アルフォンスは応接間に入るなり、ソファに座っていたラウルを激しく睨みつけ、低く唸るように言った。抑えきれない怒りを、それでも懸命に抑えようとしている様子が窺える。
アリスから連絡を受けるとすぐに、アルフォンスは研究所から飛んで帰ってきた。仕事どころではなかったのだろう。真っ先にレイチェルの部屋へと駆け込み、自分の目でその無事を確認してきたようだ。彼女が少しでも負傷していたら、この程度の怒りではすまなかったに違いない。我を忘れてラウルを殺そうとしたかもしれない。娘を溺愛している彼なら十分にありえることだ。
「アルフォンス、とりあえず座ったら?」
「……ああ」
アリスの冷静な声に促され、アルフォンスはラウルの正面に腰を下ろした。革張りのソファが小さな摩擦音を立てて深く沈む。その間も、彼はずっと睨みをきかせたままだった。今にも爆発しそうなピリピリとした気が、その全身から発せられていた。
「何があった」
概要についてはアリスから聞いているだろうが、それでもラウルは省略せず、一から説明を始めた。自分がどう考えたかということは述べず、起こした行動と起こった現象のみを淡々と伝えていく。
アルフォンスは膝の上で両手を組み合わせ、ずっと下を向いたまま聞いていた。力の入った指先が小刻みに震えている。眉間には深い縦皺が刻まれ、もともと険しかった表情が、さらにその険しさを増していった。
ラウルが一通りの説明を終えると、アルフォンスはゆっくりと視線を上げた。じっと睨みつけながら、低い声で質問する。
「なぜ、レイチェルの力を目覚めさせようとした」
「それが可能だと感じたからだ」
ラウルは目を逸らすことなく端的に答えを返した。
瞬間、アルフォンスの瞳に激しい光が宿る。
「おまえにそんなことを頼んだ覚えはない。万一に備えて魔導の制御を学ばせることが目的だったはずだ」
「わかっている」
ラウルのその落ち着き払った態度が、アルフォンスの抑制した怒りに火をつけた。憤怒に顔を歪め、声を爆発させて逆上する。
「わかっていてなぜやった?! 好奇心か?! まるきり実験ではないか! いや、実験ならば万全の準備を整えて行う。その場の思いつきでやったおまえの方が余程たちが悪い!!」
応接間に迫力のある重低音が響き渡る。空気の振動が目に見えて伝わってくるようだった。
「浅はかな行動だったことは認める」
「認めればすむと思っているのか!!」
アルフォンスはローテーブルを踏みつけて身を乗り出すと、ラウルの胸ぐらを両手で掴み上げた。ティーカップとソーサが床に落ちて割れる。ラウルの白い布製の靴に、ぬるい紅茶が染みを作った。
「取り返しのつかないことになっていたかもしれないとわかっているのか? レイチェルに何かあったらどうするつもりだった? おまえにとっては物珍しいだけの存在かもしれんが、私にとっては何よりも大切な娘だ。もうおまえには預けられん。失望した……出て行け! おまえなどクビだ!!」
「アルフォンス、落ち着いて」
少し離れたところから、立ったままのアリスが声を掛けた。
しかし、今のアルフォンスにそれを聞き入れる余裕はなかった。むしろ逆効果だったのかもしれない。アリスをキッと睨みつけると、ますます激しく怒りをたぎらせる。
「おまえは落ち着きすぎだ! この男はレイチェルを危険にさらしたのだぞ?!」
「でも無事だったわ。ラウルでなければ、何事もなく収めることは出来なかったはずよ」
アリスはなおも諦めることなく、アルフォンスを宥めようとする。
「コイツと一緒でなければ、そもそも暴発を起こすこともなかった!!」
「そうとは限らないでしょう?」
「……それは……そうだが……」
アルフォンスは図星を指されて言葉に詰まった。悔しそうに奥歯を噛みしめてうつむく。レイチェルの隠れた魔導力は未知のもので、いつ目覚めるか、いつ暴発を起こすかもわからない。ただ、これまで何事もなく平穏に時が過ぎてきたので、その危険性の認識が薄らいでいたのだ。それは、アルフォンスだけではなく、ラウルもまた同じだった。
「だが、ラウルが暴発させたという事実は変わらんだろう!」
「ええ、そうね」
必死に言い返したアルフォンスの言葉を、アリスは拍子抜けするくらい素直に肯定した。
「だから、魔導はしばらく休ませるべきだと思うけれど、家庭教師は続けてもらってもいいんじゃないかしら。よくやってくれているもの。レイチェルがこれほど真面目に勉強するようになったのも、ラウルの指導のおかげでしょう? アルフォンス、あなたもそう言っていたじゃない」
ラウルの胸ぐらを掴む手から、少し力が抜けた。
アリスはさらに畳み掛ける。
「それに、ラウルには、今後しばらくレイチェルの経過を見守ってもらわなければならないわ。今回の影響がどのように出るかわからないもの。このことがきっかけで暴発を起こしやすくなるかもしれない。もちろん私たちも気をつけるべきだけれど、残念ながらラウルほど察知する能力はないから」
アルフォンスの口からもう反論の言葉は出てこなかった。ラウルから手を離し、どっしりとソファに腰を下ろすと、開いた両膝に腕を掛けてうなだれる。大きな背中が丸まって、小さく上下し、まるで泣いているように見えた。
アリスはラウルに振り向き、まっすぐに見つめながら、凛とした声で言う。
「ラウルもそれでいいわね。家庭教師、続けてくれるでしょう?」
「レイチェルの気持ち次第だ。彼女が望むのであれば続ける、望まないのであれば辞める」
ラウルは無表情のまま答える。配慮のない行動で怖がらせてしまった以上、彼女の方が自分を拒絶する可能性がある。その心情を無視するわけにはいかない。
「そうだな……何よりもあの子の意思を優先すべきだ」
アルフォンスもうなだれたままラウルに同調した。
アリスは顎を引き、ソファの二人をじっと睨むように見つめた。
「でも、ラウルには責任があるはずよ」
「出来ることはするつもりだ。家庭教師でなくとも経過を見守ることは可能だろう」
「そうね……」
アリスはしばらく考えてから顔を上げ、明瞭な口調で結論を述べる。
「では、ラウルの言ったとおりにしましょう。レイチェルが落ち着いたら意思を確認するわ。あの子が望めば続ける、拒否すれば辞める、その場合でも何らかの方法で経過は見守る。そういうことでいいわね」
「ああ」
「結果は明日中に連絡するわ」
「わかった」
ラウルはソファから立ち上がった。割れたティーカップの白い欠片をまたいで足を踏み出す。靴についた紅茶の染みは、もうだいぶ乾きかけているように見えた。
「すまなかった」
アルフォンスは大きな体をゆっくりと起こし、力のない声で言った。
「先ほどの非礼を許してほしい。君に悪気がなかったことはわかっている。実験などというつもりでなかったことも。研究所に来てもらったとき、私の代わりにレイチェルを守ってくれたことは忘れていない」
「責められて当然のことをした」
ラウルは振り返ることなく応じると、大きな足どりで応接間をあとにした。
…続きは「ピンクローズ - Pink Rose -」でご覧ください。
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