新装版 アメリカの日本空襲にモラルはあったか―戦略爆撃の道義的問題ロナルド シェイファー草思社このアイテムの詳細を見る |
松尾文夫氏の本「銃を持つ民主主義」の参考文献にあげられていたので購入して読んだ。著者はカリフォルニア大ノースリッジ校の歴史学の教授である。訳者は深田民生であるが、略歴がないので、本名なのかペンネームなのか不明である。
本書は日本の都市に対する無差別爆撃を遂行したカーチス・ルメイ将軍の主張を詳述している。第1章「アメリカの航空戦指導者」の最初で南北戦争時代のシャーマン将軍に触れているが、訳者はあとがきで、これを解説している。いろんな本を読むと、どうやら「無条件降伏」とか「夜間無差別爆撃」とかいう敵を徹底的に叩くという報復主義は南北戦争に起因しているようだ。
訳者はあとがきで解説している。シャーマン将軍は南北戦争のときの北軍の将軍だった。かれの戦いの方法は大規模な奇襲戦法だった。十万の軍隊を率い、南部奥深く攻め入り、南部の経済を徹底的に壊滅させることだった。侵攻軍の兵士たちが食べる以外の牛、豚、馬のすべてを殺し、侵攻地域のすべての家を焼き払い、鉄道を破壊した。南部のある女性がシャーマンの軍隊に侵攻された南部のことを「焼け焦げた国」と記した。シャーマンは「南部を崩壊させ、疲れ果てさせ、南部の人間のプライドを踏みにじるのだ」と説き、そのとおりの戦いをした。シャーマンの戦いの実態を知れば、B29の都市爆撃によって日本を「焼け焦げた国」にしたのは、まさにシャーマンの戦法なのだと理解できよう。ルメイの戦いは南北戦争時代の戦い方を継承したものだった。アメリカの伝統を踏まえての戦いだった。だからこそ、ルメイの戦法に反対下のは少数の人たちだったである。すべてを焼き尽くせと説き、一般市民を殺すことに何の痛痒も感じなかったのが大部分の政治家、軍人だった。
日本に関する記述は第6章、日本に対する爆撃(1)-焼夷弾攻撃の準備、第7章、日本に対する爆撃(2)-東京から長崎へ、第8章、日本に対する爆撃(3)-道義的問題に対するアメリカの認識である。
この中で新しく知ったのは、「火炎攻撃の最も力強い提唱者は科学者でも軍人でもなく、全国火災保護協会の主任技師のホレイショ・ボンドであった」ことである。火災に精通している専門家の意見が大切だと考えていた。次に、米外国経済局は、戦前、日本で営業していたイギリスの保険会社が提供した情報も検討している。こうした経過を受けて、陸軍情報部は1943年3月20日に8つの主要標的と日本経済に不可欠な57の重要標的をリストアップした。ボンド配下のイーウェルはM69焼夷弾による詳細な破壊効果を予測した。
1944年初頭に国防調査委員会と陸軍航空軍の委員会は日本の建物群に見立てた「小東京」と呼ぶ小さな村をいくつか建設し、そこで焼夷弾の破壊実験を行った。焼夷弾小委員会は本州の六大都市に対する攻撃は日本経済を相当痛みつけ、当該地域の住宅の70%を破壊し、50万人以上の市民を殺害するだろう。また、日本に関する専門家は日本人の火災に対する心理的パニックも分
析している。
いくつかの曲折を経て、ルメイ将軍が日本の空襲の司令官となった。ルメイはB29の低空による標的上空を飛行させることを決意した。これは焼夷弾を密に落として大破壊を実現するためである。燃料節約、爆弾の最大限搭載、ジェット気流の下を飛行するので漂流の心配がない、風で飛散する傾向のある焼夷弾を目標付近に着弾できる、エンジン負担の軽減が目的であった。
東京大空襲の被害の状況の描写もあるが、これは割愛する。
ルメイ将軍は東京が「焼き払われて、地図からも一掃され」、「もしこの空襲が私の思う通りに功を奏するなら、我々は戦争を短縮できる」と述べている。
ルメイ将軍配下のカニンガム大佐は次のように述べる。「我々軍人は手加減するつもりもなければ日曜学校のピクニックを装うつもりもない。我々は戦争を、全面戦争をやっているのであり、これはアメリカ兵の生命を救い、戦争という苦悩を短縮し、恒久平和の実現を求めるものである。我々は敵がどこにいようと、最短時間で最大多数の敵を見付だして殺害するつもりである。我々にとって、日本には一般市民などいないのである」
著者は日本に空襲の道義的責任はあるか? この問いに対して明快に解答していないが、叙述に従え場、答えは「イエス」である。
最後にルメイ将軍自身の弁明を記しておく。
「あの当時日本人を殺戮することで悩んだりはしなかった。頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった。だからその任務で我々が何人殺したかなどととりたてて気に病んでいなかった。すべての戦争は非道義的なのであり、もしきみがそのことで悩むのであれば、きみはよい軍人ではない」
「死になんら新しいものはない、軍事的に引き起こされた死になんら新しいものはないのだ。我々は三月九日から十日未明にかけて、広島と長崎で蒸発した人々を合わせたより多くの東京住民を、焼き焦がし、熱湯に漬け、焼死させたのである」
「(法律に)違反もしていないし、不法で非道義的な領域に踏み込んだわけでもない。軍人は仕事をやるように命令されていた。彼らはその仕事をやったのだ」