ピアノ調律師、ピアノ技術者の篠原洋一です。
芦屋市打出町に新しい工房を構えました。
43号線から近く、、一階で、前の道路も広いので、ピアノの搬入出が楽です。
(大桝町のときはウインチ操作と、4階までの階段の上下があったからねー)
これから掃除しながら、内装というほど本格的なことはしませんが、床や壁紙を貼り替えたりするつもりです。
それが終わったら、工房の道具等一式を一時仮置きしている、茶屋之町のアトリエからの引越しです。
私は背骨を傷めてるから、見てるだけですがね、、、。
ピアノ調律師、ピアノ技術者の篠原洋一です。
芦屋市打出町に新しい工房を構えました。
43号線から近く、、一階で、前の道路も広いので、ピアノの搬入出が楽です。
(大桝町のときはウインチ操作と、4階までの階段の上下があったからねー)
これから掃除しながら、内装というほど本格的なことはしませんが、床や壁紙を貼り替えたりするつもりです。
それが終わったら、工房の道具等一式を一時仮置きしている、茶屋之町のアトリエからの引越しです。
私は背骨を傷めてるから、見てるだけですがね、、、。
ピアノ調律師・ピアノ技術者の篠原洋一です。
ずいぶんと久しぶりの投稿です。
いま、巷ではコロナが・・・第二波なのか、また感染者数が上昇し、GO To キャンペーンもいまいち・・。
私の方はこの間、いろいろとありました。
昨年秋は、私が転んでけがをし、背骨の圧迫骨折をしてしまいました。
怪我した時はそんなにひどいとは思わなかったのですが、結構痛くて、我慢できないので病院に行くと、医者は入院を勧めました。病院嫌いの私はお医者さんのすすめを断って、痛み止めとコルセットで自宅で療養することにしました。立つのも座るのも大変・・こんなに痛いとは!
そうこうしている間、世の中はコロナ禍。家でおとなしく・・・・自粛です。。
やっと最近、徐々に仕事にもどりつつあります。
工房にちょうど良いところが見つかり、しばらく休んでおりました小規模のメンテナンスも再開できるように準備中です。
閑話休題・・・
ピアノ業界は、コロナ禍以前から少子化と不景気の影響を受け、昔のように新規でピアノを買う方がめっきり減っています。
そもそもピアノ教室が減少し、その上、調律のお得意先の幼稚園の統廃合などなどきびしい状況です。
そんな中で、セシリア楽器は、店を構える形態から、より自由で小回りの利く、出張調律と小規模メンテナンスの方をメインに移行しようと検討を重ね、そちらの方向に進むことにしました。
ピアノ販売などの営業も継続しておりますので、ご安心を。。
うちのお客様は、ご自身のピアノ、特にセシリアメソッドを使ってリビルドしたピアノを大切にしておられ、また、セシリアの倍音調律の音色を感覚的に気に入っておられるようで、こんな時期でも引き続き定期調律やメンテナンスのお仕事を頂戴しております。 感謝です。
東京方面の出張も夏には再開したいと願っております。(しかし移動はまだコロナ次第です)
お待たせしておりますお客様にはご不便をおかけしますが、今しばらくご辛抱下さい。
以上、近況でした。
今後とも相変わらずのご愛顧をよろしくお願いいたします。
懐かしのセシリアの写真です。
2階のセシリアホール↓
4階の工房があったところ ↓
ピアノ調律師・ピアノ技術者の篠原洋一です。
今日は、ピアノ調律について続きを書きます。
「倍音」という言葉は最近よく聞かれるようになりました。
特に癒しの効果があるとか、自律神経系が安定するとか、心身のリラックスとか、脳のを活性化される効果があるとか、、、、
倍音の定義は「基音の整数倍の振動の音」ですが、普通には何のことやら???
私は長年にわたり、心地よい音を求めた結果、調律の際に倍音をハモらせる工夫をしてきました。
詳しい科学的な説明は難しいですから、簡単にいうと、基音のみではなく倍音を意識して調律すると、雑音が少なく人にとって心地よい音になるということです。
倍音の効果を最大限に調律に生かすことにより、「きれ~い」な音、癒される音、α波の出やすい音のピアノにすることができます。
私はこれをピアノの倍音調律と呼び、日々実践しています。(調律師の私自身も音に癒されます。)
お客様が、ピアノを弾くたびに「いい音」を感じて貰えると思うとやりがいが生まれてきます。
今日はこのへんで・・・
きょうは、自己紹介その2で、セシリアメソッドの「調律」についてちょっとだけご紹介します。
私は熊本県の山間の自然豊かな土地で幼少期を過ごしました。
家から数百メートルの小高い丘(篠原家のお墓がある場所)で、よく四季折々の徒然なる時を過ごしました。
そこは、四方を山に囲まれ、谷川のせせらぎ、鳥の声、遠くの山で響く木こりの斧の音などが、巨大な自然のアリーナのような空間にこだまするのでした。
たぶん、この時期の体験が、大人になって「いい音」探し求める土台となったんだな・・・と思い、故郷に感謝しています。
つまり、私にとって音を聴くというのは、耳だけでなく、「全身で」感じるものなのです。
高校のころ(このころには熊本市内に住んでいました)、音楽好きで、声楽で音大に行きたいと思ったくらいの私が、ピアノの調律に興味を持つきっかけとなったのは、当時通っていた声楽の先生のお宅で、レッスン開始がピアノ調律のせいで待たされた際に、その調律師さんから「耳がいい」と言われたことです。
その後、親の薦める普通の大学に進学したものの、やはり「音」や「音楽」の道に進みたくて、大学を中退して浜松にあるカワイピアノ調律師学校に入りました。(父親は猛反対!勘当ものでした)
研修期間を終えた駆け出しのころ、時代は高度成長期の日本、いまとは違ってピアノ調律師が圧倒的に足りなかった時期でした。
調律師は婿にしたい人気職業ナンバー2、引く手あまたで、ピアノもばんばん新品が売れたものです。(今では想像つきませんよね?)
いろいろとあちこちに引き合いがありましたが、結局、尼崎の新響楽器に就職、関西に住み始め、以来ずっと現在に至るまで阪神間で暮らしてきました。(阪神間はやはりいいところですからね、自然と都会がちょうどいい程度に混在できているから・・・)
しかし、何事も「納得いくまで突き詰めたい」性分の私は、もっと上を目指そうと、コンサートピアノの調律を勉強し、留学も希望し(これは処処の事情で残念ながら叶いませんでしたが)、真空管アンプのオーディオに凝り、クラシック音楽のコンサートに通い、etc...会社が台数をこなすことだけを考えているのに反発していました。
実は、会社はその時期に、私が初めて提案した、それまでには業界に概念もなかった、ピアノの「定期調律」案を採用し、それが現在では業界の常識となっています。(特許でも申請しておけばよかったです・・・)
そのxx年後、独立してセシリア楽器、ピアノ工房を立ち上げたのでした。
そこから、「いい音探し」が本格的に始まるのでした。
この続きはまた次回で。。。