□本日落語一席。
◆六代目(七代目)柳亭小燕枝「万金丹」(寄席チャンネル『粋 らくご』)。
湯島天神参集殿、平成29(2017)年9月27日(「独演会小燕枝の会」)。
「万金丹」の但書「白湯にて用ふべし」から落げになるが、小燕枝の師匠五代目柳家小さんは「あらためてお茶湯をあげるにはおよばない」として落げる。
それを、立川談志は、仏が川で死んだことにして「もう水にはこりているだろう」と落げる。さて、これは談志が作ったものかと思いきや、川戸貞吉『落語大百科』によると、昔からあったものらしいとも記してあるが、その出自や経緯など判然としない。たとえば、桂歌丸も「水にはこりて」の落げを使っていたことは記されている。
◆六代目(七代目)柳亭小燕枝「万金丹」(寄席チャンネル『粋 らくご』)。
湯島天神参集殿、平成29(2017)年9月27日(「独演会小燕枝の会」)。
「万金丹」の但書「白湯にて用ふべし」から落げになるが、小燕枝の師匠五代目柳家小さんは「あらためてお茶湯をあげるにはおよばない」として落げる。
それを、立川談志は、仏が川で死んだことにして「もう水にはこりているだろう」と落げる。さて、これは談志が作ったものかと思いきや、川戸貞吉『落語大百科』によると、昔からあったものらしいとも記してあるが、その出自や経緯など判然としない。たとえば、桂歌丸も「水にはこりて」の落げを使っていたことは記されている。
で、この小燕枝は師匠に倣った落げを使うかと思ったが、「水にはこりて」だった。兄弟子の談志への思いがあったものか。関係ないか。
ちなみに、小燕枝の前座名は、談志の前座名と同じ「小よし」であったが……。関係ないか。
ちなみに、小燕枝の前座名は、談志の前座名と同じ「小よし」であったが……。関係ないか。