とりあえず、特筆すべきこともない
いつも通りの日なので。
前のことを思い出して書くことにしよう。
父の状況が悪い、となったのが
今から3年前、2021年の夏だったのだと思う。
状況をふまえて、会社と客先と相談して、
出張先(ではないけど、そう書いた方がわかりやすい)から
自宅に戻ることにさせてもらったのが、
2021年の秋というか、冬というか。
1年目の冬、帰ってきてからは、本当に
大変だったので、、、細かいことは記憶にない。
よく、家を出ていた。
時間を問わず。目的ももたず。
雪の中、夜中や朝方に、追いかけることが何度
あったことか。
文字通りの徘徊。
近所をただひたすらに歩く、という状況。
その日によって行く方向も様々。
その時に行っていたデイの方に行くことも
あったけど。
自分がどうしていたのかも覚えていない。
雪の中、パジャマで追いかけ、、、
誰が、徘徊しているのかわからない状態。
止めようとすると怒って、全くいうことを
聞こうとしないから、ただ追いかけるしか
なかった。
しかも、本当に健脚だから、
スピードも早ければ、疲れもしないから、
ただただまっすぐ歩き続ける。という状況。
どうにかこうにか落ち着く頃にだましだまし
家に戻る方に誘導していた。
そして、私は、パジャマを着て寝ることが
できなくなった。
着替えている暇はないし、
パジャマでは寒すぎるから。
上着を羽織っている暇すらなかった。
出たら、すぐについていく、というのでやっと。
今思うと、父親自身が1番混乱?していた時期
だったのだと思う。
何がなんだかわからない=意味がわからない
が共存していたのではないかと。
家族は、表情が豊かになって、感情表現が
わかるようになった、とよく言っていた。
でも、この時期は、怒ることが多かったと
思っている。
文字通り、怒ることが多かった。
一度、クッションを握りしめて、雪の中、
夜中に外に出たことがあった。
どうしていいかわからず、クッションを奪い
とろうとしてしまったがために、怒りがMAX
になり、全く聞く耳を持ってもらえなかった。
結構な距離を歩いてから、少し落ち着いたから
迂回しながら、家へのルートを促して、
どうにか帰ることが出来た。
家につく頃に気付いた母親が上着を持って、
迎えにきた。
なぜか、1番印象に残っているけど、
このようなことは、一度や二度ではない。
根本的に優しいので、
私が、追いつけずに、雪の上でコケたときは、
私が起き上がって歩いてくるのを止まって
待っていた。
助け起こしてくれたわけではないけど、
先にスタスタ行ってしまわないところが、
この状況でも、父らしいな、と思ったものだ。
今思うと、本当に序章に過ぎないが、、、
何もわからないまま、対応していたから、
精神的に1番しんどかったような気がする。
色々なことで、神経がずぶとくなっていたが
このことに関しては、まだ強い心持ちで
いられなかったのかもしれない。
今とは全然状況が違うので、
ある意味、懐かしい記憶でも ある。
また、時間のあるときに過去話でも。。。