私の教室の講師の方々も忙しく走っている「師走」ですが、皆さんも忘年会やパーティー、そしてお家の大掃除ときっと忙しい毎日を送っておられることでしょう。世界的な不況を思うと、今忙しい人達は幸せなのかもしれません。今年の年末年始は厳しい寒さが続くそうですから、暖かい部屋でのどかなお休みを過ごせることは素晴らしいことですね。
さて、今年最後のお話は、「ボグダン先生の秘密」で締めくくりたいと思います。私は折に触れ、ボグダン先生の人柄や魅力について語って来ました。こんなにボグダン先生のことを語ってきたのには訳があります。実はボグダン先生は「僕はフランス国籍を持っているけど、フランス人ではないから、フランスでは何度も疎外感を感じてきた」と私に漏らしていました。ボグダン先生がフランスで体験した疎外感や違和感、それは私がヨーロッパの植民地主義に感じていた違和感と重なり、私はボグダン先生と殊の外、心が通い合いました。私はフランス語教室を主宰していますが、フランス礼賛というわけではありません。どの国にも光と影があります。勿論、フランス文化の素晴らしいところはこれからもずっと学んでいきたいですし、生徒さんにもフランスの多様な側面を発見して欲しいと願っています。フランス語は南欧では英語よりもよく通じる言葉ですから、ヨーロッパ旅行に臨む人達には、英語とともにフランス語も少し勉強して頂ければ、旅はもっと楽しいものになるのではないかとも思っています。しかし、また一方で、アフリカ諸国で、フランス語が公用語として話されている事実に対して、私の心境は必ずしも穏やかではありません。とりわけ、アフリカのあの定規で線を引いたような国境線を見ると、私はやりきれない気持ちになる時があります。「アフリカ諸国を文明化するという名目」の元に進められた欧州の植民地主義がもたらしたものは一体何だったのでしょうか。今はこのことには立ち入りませんが、ただ、私はボグダン先生が歩んできた道のりを皆さんに少しお伝えしたいと思っています。
ボグダン先生はルーマニア人のお母さんとイタリア人のお父さんの間に生まれ、ジャカルタで幼少時代を過ごし、その後、アフリカに暮らしました。最も多感な時期をアジア、アフリカで成長したボグダン先生には、ずっとフランスで暮らしてきたフランス人の先生とは全く違う内面、感性、個性がありました。ボグダン先生の他人を思いやる優しさや繊細な心の動きには、私は何度もほろりとするほど感動し、時にはボグダン先生は私達と血がつながっているのではないかと感じることもありました。ボグダン先生とは何も語り合わなくても心と心が通い合う「以心伝心」の経験を繰り返ししましたが、今思えば、それはとても貴重な体験でした。
そして、繊細で優しい心の持ち主のボグダン先生がある日、ぽつりと語った言葉はいつまでも私の心に残っています。「僕は本当の意味ではフランス人ではないから、フランスでは何度も惨めな差別を受けてきたし、嫌な思いや辛い経験もした。ヨーロッパでもアメリカでも僕は偏見に満ちた人達に出会った。だけど、日本ではみんなが僕をとても温かく迎え入れてくれて、優しく接してくれた。僕の顔や肌の色をしげしげと見て、僕を差別する人は一人もいなかった。偏見や差別意識を持たず、ありのままの僕を受け入れてくれて、僕に優しくしてくれた日本の友達に僕は心から感謝しているし、僕は心から日本人の友達を誇りに思っているよ」
これが私が皆さんにお伝えしたかったボグダン先生の秘密の言葉です。私達日本人を誇りに思うとまで言ってくれたボグダン先生の言葉。私はこの言葉を半分は嬉しく、半分は複雑な気持ちで受けとめています。確かに、私達は遠い国の人達には差別意識を持っていないかもしれません。ボグダン先生のお母さんがルーマニア人でもブルガリア人でもスペイン人でも、私達は差別意識を持たないでしょう。私達はルーマニア人やブルガリア人に偏見を持っていないというよりも両国の人々を見分けることさえできない、ただそれだけのことなのかもしれません。それが証拠に、実際、私達は、近隣諸国の外国人、そしてとても身近にいる人達に偏見や差別意識を持ってしまうことがあるからです。私はボグダン先生の柔和で優しい面影を思い出す度に、差別を受けた人達の悲しみや苦しみに思いを馳せて、この世から、差別やいじめ、迫害、そして戦争がすっかりなくなることを願っています。
一年の最後はとても真面目なお話になりました。私の教室では、一番フランス語を勉強していないのが私のような気がするほど、生徒の皆さんは、勉強熱心で、明るくて素晴らしいです。私は来年も生徒の皆さんから元気を頂いて、楽しく充実した一年を過ごしたいと思っています。
皆さんにとっても新しい一年が美しく幸せでありますようお祈りしています。