う~ん、結婚観は、、、ないかな?
もっと本音を言えば、
子供を欲しい!と思ったことがない。
というより、
私の元に生まれてきた子供は可哀想だと思ってきたからだ。
これは、勝手な僻み(ひがみ)かも知れないが。
他の人達のように、日本人という血統書がなく、
いわゆる、ミックス「雑種」な私。
日本の国籍を保有していても、
雑種は雑種に過ぎず、
どんなに頑張っても血統書付き!とは絶対になれやしない。
その為、
皆と同じスタートラインに立つなんて不可能なことだろう。
そんなハッキリ日本人と胸を張って言えない私に
「MOMは日本人なの?」と、
子供から質問された時、何と答えるのか?とずっと考えてきた。
また、子供に、
世界中の何処の国に行っても自分の国が無い!
と思わせたくない。とも思ってきた。
これは、私自身が幼児期の頃から身を持って感じ、
常に異国にいるようで孤独感があったからだ。
その同じ気持ちを子供にさせるのか?と。
思春期の頃なんて、特に大変だった。
肌の色や髪の色で、
男の子たちから「気持ち悪い」と言われ続けたから、
親を恨んだり、泣いて責めたりもした。
少しでも足の肌が見えないように、
長めのスカート丈にしていた。
「ほら、見てみろよ?真っ白な足だぞ!気持ち悪りぃ~」
って、随分と嗤われたからね。
ひどい時なんて、セーラー服も下着も、
全部を取られて、全裸にされたこともある。
兄が中学生の頃、髪を黒に染めたのも
周りから色々と言われていたんじゃないかな?
本人は絶対に言わないけどね。
私も中1の時、担任から
「コカ・コーラで染めただろ?」と言われて、
髪の毛を掴まれて生徒指導室に連れてかれたことがある。
その時は、母を呼んでも説得力ないから、
父を来てもらった。
赤毛の父を見て、ようやく納得してもらった。
こればっかりは生まれつきだから、
本人達にはどうしようもないことなのだ。
「何で、私みたいな子供を生んだのよ!
親はいいよ、勝手に結婚して生んでるんだから。
少しでも子供の気持ちを考えたことあるの?
こっちはイジメられて散々だよ」って
母に責め立てたこともあった。
黙って聞いていた父が突然、
私に向かって土下座をして頭を床に付けていた。
泣きながら「ごめん」と何度も何度も謝って、、、。
父は、全て自分の責任だ!と捉えたのだろう。
あの日の父の土下座する姿が今も忘れられない。
それまでの人生で初めてみた父の涙だったし。
今、振り返ると本当に悪いことを言ってしまって申し訳ない!
と猛省している。
父の行動を見ていた母が、
「み○が言ってること自分で分かってるよね?
それってね、DADを拒絶していることと同じことなのよ!
貴女も親になった時、
子供から必ず同じことを言われるから、
さっき言った言葉、よく覚えておきなさい!
その時に今のDADの気持ちが分かるわ。
親に対して、どれだけ傷付けていたか?ってことがね」
当時の私は、それでも親への怒り?の方が強く、
自分自身が本当に嫌で嫌で仕方なかった。
私は思っ切り反発したけど、
兄は親を責めるような発言は一切なかったみたいだ。
同じ親から生まれてるのに兄妹で性格がこんなにも違うのかな?
でも、落ち着いて考えてみたら、
父が子供の頃といえば、まだ戦後まもない時期だ。
アメリカ兵との子供?と勘違いされたこともあったのか、
よくイジメられていた!と父の友達から聞いたことがある。
「アメリカに帰れ!」と石を投げられたこともあったとか。
(父のアメリカとの繋がりは、明治~大正時代(曾祖父母)の頃の出来事なので、
第二次世界大戦の米兵とは何一つ関係ない)
大人になって家庭を築くと、
今度は娘から責められることに、、、
唯一、良かった所といえば、
女性に不自由はしなかったことくらいだろうか?
父の生まれ持った星だと思うが、
なぜか生涯に渡り、異性にモテる人だった。
幼児期からモテたみたいだが、
小学生の頃には求婚されてたらしい。
それは老人になってからも続き、
デイサービスで、父を女性陣が取り囲み、
取り合いになっていて、、、
それを見ている他の男性が、父に殴りかかろう!としてこられて、
大変な騒動となったらしい。
この出来事は、
デイサービスさん&ケアマネさんから教えて頂いた。
これには兄と大爆笑した。
「もうお爺ちゃんなのにね、、、
どこが良いのか、、、ワハハハ」と。
話を戻して、、、。
中学&高校、かなり長期間も反抗期があり、
ずっと両親を憎んでいたと思う。
社会人になり、親への憎しみは消えたが、
自分自身を受け入れられるようになったのは、ごく最近のことだ。
雑種も血統書付きと同じように
堂々と生きられるんじゃないかな?と。