大人の見識 (新潮新書 237)阿川 弘之新潮社このアイテムの詳細を見る |
阿川弘之と言えば、海軍提督三部作の作家であると知っていた。しかし、何も読んだことがなかった。ただなんとなく、保守的な人間だと思っていた。本屋で何気なく手を伸ばして購入した。しかし、読後感はごく常識的な人だと思いました。以下に記憶に残ったところを引用する。
近頃はまた反動の反動が来て、日本の対米開戦を肯定するような論議も見かけますが、僕は賛成しませんね。冷静に客観的に見て到底勝ち目のない戦争に何故突入したのか。
近年、あの戦争は日本の自衛戦争だといって、正当化しようとする人が少なからずいますね。間違っているとは思いません。ABCD包囲陣(米英支蘭)に文字通り包囲され、石油輸入の道は閉ざされ、自存自衛のために立ち上がらざるを得なくなったという一面が確かにありました。だけど結果が、死者三百万、全国焼野原、全軍無条件降伏と出て尚、「自衛戦争だったんだから」では済まないでしょう。昭和十六年九月、御前会議の席上、懐中から紙片を取り出し、
四方の海みなはらからと思ふ世に
など波風の立ちさわぐらむ
と明治天皇の御製を読み上げて、暗に平和維持を望まれた陛下の御意思は(ノーリターン・ポイントをもうすぎていたとは言え)何故守られなかったのだろう。相手の巧妙な挑発に乗せられただとしても、それは乗った方が悪い。「カルタゴの暴発」は何としても避けてほしかったと、僕は思います。
自衛説と並んで戦争目的達成説もある。日本が盟主となって、欧米の植民地にされているアジアの国々を解放するのが、「大東亜戦争」本来の目的、目的は成就し、フィリピンもインドネシアもビルマも戦後独立したんだから、負けても大きな意義のある戦争だった―。(略)しかし、あれは植民地解放の為の正義の戦争と、全世界に向かって本気で主張するなら、独りよがりのこじつけと、否定されるのが落ちではないでしょうか。アジア諸国の独立は、戦争の結果であって、ほんとうの目的じゃなかったんだから。昭和十八年の大東亜会議では解放戦争の意義を強調したかも知れませんが、日本政府の言うこととやることと違っていたのは、朝鮮をどう扱ったか一つ見ても分かりますよ。
(対米開戦のニュースを聞いたときなぜか涙がポロポロ出て困った話をすると)京大教授の中西(輝政)さんが、ギリシャの歴史家ポリュビオスの言葉を教えてくれた。ポリュビオスによれば、物事が宙ぶらりんの状態で延々と続くのが人の魂をいちばん参らせる。その状態がどっちかへ決した時、人は大変な気持ちよさを味わうのだが、もしそれが国の指導者に伝染すると、その国は滅亡の危機に瀕する。カルタゴがローマの挑発に耐えかねて暴発し、亡びたのはそれだと―。
日本人の性格がどうも軽躁であると見抜いて注意を払っていた戦国武将は、武田信玄です。「主将の陥りやすき三大失観」と題した遺訓を読むと、
一つ、分別あるものを悪人とみること
二つ、遠慮あるものを臆病とみること
三つ、軽躁なるものを勇豪とみること
そう戒めています。さすが風林火山を旗じるしに掲げた武人の洞察力だと思います。
以上が特に印象に残った。