは、燃やせるようたんと食べとかんと(食べ過ぎ??)
というか、忙しすぎて
こんな風にだんなとべったり一緒にいるのも久々過ぎる
嫁失格かもしれん
家族は大事にせんとあかんね
今更ながらそう思う
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能登の海は荒れ荒れ
時々みぞれ?雪が舞う
東京行きの富士山とは打って変わって
きびしい、寂しい光景
でも、UEPY、実はこういう荒波の海が好きなんだな・・・
ちっちゃい頃、よく高波見に行って
時々波かぶったりして、おばあちゃんに怒られたけど
波を見てるのが好き
だんなにあきられるぐらいばしゃばしゃ写真を撮る
あやしすぎる女
かと思うと、また爆睡してるしzzz
ほんと、しょうがない嫁だが、
ちょっと助かった
一人だったら色々と落ち込んでそうだもん
金沢の従兄は
「今夜はまた飲もうと思っとったのになあ」と笑ってたが、
たまには、だんな連れもよかったかもしれない
大阪にたどり着いたのは午前2時
お疲れ様でした・・・
ってことで、嫁は今日はまじめにご飯作っとります
たまには、だんな孝行しとこう
やらんとあかんことはたーんとあるけど
まずは、家事やろう
ってことで、洗濯機回します(^^)
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