遥は五円玉を賽銭箱に入れ、二礼二拍手し、手を合わせたまま祈念する。
その右隣では七海が、左隣ではメルローズが、同じように手を合わせて祈っていた。七海はどういうわけか眉を寄せて必死な顔をしている。よくばってあれもこれもとお願いしているのかもしれない。遥は横目で見ながらひそかにくすりと笑った。
元日の朝、三人は初詣のためにこの神社に来た。
近所のさほど大きくない神社で、普段は参拝客もほとんどなくひっそりとしているが、さすがに正月ということでそこそこの賑わいを見せている。七海たちのような着物の女性もちらほらといた。
遥は神仏を信じていないうえ年中行事にも興味がない。だからといって七海たちにその考えを押しつけるつもりはない。初詣を楽しむ権利はある。二人とも行きたいというので連れていくことにしたのだ。
七海とメルローズにはこの日のために着物一式を用意した。行きつけの美容室で着付けとヘアメイクをしてもらい、いつもよりずっと華やかになった自分の姿に、二人ともおおいに喜んでいた。
ただ、遥が和服でなかったことには口々に文句を言われた。遥の着物姿も見たかった、おそろいがよかった、と七海に言われてはすこし心が揺らぐ。来年は和服を用意してもいいかもしれない。
「遥は何をお願いしたの?」
帰り道、興味津々に目を輝かせたメルローズにそう尋ねられた。
彼女にはまだ七海と付き合い始めたことを知らせていないし、そうでなくてもあんな乙女のような願いなど言えるはずがない。そんなことを思いつつも表情には出さず、淡々と諭す。
「願いごとは人に話すと叶わないんだよ」
「そうなの?」
もちろん言いたくないがための方便である。
無神論者なので神様に叶えてもらおうとは思っていないし、そもそも神様にお願いしたつもりもない。自分自身がいま何を望んでいるかを確認しただけだ。決意を新たにするという意味では悪くない機会だと思っている。
「教えてもらおうと思ったのに、残念」
メルローズは不満を口にしながらもあきらめたようだった。
一方、半歩後ろを歩く七海はあからさまにほっとしていた。彼女も言えないような願いごとをしたのだろうか。気になったがいまさら訊くわけにはいかないし、訊いても答えてくれないだろう。
「今日は疲れたぁ」
気の抜けた声でそう言いながらベッドに倒れ込む七海を見て、遥はくすりと笑った。
初詣のあと、祖父や親戚に挨拶をしたり、遊びにきた妹夫婦と話をしたり、みんなで一緒にごはんを食べたり、結局夜まで着物のまま過ごした。さきほどようやく着替えて遥の部屋へ来たところだ。
「着物はきれいだけど疲れるよ。歩きにくいし」
「だろうね」
普段、活動的に大股で駆け回っている七海からすれば、足が開かないことはかなりのストレスだろう。何度も大きく足を踏み出して転けそうになっていた。
「まあ、すこしずつ慣れていけばいいよ」
「慣れるほど着ないと思うけど」
「お正月以外にも着る機会はあるから」
その気になれば機会などいくらでも作れる。お堅い行事やパーティはもとより、花見、観劇、音楽会、あるいはちょっとしたおでかけに着てもいい。いや、着物だけでなくドレスやワンピースというのもいいだろう。
七海にはいろいろなことを経験させてやりたいし、その様子をそばで見ていたい。それは保護者としての責務であり、恋人としての願いである。今日も二人きりならよかったのだが——。
「ごめんね、今日はメルに構ってばかりで」
「ううん、全然」
七海は寝そべったまま、椅子に座っている遥に目を向けて微笑する。
先日の件はメルローズにきちんと理解してもらった。だが、彼女を寂しくさせるとまた七海に八つ当たりしかねないので、三人で出かけるときくらいはメルローズを優先しようと考えたのだ。
七海はあらかじめ了承したうえ、遥とメルローズの邪魔にならないよう協力もしてくれた。それでも不満そうな素振りのひとつも見せない。いっそこちらが不安になるくらいに。
「そうはいってもやっぱり寂しかったんじゃない?」
「まあ……でも、いま一緒にいるんだしさ」
その反応に安堵して遥がわずかに微笑むと同時に、彼女はハッとして勢いよくベッドから跳ね起きた。不安そうな面持ちで遥を窺いながら尋ねる。
「まさか今日は勉強しろとか言わないよね?」
「さすがに正月までは言わないよ」
遥が苦笑して答えると、彼女はほっとして再びベッドに顔をうずめた。
冬休みに入ってから、年内に宿題を終わらせるようにと勉強ばかりさせていたのだ。互いの部屋を行き来することはあったが、勉強の進捗を確認したり、わからない問題を教えたりするくらいだった。
「何かさ、付き合うっていってもいままでと何にも変わらないよね。遥は彼氏っていうより小うるさいお兄さんか家庭教師って感じだし。ちょっと拍子抜けだなぁ」
七海はごろりと仰向けになりながら言う。
責めているつもりはないのだろうが、拍子抜けとまで言われては不本意である。恋人になっても保護者としての役割は疎かにできないので、ひとまずそちらを優先していただけのこと。ずっとこのままでいたいとは思っていない。
遥は音もなく椅子から立った。ベッドに片膝をついて微かにスプリングをきしませながら、不思議そうに目をぱちくりさせる彼女を真上から覗き込み、うっすらと唇に笑みをのせる。
「じゃあ、恋人らしいことをしようか」
「別に無理しなくていいよ」
彼女はムッとしたように言い返した。
しかし裏腹に頬はじわじわと熱を帯びて赤くなる。瞳もわずかに潤んできた。それでも遥を見つめ返したまま目をそらさない。そんな強気な彼女を愛おしく思いながら、ゆっくりと唇を重ねた。
やわらかい——。
胸がじわりと熱くなり、鼓動が次第に速く強くなっていくのを感じる。これまでの経験では何の感情も持てなかったのに、好きな相手だとここまで違うのか。ひどく高揚しながらも頭のどこかで冷静に考える。
唇をそっと離し、至近距離で七海を見つめる。
「好きだって言っただろう?」
そう告げると、彼女は唇を半開きにしたままこくりと頷いた。遥は誘われるように再び唇を重ねる。今度は触れ合わせるだけでなく、もっと深く——彼女はビクリとしたが、ぎこちないながらも遥の動きに応えてくれた。
やがて切羽詰まった様子で袖を掴まれたので唇を離した。彼女は息を詰めていたらしく大きく胸を上下させて呼吸をする。そのときにはすでに裾から遥の手が入り込んでいた。彼女のなめらかな肌をすべり柔らかなふくらみにたどりつく。
「嫌ならやめるけど」
「……嫌じゃない」
濡れた唇からはっきりと紡がれた答え。
もう止められないし止めるつもりもない。かつてない緊張と興奮で頭の中がまっしろになりながら、それでもできるだけ彼女を怯えさせないようにしなければと、遥は最低限の理性を必死に繋ぎ止めた。
◆目次:機械仕掛けのカンパネラ
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