昨今、基礎と応用ということを考えはじめましてね・・。
前者は後者よりも平易でなくてはならないという感覚に目覚めました。ということは難解な数学による物理ってのは高度に応用した結果じゃないですか、となるとユニバーサルフロンティア理論みたいなのこそが基礎理論なんだな、というね。最近の理科教育シーンとして、受験競争の過激化とともに、基礎と応用とがあべこべになっているような事例が多くみられるのには困ったことです。
植物の根は先のほうがよく伸びて、そこには生長点があるという風な話とか、ですわw
点検してみると、応用問題のほうが平易な姿をしていて変です。現象論として先のほうがよく伸びるということがあって、それからそこに生長点があるからという風に進展するんじゃないですか。だから、理学的に展開する説明は応用じゃないといけないところが、そこが順序が逆になっている。話が工学的分野であったとしても、簡単なほうが応用問題であってはいけないと思うんですよね。
そんなこんなで高度で難解な物理理論とか数学が基礎だと思われてしまっている・・。
だけど自業自得でもあるんですよね。たとえば物理学は最終的には論理的に探求していこうということを言い出している。その場合にはユニバーサルフロンティア理論のようなものこそが高度な応用の所産ということにだってなってくるわけじゃないですか、最終手段ですからね。だから基礎と応用というのは、それこそヘーゲル哲学の弁証法的手段によっては逆転する、その逆転をどうやっていくかということが重要な課題になってくるわけでしょう?
私は確かに完全なる応用とよばれる手段でユニバーサルフロンティア理論を構築しました!
ま、自分でそう覚えているのだから確かですが、ユニバーサルフロンティア理論を基礎理論とした応用だって必要だと存じます。標準模型ではなくユニバーサルフロンティア理論に合わせた超弦理論とかM理論とかです。ですから私が完全なる応用で作った理論が、物理シーンの中では、一つの基礎理論に他ならないというのが正しい解釈であるという感覚、それに目覚めたのです。
今後、私は自信をもってユニバーサルフロンティア理論を基礎理論と自覚することにしますw
前者は後者よりも平易でなくてはならないという感覚に目覚めました。ということは難解な数学による物理ってのは高度に応用した結果じゃないですか、となるとユニバーサルフロンティア理論みたいなのこそが基礎理論なんだな、というね。最近の理科教育シーンとして、受験競争の過激化とともに、基礎と応用とがあべこべになっているような事例が多くみられるのには困ったことです。
植物の根は先のほうがよく伸びて、そこには生長点があるという風な話とか、ですわw
点検してみると、応用問題のほうが平易な姿をしていて変です。現象論として先のほうがよく伸びるということがあって、それからそこに生長点があるからという風に進展するんじゃないですか。だから、理学的に展開する説明は応用じゃないといけないところが、そこが順序が逆になっている。話が工学的分野であったとしても、簡単なほうが応用問題であってはいけないと思うんですよね。
そんなこんなで高度で難解な物理理論とか数学が基礎だと思われてしまっている・・。
だけど自業自得でもあるんですよね。たとえば物理学は最終的には論理的に探求していこうということを言い出している。その場合にはユニバーサルフロンティア理論のようなものこそが高度な応用の所産ということにだってなってくるわけじゃないですか、最終手段ですからね。だから基礎と応用というのは、それこそヘーゲル哲学の弁証法的手段によっては逆転する、その逆転をどうやっていくかということが重要な課題になってくるわけでしょう?
私は確かに完全なる応用とよばれる手段でユニバーサルフロンティア理論を構築しました!
ま、自分でそう覚えているのだから確かですが、ユニバーサルフロンティア理論を基礎理論とした応用だって必要だと存じます。標準模型ではなくユニバーサルフロンティア理論に合わせた超弦理論とかM理論とかです。ですから私が完全なる応用で作った理論が、物理シーンの中では、一つの基礎理論に他ならないというのが正しい解釈であるという感覚、それに目覚めたのです。
今後、私は自信をもってユニバーサルフロンティア理論を基礎理論と自覚することにしますw