ピアノ調律師 & ピアノ技術者 篠原洋一の徒然日記

「いい音作り」にこだわって辿り着いた倍音調律。NHKでも紹介された独自技術のピアノオーバーホール・リビルドは定評有り。

自己紹介その2 調律について

2017年06月21日 | 日記

きょうは、自己紹介その2で、セシリアメソッドの「調律」についてちょっとだけご紹介します。

 

私は熊本県の山間の自然豊かな土地で幼少期を過ごしました。

家から数百メートルの小高い丘(篠原家のお墓がある場所)で、よく四季折々の徒然なる時を過ごしました。

そこは、四方を山に囲まれ、谷川のせせらぎ、鳥の声、遠くの山で響く木こりの斧の音などが、巨大な自然のアリーナのような空間にこだまするのでした。

たぶん、この時期の体験が、大人になって「いい音」探し求める土台となったんだな・・・と思い、故郷に感謝しています。

つまり、私にとって音を聴くというのは、耳だけでなく、「全身で」感じるものなのです。

 

高校のころ(このころには熊本市内に住んでいました)、音楽好きで、声楽で音大に行きたいと思ったくらいの私が、ピアノの調律に興味を持つきっかけとなったのは、当時通っていた声楽の先生のお宅で、レッスン開始がピアノ調律のせいで待たされた際に、その調律師さんから「耳がいい」と言われたことです。

その後、親の薦める普通の大学に進学したものの、やはり「音」や「音楽」の道に進みたくて、大学を中退して浜松にあるカワイピアノ調律師学校に入りました。(父親は猛反対!勘当ものでした)

研修期間を終えた駆け出しのころ、時代は高度成長期の日本、いまとは違ってピアノ調律師が圧倒的に足りなかった時期でした。

調律師は婿にしたい人気職業ナンバー2、引く手あまたで、ピアノもばんばん新品が売れたものです。(今では想像つきませんよね?)

いろいろとあちこちに引き合いがありましたが、結局、尼崎の新響楽器に就職、関西に住み始め、以来ずっと現在に至るまで阪神間で暮らしてきました。(阪神間はやはりいいところですからね、自然と都会がちょうどいい程度に混在できているから・・・)

 

しかし、何事も「納得いくまで突き詰めたい」性分の私は、もっと上を目指そうと、コンサートピアノの調律を勉強し、留学も希望し(これは処処の事情で残念ながら叶いませんでしたが)、真空管アンプのオーディオに凝り、クラシック音楽のコンサートに通い、etc...会社が台数をこなすことだけを考えているのに反発していました。

実は、会社はその時期に、私が初めて提案した、それまでには業界に概念もなかった、ピアノの「定期調律」案を採用し、それが現在では業界の常識となっています。(特許でも申請しておけばよかったです・・・)

そのxx年後、独立してセシリア楽器、ピアノ工房を立ち上げたのでした。

そこから、「いい音探し」が本格的に始まるのでした。

この続きはまた次回で。。。