瑞原唯子のひとりごと

「ピンクローズ - Pink Rose -」第30話・15歳の花嫁

「母上、レイチェルの方の準備は進んでいるのですか?」
「いいかげん馬鹿みたいに何度も同じことを訊かないの」
 毎日のように繰り返されるサイファの質問に、母親のシンシアはうんざりしたように答えた。ティーカップをソーサに戻して小さく溜息をつく。
 テーブルの上にはシンプルな朝食が並んでいる。
 サイファは小さく肩を竦めると、アプリコットジャムのトーストを口に運んだ。その甘酸っぱさを味わいながら、三日ばかり会えないでいるレイチェルへと思いを馳せる。
 二人の結婚に許可が下りてまもなく、結婚式の準備が始まった。
 レイチェルはまだ15歳であるが、子供が生まれる前に式を挙げたいというのが、双方の両親の一致した意見だった。幸い母子ともに健康で、安定期に入れば問題ないだろうという医師の見解もあり、その方向で話が進められることになったのである。サイファとしては身重の彼女に負担をかけたくなく、無理に式を挙げなくてもいいのではないかと思ったが、同時に、ラグランジェ家としてはそうもいかないのだということも理解していた。
 式の日取りは、レイチェルの身体の都合を優先して決められた。つまり、安定期に入ってまもなく、おなかが大きくなりすぎない時期にということである。
「きれいにドレスを着せてあげてくださいね」
「はいはい、それももう耳にタコができそうよ」
 この国のしきたりで、新郎は新婦の花嫁姿を当日まで見てはならないことになっている。そのため、ウェディングドレスについてはアリスとシンシアに任せるしかなかった。おなかが目立ってきたこともあり、ドレスが着られなくなったりしないのか、窮屈で苦しくなったりしないのかなど、サイファの心配は尽きない。
「私たちに任せて、あなたは落ち着いてどっしりと構えてなさい。まもなく当主になろうという人が、おろおろと狼狽えていてはみっともないわ」
「レイチェルのことだけは特別です」
 悪びれもせずに答えるサイファに、シンシアは溜息まじりに呆れた視線を送る。
「そんなことで胸を張ってどうするの。自慢できることじゃないでしょう。今になって心配するくらいなら、初めから妊娠させるようなことをしなければ良かったのよ」
「申し訳ありません。反省しています」
 責められることにはもう慣れていた。誰に何を言われようとも、素直に非を認めて謝罪するだけである。迷いはなかった。そのことで不道徳な人間という烙印を押されたとしても、レイチェルさえ本当のことをわかってくれていれば十分だった。
 サイファは残りの紅茶を飲み干し、ティーカップを戻すと、薄暗い窓の外に目を向けた。鈍色の空からは冷たい雨が落ちている。
「あさって、晴れるといいんですが――」
 結婚式は教会の中で行うため、雨でも特に支障があるわけではないが、せっかくの門出の日であり、やはり晴れてほしいと願う気持ちは大きかった。

 サイファの祈りが通じたのか、結婚式当日は雲ひとつない突き抜けるような晴天だった。二人を祝福するかのように、青い空から眩いばかりの光が降りそそいでいる。時折、小鳥のさえずりも聞こえてきた。
 二人が式を挙げる教会は、王宮の隅にひっそりと佇んでいた。小さくて古めかしい建物で、普段はあまり人の寄りつかない寂れた場所だが、その日はいつになく華やいだ空気が流れていた。
 結婚式は、双方の家族のみが列席するささやかなものである。披露宴も行わない。ラグランジェ本家としては異例のことだった。本来であれば、本家で盛大なパーティを開き、サイファの当主就任の告知とともに、二人を皆に披露するところだろう。だが、今回は事情が事情であり、あまり騒がれたくないというラグランジェ家の意向に加え、レイチェルの体調の心配もあり、パーティは行わず告知だけに留めることになったのである。

「レイチェルの身支度が終わったわよ」
 シンシアとアリスが連れ立ってレイチェルの控え室から出てきた。二人とも落ち着いた濃色のドレスを身に纏っている。教会での挙式ということで、華美なものは控えなければならないのだ。扉の前で今か今かと待ち構えていたサイファに、シンシアは少しだけ口もとを斜めにして言う。
「私たちはあなたの控え室にいるから、何かあったら呼んでちょうだい」
「ありがとうございます」
 ひらひらと手を振りながら去りゆく二人に、サイファは深く丁寧にお辞儀をした。

 ようやくレイチェルの花嫁姿を目にすることができる――。
 サイファの胸は高鳴った。
 ごくりと唾を飲み込んでから、ドアノブに手を掛けてまわし、ゆっくりと扉を押し開ける。ギ、ギギ……と控えめな軋み音が響いた。
 白い光が溢れる小さな部屋。
 そこに、レイチェルは後ろ向きで立っていた。まるでスローモーションのように、そっと、サイファの方へと体を向けていく。
 ロングトレーンの純白のドレスは、肌の露出がほとんどなく、胸元には上品なレースがあしらわれ、また、幾重にも重ねられたオーガンジーには丁寧に刺繍がほどこされており、クラシカルな品格を感じさせるものだった。腰の高い位置からふんわりと広がる形のためか、心配していたおなかはまったくといっていいほど目立たない。
 光に包まれながら、レイチェルは甘く愛らしく微笑んだ。
 サイファは小さく息を呑む。
 まるで夢の一場面でも見ているかのような非現実感に包まれた。目の前にいるのは、花嫁というよりも、光とともに地上に降り立った天使か妖精のようだと思う。
「サイファ……?」
 レイチェルは小首を傾げてきょとんと尋ねた。澄んだ瞳をまっすぐに向け、不思議そうな顔のまま、じっと微動だにせず反応を待っている。
「……すごく、きれいだよ」
「ありがとう」
 やっとのことで言葉を発したサイファに、レイチェルはいつもと変わらない可憐な声で応じた。それを聞いて、サイファはなぜだか少し安堵した。夢でも幻でもなく、現実なのだと認識できたからかもしれない。ふっと小さく笑みを浮かべ、彼女へと足を進めながら問いかける。
「おなかは大丈夫? 苦しくない?」
「ええ、大丈夫」
 レイチェルはニコッと答えた。その愛くるしい無垢な笑顔を眺めながら、サイファは優しく目を細めると、そっと慈しむように彼女の柔らかな頬に手を置いた。

…続きは「ピンクローズ - Pink Rose -」でご覧ください。

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