短所というよりは、自分が苦しいなぁ、変えたいなぁと
思っている所といえばいいのかな。
それは以下のようなことです。
人に話しかけるのがすごく苦手なこと。
だから、自分の感情を相手に伝えることはとっても苦手。
人の中にいると、自分がすごく小さく固まってしまうような
窮屈感を覚え身動きとれなくなること。
窮屈に感じて声が実際に小さな声しか出なくなる・・・などなど。
これっていろいろな面で自分にとって不利な性格の癖なんですよね。
性格って癖なんだってことを今、読んでいるの本に書いてあるんですけど
確かになぁって。
『癖=繰り返し続けるもの。そして、繰り返ししたいと願い続ける行動。』
「自分は○○だから、△△できない」
「あの人には○○がいるから、自分は相手にされない」
「どうせ自分は○○だし・・・」
などなど、こういった考えをして、逃げの行動を繰り返すことで
自分の悪い癖をどんどん強化していってしまっているのが、
大半の人なんだそうです。
って、まだ自分の言葉になってないので、うまく説明できないけど。
でも、性格なんかは本当、行動で変えていくことができるんですよね。
そう、普段とは違う行動を繰り返すことで。
最初は不自然に感じる行動でも次第に板についてきて、
それが自然となり、性格となっていく。
それは昔、感じたことがある。
誰かと友達になりたいと思ったとき、私の場合、
まず考えるのは、相手にとってどんな位置なんだろう・・・って
ことなんだけど、位置なんて最初は赤の他人なんだから、
本当は何も気にせずに、仲良くしたいなら仲良くしたいって
行動を示していけばいいんですよね。
それからですよね、相手にとってどんな立場かが決まってくるのは。
それと、自分がうっとおしいのではないだろうか?とか、
変に思われてはないだろうか?とか、
迷惑ではないだとうか?とか、そういうことを考えてしまいます。
でも、それも相手がいやだなぁと思えば、距離をとって
くれることであるので、これも先さき気にしないでいいことなんですよね。
恥ずかしがって、うれしいときや寂しいときなど、つい、
何にも感じてないかのように私は振る舞いがちなんだけど、
でも、逆の立場になって考えてみれば、
「○○さんがいてくれてうれしい!」
「○○さんがいないと寂しい」
とか言ってくれると、やっぱうれしいものですよね。
・・・だから、うれしいとか寂しいとか感じることはちっとも
恥ずかしいことではないはずなのに、・・・なんで私はそういう
感情を恥ずかしい、知られたくないと思うのだろう?
だれかを好きだと思っている気持ちを知られるのが妙に恥ずかしい。
誰かのことに夢中になって、誰かのことで頭がいっぱいになって
それに感情が振り回されることを知られるのが恥ずかしい。
とくに、当の本人に気づかれるのは・・・!!
これはスッパリサッパリと自分の行動を変えるのが一番なんだそうですよ。
私の場合だと、喜怒哀楽をしっかり相手に伝えることですよね。
ずっと前にここのブログに人間的感情を育てるのは、映画を見るのが
効果的だってことを書いた気がします。
何かの本にそのように書いてあったんですよね。
んで、それを書いてから、映画を結構見るようになったんですけど・・・
少しは人間的感情も育ったかなぁ?
昨日は、「花君」があったんですが、最後のサノのひたむきさに
泣けたんですけど、そのあとに始まる「牛に願いを」というドラマも
泣けましたね。
この二つのドラマの両方とも自分に素直になることの大切さって
いうのかなぁ、そういうものが描かれていたように思います。
自分に嘘をつかないことは、周りの心も動かすんですよね。
「悪ぶらなくても、強がらなくても大丈夫。
きっとそれでも受け入れてくれるから」(牛に願いをより)
人は何かしら不必要な心配を抱えているものなんですかね、
私のように・・・。
私が考えているようなことを、ほかの人も考えているのかなぁって、
ドラマを見ながら思います。
いろいろなドラマ、本なんかを読んで感じるんだけど、
前に書いた戸田さんの言葉は真理をついているなぁって思います。
「もっと人を信頼して、自分を素直出していきなさいって。
強がらなくてもいいんだって。
自分が素直になったことでもっともっとたくさんの人に
愛されるようになるからって。」
これが人間関係において幸せになるための最もシンプルで、
すべてを言い表している言葉かなぁって思います。
きっと戸田さんも、今回のドラマの回を撮影しながら、
ボイストレーニングの先生の言葉を思い出してたんではないかなぁと思います。
恥ずかしいけど、誰に対しても自分の気持ちを伝えていけるようにしたいです。
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