Chiakiの徒然日記

阪神大震災の記憶

このところ、相次いで地震が起きていて、特に東北地方の皆さんは戦々恐々としていると思う。
一日も早い復旧をお祈りしています。

私にとって、一番衝撃を受けたのは、やはり1995年の阪神大震災。

朝、登校すると、クラスメイトの一部が「また地震があったね」と話していた。
7時前には家を出なければならなかったので、テレビなんか見る余裕もなく、
そのときは「へ~、またかぁ。」ぐらいの気持ちでいた。
先生たちも、特に地震のことに触れることはなかったので、完璧に地震のことなんか忘れていた。
朝課外と6時間の授業が終わって、掃除の時間。
3年生の登校が既に終わっていたので(受験のための特別授業に切り替わっていた)、
3年生が担当していた特別教室を割り当てられており、私たちのクラスは音楽室だった。
うちの学校、音楽室には大きなテレビが置いてあり、授業のときに時々ビデオなどを見せてもらっていた。
その音楽室のテレビが珍しくついていた。
最初は何が映っているのか分からなかった。
瓦礫の山。
砂煙が見える。
「何、これ?」
アナウンサーの言葉で、朝、「地震があったね」との友達の言葉を思い出す。
そして、それが神戸だと知って二度ビックリ。
その凄まじい惨状に、掃除の手も止まってしまう。
ついでに言うと、たまたまピアノの調律に来ていた人も、1音か2音ごとにテレビを振り返っていた。
そこへ、隣にある被服室へ、家庭科の先生がやって来た。
完全に掃除の手が止まっている私たちを叱りに来たのだが、テレビが映っているのを見ると、
「凄いよね~。」
と私たちの掃除の手が止まっているのに理解を示してくれた。
熊本でも揺れたらしいのだが、震度2程度では、飛び起きることもなかったので、
全然知らなかった。一部の人が飛び起きたというから、場所によっては震度3ぐらいにはなったのかもしれない。

この後すぐに帰宅したから、まだ夕課外は始まっていなかったのだろう。
帰宅すると、家でもテレビがつけっぱなしになっていた。
時間を追うごとに増えていく死者の数にぞっとした。

その後、地学の授業で、高校の近くにも断層があると聞いて、しばらくは怖かったのを覚えている。
その恐怖もいつの間にか薄れていったけど、いつかは九州のどこかでも地震が起きるかもしれない。
気を引き締めておかなくては。

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