福岡タワーとの対話

タワーと出会い早30年。動画制作にも意欲を持つ令和版高齢者!

66歳の夏、若き日々を語る(続)

2019年08月12日 01時19分19秒 | 徒然随想
2019年8月11日日曜日、天候晴れ。午後10時40分現在時外気温30.6℃湿度73%、南東の風4.9m/s。
昨日今日と素晴らしい朝焼けに遭遇した。
午前5時前、外に出て東の空を見ると空全体が燃えていた。
言葉で表現尽くし難く、過去に良く似た情景に遭遇したことも有り、
その際に撮影した画像を探した。
それがこの一コマである。

タワー周辺には目立つ建物もなく、主役はタワーだった。
その背景を彩る自然のキャンバス。

あの頃、スタミナが有ったのだろうな。
毎朝でも出かける勢いだった。
毎朝でも早起き出来た。

しかしながら記録の媒体は高価なリバーサルフィルムで、
安サラリーの自分にはとても続けようがなかった。
一コマが貴重で、レリーズを押すにも神経を集中させた。

でも、撮っておいて良かった。


前回の続きになるが、
冬の寒い時期、叔父の手伝いに本家に滞在し、
鮮魚商の一部分だけを体験した。

叔父の店は地元のスーパーにテナントとして入っていた。
店に下ろした魚箱は様々な魚貝類に溢れ、高級魚はすぐさま冷蔵室に収納した。
アジ・イワシ・サバなど、ザル盛りで売りさばくものは、
通路にはみ出すほどの大きな台に並べた。
台の上には大量の氷を敷き詰め、足の早い魚ほど鮮度を保つようにした。

前日に習った私は箱一杯のイカをひたすら、皮むきした。
むき始めは上手くなかったが次第に要領を覚え、きれいに剥けるようになった。
皮むきのイカを特売品のザルに盛り、台の上に並べた。
天井から照明用の灯りが何個も点灯。

開店後しばらくすると、サカナ好きのおかみさん達でにぎわい始めた。
おかみさんたちの目利きは達者なもので、価格に見合うものであればすぐさま、買ってくれた。
高校生の私は、そのおかみさんたちを相手に接客した。
いろんな言葉が交わされた。
「いらっしゃい」「今日はイカがお買い得です」「煮ても焼いても最高です」・・・
慣れない言葉を、初めは恥ずかしく、次第に大きく。

お客とやり取りしながらものを売る。
対面販売の基本は、お客の目を見て言うこと。
買う気のお客は、品定めを始める。
「おにいちゃん、イカふた盛りね!」「ありがとうございます!」
一人が買うと他の客もつられて「イカひと盛り!」「ふた盛り!」イカは飛ぶように売れた。

値付けは全て叔父、その采配は見事だった。
テーブルに並べたイカは1時間で、完売した。
様子を見ていた叔父は、「あと一箱、むいちょけ」と追加を指示した。
刺し身には無理だが、いきの良さが食欲をソソるイカ。

お客は「このイカ、刺身でいけるん?」叔父が「それは煮付用、刺し身はこれ」と、
身の分厚いコウイカを指差した。値は数倍した。
それでも相場より一割は安かった。
叔父の値付けは、購買意欲をくすぐる微妙なさじ加減だった。

まだうねうねと動き、背の模様が刻々と変化する。
新鮮さは折り紙付きだ。
刺身用を口にした客は、その値を見て「三ばい、刺し身にして」と言った。
そのやり取りを横で見聞きしていた他の客が、「私は二ハイでいいけん、ちょうだい」「こっちにもくれんね」と、
刺身用のイカも次々と売れた。

叔父の包丁で刺し身に仕上げたイカ、
経木(薄板)に並べ水気を切ったツマ(大根の千切り)と、
練り上げて間もないわさびを盛って新聞紙で包み、お客に手渡す。
これを何度も繰り返す。
天井からぶら下がるカゴは、小銭や札でどんどんふくれる。
ぶら下がりはゴム製、多少引っ張っても大丈だ。
ペタペタするハエ取り用のクルクルリボンもぶら下がる。

午前中はほぼ、イカで終わった。
短時間でお昼を済ませ、再び店頭へ。
目がキラキラしたアジ・サバのザル盛り。まわりの氷からうっすらと冷気が立ち昇る。
客足はほとんど途絶えない。
その後も台の上のザルは片端から売れ切れ、鯛などの高級魚が買い手を待つ。

電話が鳴り、鉢盛りの注文が入る。
5,000円の盛り三鉢。「上もんの伊勢海老が入っちょるとやがどげんね」
「ほしたらね、伊勢海老に鯛とアワビ、サービスでサザエも入れて他は見繕って7,000円にしちょこう」
と言うことで締めて、客の予算は20,000円オーバーとなった。
特サイズの鉢を用意、叔父は鉢盛り作りに入った。

その間、手伝いに来ているタカハシのおばさんと二人で店頭に立つ。
「ヒロシ、値は任すけん、ぜんぶ売り切れ!」と奥から叔父の声が飛ぶ。
アジ・サバはふた盛りで○○○円に、イワシは三盛りで○○○円にディスカウントした。
「三枚に下ろしますか?」「この値段でそれ言うたらバチ当たるき」「ありがとうございます!」
夕方を待つまでもなく、三時頃にはほぼ全て売り切った。

買ったお客さんは皆、得した気分で笑顔だった。
買いそびれたお客は「もう無いと?」と残念そうだ。

出来上がった鉢盛りは間を置かず、叔父と一緒に注文主宅へ配達に行った。
全て現金決済だった。

売り切った台・店先、調理場を水で流し掃除する。
デッキブラシを使ってゴシゴシと。

活気に溢れ、皆が元気だった時代、
景気の良かった時代、
お買い物を楽しむお客の表情が
皆、幸せそうだった。

鮮魚商は早朝から夕方まで、息継ぐ暇もない慌ただしい商売である。
しかし、仕入れ値の数倍(もしくはそれ以上)になって、大変さを補って余りある商売でも有る。
叔父の羽振りの良さの要因がここに有ったようだ。

一冬、叔父の仕事を手伝い、それも終わった。
明日、博多に帰るという夜、
叔父から分厚くなった封筒を手渡された。
「家に帰ってから、中を開けない(開けなさい、の意)」
「今夜は思う存分、食いないや(食べなさい、の意)」
本家の居間には、差し渡し90cmもある鉢盛りが用意してあった。
「まだ高校生やけん、酒は飲めんな」
大酒飲みの叔父は剣菱を愛飲していた。
玄関には一升瓶6本入りの木箱が4,5箱積まれていた。
義理の叔母さんは「いっぱい食べんしゃい」「よう頑張ったね」と、
仕事の手伝いを労ってくれた。

奥の子供部屋から、受験生の従兄弟が出て来た。
「明日、帰るんな?」「また、来ないや」「俺も博多の大学に入ったら、ヒロシんちに寄るき」
あっさりした会話だった。
くたびれた私はその夜、早々に床に入った。

翌朝は日曜日、朝食を済ませ帰宅の準備をしていた。
義理の叔母さんから「駅まで送っちゃるき」と、車で最寄りの駅まで送ってもらった。
改札口でお礼を言って別れ、跨線橋を渡って博多方面のホームに立った。
間もなくして列車がやってきた。

列車の窓から改札口を見ると、叔母さんがまだ立っていた。
手を振って、叔母さんに別れを告げた。

追記
自宅に戻り、叔父から手渡された封筒を開けると、
多額の1万円札と、おふくろへの手紙が入っていた。
高校生のバイト代としては破格の金額だった。
おふくろの手紙に何が書かれていたかは未だ、わからないままだ。


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