工藤直子さんとは「のはらうた」という詩集で有名な方です。
その中で一番人気は「かまきりりゅうじ」ですけど、知ってますか?
なかなかユニークな詩なので機会があれば是非。
今日の講演会では、詩をどう朗読したらいいか?という質問が多いけれども
自分が気に入ったものは自分が書いた(書かせた)詩と思って
読めばいいということをおっしゃてました。
その気に入った詩ということで、
どうやったらその気に入った詩が見つけられるか?という話もしてくださいました。
「その、気に入った詩、好きな詩はどれかを見つけるのが難しんですよね。」と
工藤さん。
これは詩に限らず、私たちの生活にかかわること全てにいえると思います。
将来の夢が定まらないのもこの「好き」がはっきり分からないからでは
ないでしょうか?
私はそんな気がします。
「好きの理由がいえるものは、それは一番の好きではありません。
二番、三番の好きなんです。」
と、工藤さん。一瞬、「え?」と思いました。
説明できるものは、一番好きではないんだ。
じゃぁ、何が一番好きなんだ?
「一番好きと思えるものは理由が分からないものだと思うんですよね。
理由は分からないけどなんか好きなんだよなぁと思えるものが、
一番の好き。心の奥底でつながっているからなんか好きだと
思えるんですよ。」
なるほど。
「なんで好きなの?」
といわれると困るものってたしかにある。
松さんだって、「どこが好きなの?」
ときかれ、答えれない自分がいやで説明を考えて最近はそれを言うように
しているけれども、それを話しながら少しずれてるなぁと感じますもん。
「演技が上手だから。」
「一生懸命やってるから。」
そんな人は松さん以外にも沢山いるわけです。
でも、その中でも松さんに惹かれるのは、心の奥底の何かに触れるから
なんでしょうね。
まぁ、松さんに限らず、いろいろなんとなく好きってものはあるんですけど、
あるいは、なんか気になるってものもあるわけですが、
それら全部何かしら自分に関わりあるからなんですよね。
そういう感覚を大切にしないとね。
なんでも説明できないとだめっていう風潮がどこかしら、そういったなんとなく
好きといった感覚を押さえ込む傾向があって、それで好きの分からない人が
増えているのかも知れませんね。
あとですね、工藤さんは、他の詩人の新作など出るとチェックされている
らしんですけど、いい作品(気に入った作品)があると、
「わぁ、○○さんにこんな詩を書かせてしまったわ。」
と思うそうです。
いいと思えるものは、その時点で自分のものなんだという考えなんだそうです。
私も、B’zが新曲を出したとき、フィーリング合うと、
私の気持ちが届いてこの歌だしてくれたんだなぁと思うことあります。
でも、思うんですけど、多少、そんな力も働きますよね。
想いって見えないものですけど、力なきものではないと思います。
作り手と受けて、両者の関係はフィフティー・フィフティーだという話もされていました。
それもすごく謙虚ないい考え方だなぁと思いました。
みえない力によって私たちは支えられているんですよね。
ここ最近、森山良子さんや矢野顕子さんや今回の工藤直子さんやら、
活躍されている大人な女性の話を聴く機会に恵まれているんですけど、
どの方も自分の人生を(暗い部分、つらい部分も)しっかりと受け止め、
その上で明るく振舞っているんだなぁって。
感情のコントロールがきちんとできる人たちなんだなぁということを感じました。
とにかく三人とも舞台の上で明るい明るい!
楽しんでいるようにしか見えないんですよね。
そういうのって、かっこいいですよね。
はい、憧れます。
どんな人にだって辛いことはある。
程度は違うにしたって、楽しいばかりの人はいない。
その楽しくないところに不満ばかり述べて暮らしていくことが余計に
人生をつまらなく、辛くはしてないだろうか?
辛いことも包み込んでそんな人生を自分への試練だと想い、
今を強く楽しめるくらいの人になりたいです。
良いことも悪いことも永遠ってものはないんだから。
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事