先週の日曜日、ジュリア先生は、最後の授業を終えました。本務校ベルリッツでの勤務が多忙を極め、私の教室で働く時間がなくなってしまったので、今後は「暇が出来たら、また遊びに来て下さいね」ということで、ひとまず、ジュリア先生のレッスンは終了となりました。
私は心の中では、寂しいなぁと思っていたのですが、ジュリアさんがいつもと全く変わらない明るい笑顔で、普通に「またね~」と言って去っていったので、私も笑顔で、ジュリア先生を見送りました。
先生のエピソードには事欠かないのですが、今日は、ジュリア先生のエピソードで、考えさせられたお話を皆さんにお伝えします。ジュリアさんは日本語がぺらぺらなのですが、日本語をマスターした動機の一つに、「アメリカ人をぎゃふんと言わせたい」という理由があったそうです。(因みに、私は今までに、本当に「ぎゃふん」と言った人を見たことがありません)アメリカ人に限らず、英語を母国語としている人達は、欧米人が集まった時には、当たり前のように、共通言語として英語を使うようで、大阪のパーティなどでも欧米人だけのグループになると、すぐ英語が共通語になってしまうそうです。でも実際には、ヨーロッパ大陸の人々にとっては、各国の母国語があり、誰でも母国語で話すのが一番楽なわけです。当然、フランス人はフランス語で話すのが自然ですし、イタリア人ならイタリア語。だけど、一人でもアメリカ人がいたら、大阪にいても全員が英語で喋らなくちゃいけないなんて、そんなの面白くない腹が立つとジュリアさんは思ったらしくて、「ここは、大阪や、ちゅうねん、大阪弁で話さんかい、われ~」とは言わなかったと思うのですが、ごく普通に「日本にいたら、日本語で話しましょうね」とすかしてアメリカ人を焦らせたみたいです。
私もパリにいた時、アメリカ人のグループがいたら、周りの人達が、自然と英語を使い始める場面に何度も遭遇したのを覚えています。その時には、「英語で世界が回っている」というより、「英語だけを話す人達に周りが合わせている」という印象でしたが、相手に恥をかかせたり、困らせたりしないのが大人のマナーだと思いますので、さりげなく相手の言葉に合わせることは当たり前のことのように私は受け止めていました。ですから、ジュリアさんの抵抗と意志と信念には、さすがフランス女性だなぁと感心しました。
私は仕事や御近所付き合いでは、こてこての大阪弁を封印して暮らしているのですが、でも家族や友人とは、自分の本来の言葉で喋り、ぼやいたり、つっこんだりするのはやっぱり楽しいです。どの国の人も本当は、母国語が好きで、自分の地域の方言に愛着を感じているのではないでしょうか。ジュリアさんのエピソードから、そういうことを実感しました。
L'adversité est la meilleure occasion pour prouver ses vraies capacités.
逆境は、真の実力を示す最良の機会である。
安藤美姫選手、グリンプリシリーズ、二度目の優勝おめでとう。トップスケーターの余裕と貫禄を見せつけた勝利でした。ミキティはロシア語でも和気あいあいとお喋り出来るのですね。これからも楽しく頑張って下さい。