増田カイロプラクティック【読書三昧】

増田カイロプラクティックセンターのスタッフ全員による読書三昧。
ダントツで院長増田裕DCの読書量が多いです…。

アイルランド

2008-03-18 23:01:39 | 増田裕 DC
モノづくり幻想が日本経済をダメにする―変わる世界、変わらない日本
野口 悠紀雄
ダイヤモンド社

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 アイルランドで思い浮かべるのはどんなことですか?
 
 私の場合、歌手のエンヤである。カイロプラクティックのビジネスコンサルタン業をしているアメリカ人の一連の本を読んでいるなかに、治療院の音楽にアイルランド歌手のエンヤの曲がいいと書いてあったので早速買い求め、一時期、朝から晩までエンヤの曲を流し続けた。これを3年くらい続けた。よく飽きなかったものだ。患者さんの一般的反応は「何か宗教的な感じのする音楽ですね」というものだった。まだ、日本ではエンヤは知られていなかった頃だ。中には、とてもいい曲だから、なんのCDか教えて欲しいとたずねる人も何人かいた。私の治療院経営はエンヤとともにあった。

 次に思い浮かぶのは、文部省唱歌にアイルランド民謡は多いはずだ。文部省唱歌の「庭の千草」や「ロンドンデリーの歌」(ダニーボーイ)が有名だ。

 次に、村上春樹がよく見るビデオの「静かなる男」という映画。何回も何回もこれを見て安らぎを得るという。これは彼が自分で何かの本で明らかにしていた。そこで購入してみた。これはアメリカに移民した人間が傷心を癒すために故郷のアイルランドに帰った物語である。

おっと、忘れるところだった、私が勝手に師匠と仰いでいる丸谷才一氏のライフワークがアイルランドの偉大な作家ジェイムス・ジョイスであった。彼の「ユリシーズ」は集英社の全3巻を購入しているのだが、まだ読み終えていない。

 それから、意外や本書にアイルランドのことが出てくる。著者は「超整理学」などで有名な経済学者の野口悠紀雄である。この学者は歴史にも強い。この学者のものはたいてい購入して読んでいる。

 第1章「世界は大きく変わった」の「1」は「リバーダンスが示す世界の大変化」である。ここの全文を引用してみよう。

 リバーダンス現象
 「リバーダンス」と言っても、ご存知ない読者が多いかもしれない。これは、アイルランドの伝統的なダンスをベースにして創作された新しいダンスショーである。
 一九九四年にダブリンで開かれたユーロヴィジョン・ソング・コンテストで幕間に行った七分間の初公演が大反響を呼び、その後、独立した1つの作品に成長した。九七年にグラミー賞を取り、2003年のスペシャル・オリンピックス夏大会では、オープニングセレモニーで披露された。大げさに言えば、「リバーダンス現象」を引き起こしつつ、世界中の支持を得つつあるわけだ。
 私がここで述べたいのは、その芸術的価値ではなく、背後にある世界経済の構造変化との関連だ。リバーダンスの誕生と成長は、アイルランドの驚異的な経済成長と密接に関係しているからである。
 リバーダンスの第二幕は、アイルランド移民の歴史を描いている。故国を離れて大海を渡り、新世界に生活せざるをえない状況に追い込まれた人びと。そこでのさまざまな民族との交流…。
 ここには、スペインの踊りやロシアの踊りも登場する。ロシアで生まれたクラッシクバレエにも民族舞踊が登場するから、異国の踊りが含まれていること自体は、別に珍しくない。しかし、リバーダンスには、アメリカの黒人たちも登場する。つまり、これは伝統の復活ではなく、帰国する移民の子孫たちを迎えつつあるアイルランドが、新しく生み出した作品なのだ。
 「The Best of Riverdance」というDVDのなかで、ジーン・バトラー(初代のブリシンバルダンサー)は、テオ・ドーガン(現代のアイルランド抒情詩人)の詩を引用して、アイルランド移民の歴史を語り始める。
 「明け方、船は出航する。恋人たちの嘆きは潮に打ち上げられ、悲しみを知るに若過ぎる者の心は、引き裂かれる。海は深く、暗く、そして広い」

「ミリオンダラー・ベイビー」、「風と共に去りぬ」
かつて、アイルランドから大量の移民が全世界に流れ出た。そうなったのは、アイルランドが産業革命から取り残された貧しい農業国だったからだ。
 特に一八四〇年代の「ジャガイモ飢饉」の際には、100万人以上が餓死し、骨だけの人が死体とともに生活するという地獄の世界が現出した。アイルランドの人びとは、それから逃れるために、恋人や家族と別れて海を渡ったのである。
 現在のアイルランドの人口は400万に満たないが、ジャガイモ飢饉の前はその2倍だった。世界中に散った移民の子孫は、7000万人以上と言われる。「アイリッシュ・アメリカン」と呼ばれるアメリカのアイルランド移民の子孫は、4000万人を超す。
 新天地に渡ったアイルランド移民は、そこでも極貧の生活を強いられた。クリント・イーストウッド監督の映画「ミリオンダラー・ベイビー」は、そうした背景を知らないと理解できない。ヒラリー・スワンク演じる主人公は極貧の生活を強いられているから、女性であってもボクサーになるしか生きる道がないのである。彼女が「私はマギー・フィッツジェラルド」と自己紹介する場面があるが、これは「私は貧乏人です」と言っているのとほぼ同義である(ケネディ大統領のミドルネームでもある「フィッツジェラルド」は、典型的なアイルランド名)。
 「風と共に去りぬ」も、アイルランド移民の物語である。私は以前、これは、奴隷制に依存した南部プランテーション社会の上流階級の人びとが、過ぎ去った古きよき時代を愛惜の情で懐古した物語だと思っていた。しかし、オハラ、ケネディ、ハミルトン、バトラーなど主人公たちの家名が典型的なアイルランド名であることを知って、これはアイリッシュ・アメリカンのアングロサクソンに対する憎しみを描いた物語であると悟った(作家のマーガレット・ミッチェルもアイリッシュ・アメリカン。主演ビビアン・リーの「リー」も、南軍のリー将軍と同じく、典型的なアイルランド名である)。
 「タラ」とは、アイルランドの聖地なのだそうだ。彼らは、故国では夢にも見られなかった富を新天地で築いた例外的なアイリッシュ・アメリカンである。しかし、その富は北部産業社会の野蛮なヤンキーどもに破壊され、風と共に去った。それに対するすさまじい憎悪の物語なのだ。

「黒水仙」、「静かなる男」
 映画「黒水仙」で、主人公の修道女シスター・クローダ(デボラ・カー)は、「私は、アイルランドの小さな村デニス・ケリーで育った。結婚すると誰もが思っていた恋人は、私を置いてアメリカに行ってしまった。だから私は修道女になった」と告白する場面がある。この映画の製作が1946年であることを考えると、「夢を求めてアイルランドを脱出する」のは、ごく最近まで当たり前だったことが分かる。
 「アイリッシュ・アメリカンの祖国帰還」と聞いて誰でも思い浮かべるのは、映画「静かなる男」(1952年)だろう。ジョン・ウェイン、モーリン・オハラ、バリー・フィッツジェラルドなど、「ジョン・フォード監督のアイルランド一座」のメンバーが総出演している。
 主人公は、アメリカに渡ったアイルランド移民の子のボクサーだ。試合中に誤って相手を殺してしまったことからボクサーをやめ、故国に戻ってくる。つまり、これは、故郷に錦を飾る物語ではなく、夢破れたアイリッシュ・アメリカンの傷心の原点探しなのだ。
 故郷の村で彼が見出したのは、現代の産業社会ではおよそ使い物にならないような人びとだ。映画の冒頭に流される「列車はいつものように、三時間遅れで到着しました」と言うナレーションで、それが予告される。
 ここに登場するのは、古い因習にとらわれ、頑固で融通がきかず、細かい金銭に執着し、他人の私事にやたらと首を突っ込みたがる、典型的なアイルランドの人びとだ。しかし、彼らは、なんと豊かな情感に溢れているだろう。
 女主人公メアリ・ケイト・ダナハが歌う「イニシュフリーの鳥」は、われわれの心を捉えて離さない(歌っているのがモーリン・オハラでなく、吹き替えなのが残念だ。なお、この歌は「ケルティック・ウーマン」のCDにも収められている)。

祖国へ帰還し始めた移民の子孫たち
 このように、アイルランドの歴史もアイルランド移民の歴史も、後進性と貧しさと苦難の歴史である。
 しかし、そのアイルランドが、15年ほど前に大変身したのである。それは、唐突な変化であり、しかもきわめて大きな変化であった。ジーン・バトラーは言う。
 「驚くべきことに、90年代になって、アイルランド移民の子孫たちは故国に帰り始めました」
 現在起こっているアイルランド人の祖国帰還は、「静かなる男」の場合と正反対なものであることに、あらためて驚かされる。
 それは、傷心の帰国ではない。かといって、アメリカで成功して故郷に錦を飾るわけでもない。90年代以降の世界経済の大変化のなかでアイルランドが目覚しい経済成長を遂げ、その結果、アイルランドで労働力が不足し、そのために移民の子孫が戻ってきているのである。現在のアイルランドでは、30歳未満の人が人口の半分を占めるという。
 「移民の子孫たちは、古い記憶を胸に、勝ち誇って帰国しています。これは、循環的な旅の完了を象徴する出来事なのです」というバトラーの言葉は、非常に印象的だ。
 彼らの祖先は、生存のため、家族や恋人と別れ、抑圧された貧しい農業国から脱出した。そして、その子孫たちが、工業国を飛び越えて「脱工業化社会」を築きつつある祖国に戻ってきたのである。
 J・R・トルーキンの長編ファンタジー「指輪物語」に登場する妖精エルフは、人間族に追われてミドルアースを西に逃げる。そしてついには、大洋のはるか彼方の大陸に渡る。
 それは、アングロサクソンに追われて大ブリテン島の北や西端に、そしてアイルランドに追い詰められ、さらに大西洋を渡って新大陸に逃げていったケルトを想像させる(実際、エルフの言葉であるエルダール語は、ケルトのゲーリック語を基としてトールキンが創作した言語である)。しかし、エルフの子孫たちは、いまや「循環的な旅」を終え、故国に帰還しつつあるのだ。 
 
リバーダンスの5回目の来日公演があると言う新聞の広告を見た。全席指定1万2000円だが、試しに行ってみようか。





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