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えんじゃけん

Memory of Zero

今日は神奈川まで「Memory of Zero」を観てきました。

 

白井晃さんが関わっているということで、KAATかなと思っていたのですが、

今回は神奈川県民ホールでした。

KAATから近いところにあってよかったです。

結構、時間ぎりぎりに行ったので。

KAATは催しものをしてなかったのか人が少なく、一階ロビーでは、何かの撮影が行われていました。

そんな中、入っていく私はちょっと不審者でした。(汗)

さて、人気がなく様子のおかしさに気づき、慌ててスマホで確認して、目的の県民ホールへ。

そこから3分ほどで着きました。

海に近いホールで眺めがよさそうでしたが、眺めている間もなく、大ホールへと向かいました。

 

着いたのが17時20分ほど。

17時30分から開場ということで、しばらくそこで待ちました。

今回は整理券番号順ということで、私は10番内だったので、せっかくいい番号なので遅れるわけにはいかないという思いがありました。

しかし、今回の舞台、席がステージ上にあるということでどこがいい席なのか分からない。

私はてっきり、舞台上にも席があり、通常の観客席も座れるものと思っていましたが、そうではなく、

ステージの緞帳を下げた状態で、客席がステージの上のみステージの壁側に設置されている状態でした。

↑舞台後、撮影可だったのですが、実際始まるときには床の上にはものがありません。

私は写真左手の少し上側の階段脇の席に座ることにしました。

最初は最前列も座ってみたのですが、姿勢が苦しいのと舞台全体が見えないといった理由から後ろにしました。

さて、今回の舞台は一柳彗×白井晃 神奈川芸術文化財団芸術監督プロジェクトという企画のものです。

この舞台は二部構成になっていて、一部目が「身体の記憶」、二部目が「最後の物たちの国で」です。

■白井晃(構成・演出)

<第一部>

私たちが表現するものは、過去の芸術家たちが作った地層の上に成り立っていると白井さんは考えていて、

ダンスの同様で、コンテンポラリーダンスやポストモダンはクラシックバレエ、モダンバレエの流れで

生まれてたという視点から、自分たちの身体の中にはどのようなダンスの遺伝子が受け継がれてきたかを

この作品に於いて表現できればと思ったそうです。

<第二部>

アメリカの作家ポール・オースターの「最後の物たちの国で」をモチーフにした演劇的ダンス作品。

何も無くなった世界で私たちは生きていけるかということが、テーマとなった作品で、

何も無くなった時、「記憶」が生きる力へと転化していく話。

主人公はこぼれ落ちていく記憶を懸命にかきとどめ、「あなた」への手紙という形で生きた痕跡を残していく。

これこそ、主人公の生きる力であり、この作品の骨格をなすことになるだろうとのこと。

 

あとで、この解説を読んで、第二部は外国での話がもとなんだなと思いました。

荒れた街や空襲音を聞くとどうしても広島を思い出してしまいます。

アフタートークでは、3・11の震災の話も出ていました。

今回の曲は3・11が影響しているとのことでした。

決して他人事ではないんですよね、物が何もなくなって0になることは。

その時に、人としていられるか、何を糧に生きていくか。

今のありがたさなどについて考えさせられる作品でした。

途中で、白井さんが舞台上に、朗読をする形で登場するのですが、その中の一つで、

人はなくして初めてその物の大切さをしり、しかし、それをまた手にするとその大切さを忘れると

いった内容のことを言っていて確かになと思いました。

何かの大切さを知った時、この主人公のように何かに書き留めて、機会がある度に読み返すのも良いのかもしれない。

私は、このブログを途中休みながらも続けているけれども、久々に昔の記事を読むと、自分、こんなこと考えていたんだ。

とか、こんなこともあったななど思い出すきっかけになっています。

やはり、こうやって文章にする作業っていうのは、大切なのかもしれないと思いました。

 

第一部はダンサーが入ってくるなり、チョークで床に数字(年)を書き始めそのあと、まとまって動く様子がカッコよかったす。

そんな中、やはり引間文佳さん、輝いていました。

はじめ、金髪の人を探してしまいましたが、金髪の人は引間さんではありませんでした。

今回、引間さんは髪の毛が黒っぽくなっていましたが、動きですぐにわかりました。

今回、男女のダンサー20人ほどでの構成でした。

男の人はやはりダイナミックかつしなやかな動きでかっこいいなと思い見ていました。

しかし、引間さんは、それに引けを取らないというか、場面によってはそれ以上にダイナミックかつしなやかな動きで圧巻でした。

引間さんの動きは本当に独特で、女性とも男性ともいえない中性的な魅力があるように思います。

第一部ではかっこいい引間さんでした。

女性の体はこんなにもかっこいいんだなと思わされるんですよね、引間さんの場合。

通常、女性の体ってみていて、きれいだなとかそんな風に思うことが多いのですが、引間さんはそうではない。

男性とも違う、女性とも違うかっこよさがそこにはあります。(うまく表現できませんが)

音楽は生演奏でした。

ダンスの動きに本当にあっていてすばらしかったです。

ダンスと音楽が同時にかなでられるようなそんな感覚。

ダンスと音楽が瞬間瞬間に同時に生まれ出てきているようなそんな感じでした。

舞台上の客席から見て、舞台右端で音楽は奏らえていました。

注文を付けるなら、奏者の人も衣装に統一感があるとさらによかったのかなと少し思いました。

せっかく音楽もダンスも対等に演出するのであれば、奏者も出演者なので衣装があるとより世界観が統一できていいように思いました。

 

第二部では、途中サイレンのような音が鳴り響きます。

幕が少しだけ上がっていて、その隙間から光が点滅します。

まるで、爆撃でも幕の向こうでうけているかのように。

サイレンの音は大きくなり、なんと、幕がゆっくりと上がり始めます。

すると、幕の向こうには光が交錯する中で、ダンサーたちが客席の間を走り回り逃げ惑ています。

劇場であるはずなのに、一気にそこ空襲を受けている焼け野原のように見えました。

そのあとダンサーたちは舞台に上がってきます。

客席と舞台の間に、鉄板みたいなのがあったのですが、それの上を走る音も雰囲気が出ていてよかったです。

より緊迫感が増しました。

この鉄板、途中で高くなるのには驚きました。

爆弾などで焼き残された建物の骨組みに見えたり、檻にも見えたり、隔離された塀にも見えたり。

セリフがないので、いろいろと想像が掻き立てられました。

途中に大きく長いナイロンが出てくるのですが、それもなんだか、毒ガスやら放射能やら死につながる物、

あるいは、逆に生命の生れ出てくる産道にも見えました。

 

見ていて思ったのは、普通の演劇よりもセリフがない分、想像が掻き立てられるということ。

もしかしたら、作者の意図とはずれてしまった受け取りをしてしまっているのかもしれないけれども、

自分の記憶の中から、それらが表現しようとしているものを理解しようとしている自分がそこにいました。

それこそも、気づけば自分の中の記憶の遺伝子を繋ごうとしている行為。

芸術作品も過去の遺伝子を受け継いでいくものであるとしたら、それを見る側も、個人といった小さな枠の中で、

過去の遺伝子をもとに理解しようとし、それらが結びつくことで新しい考え、感じ方が生まれてくるのだなぁと。

ラストでは、一柳彗が左脇、ステージと客席ギリギリに置かれているピアノを奏で、その奏で終わった後に、

中二階席の客席の扉が少しずつ開き、光が差し込むことで希望を感じさせる終わりとなります。

 

 第二部の引間さんもかっこよかったのですが、第一部より演劇要素が加わることで、さらに引間さんらしさが出ていたように思います。

らしさ、というのはかっこいいだけではない!ということ。

引間さんはダイナミックなかっこいい動きをする人なんですけど、とってもチャーミングなところがある人だと思っています。

そのチャーミングさが最後の主人公と逃げ惑うところで出ていたなと。

チャーミングというと表現が違うのかもしれませんが、感情移入ができる動きをしていました。

登場人物の気持ちが分かるというのでしょうか。

女性役だったのだろうけど、少年ぽい、人として生きたい、大切なものを守ろうとする、そんな人物像がしっかりとできていました。

(違ってたらごめんなさい)

途中、客席に入ってきて階段に座るシーンもあったのですが、なんと、自分の斜め前に座っていて、動揺しました。

階段近くに座ってよかったなと思いました。

逃げて隠れているという設定なので、緊張感みなぎっていましたが、

階段に座っている間もずっと演技していて、たまに主人公の方に振り向く引間さん、素敵でした。

その隣に座っていたお客さんと本当にギリギリぶつかりそうなくらいの近くに座っている感じで、

お隣の方、かなりドキドキされている感じでした。

お隣でいいなと思いつつも、たぶん、隣だとまともに見ることができなかったろうなということで、

ひとつ後ろの席でよかったなと思うことにしました。

反対側の階段にも逃げて座っている様子でした。

あ、そうそう。白井さんも朗読してない間2回ほど座りに来ましたよ。

ということで、お得な席でした。

 

アフタートークもありました。

白井さん、一柳さん、板倉さんが出てきました。

ダンサーさんも出てきてほしいなぁと思いつつ・・・出てきませんでした。

三人でこれからの芸術についてやら、今回の舞台が出来上がるまでのお話をしてくださいました。

そのアフタートークのあとに、舞台上の撮影可となりました。

カーテンコールでも撮影可だと嬉しいのになぁと思いつつ、それは肖像権とか問題があるのかな?

カーテンコールでは、引間さんとてもいい笑顔でした。

やりきった感、うれしい感、そして、主要人物の一人であるのにもかかわらず、終始端の方であいさつしていた引間さん。

謙虚で素敵ですが、ファンとしては真ん中でも挨拶してほしかった。

けど、とても本当にいい表情をされていたので、よかったなと思いました。

ダンスではあんなに輝いて、存在感がすごいのに、ダンスでなくなると急に謙虚な感じ、ステージに立つのがちょっと

恥ずかしそうな感じのギャップもいいですよね。

カーテンコールは3,4回あったでしょうか?

結構、してくれました。奏者さんもカーテンコールに出てきてくれました。

引間さんはずっと左側の方であいさつしていました。(自分の席とは逆側)

舞台裏、ダンサーさんの衣装など置かれていました。

 

どんな舞台かな、面白いかなと不安が正直あったのですが、あっという間の2時間?でした。

かなり長いものだったと思うのですが、面白かったです。

ダンスでこれだけ魅せれるってすごいと思います。

白井さん、今回の演出でよかったのかどうか・・・とのことだったのですが、私は面白かったですよ!

ダンスだけだどたまに途中つらくなることもあるんですが、今回はそういう感覚はなく、

ずっと楽しめました!

見ている間、ずっと頭の中はフル回転でした。

また、このような企画を是非、お願いします!!

 

※ぎりぎりに着いたっていうのに、中華街が近いので、小籠包の食べ歩きをした私。

KAATだと違うと気づいたときには焦りました!

時間は余裕を持っておくのが大切ですね。

あ、あと、事前の確認はしっかりと!ですね(汗)

小籠包、ぎりぎりでしたけど、美味しかったです!!

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