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一週一信

絹代ちゃん



サ・高・住のホームから


今日は八月十五日
敗戦日国民学校一年生

昭和21年頃~未だ世の中混乱の極みでした。小学校の子どもたちは食べるものも満足ではなく洋服も着たきり雀の状態でした。


私は草深い関西の田舎の小学校二年生でした。同じクラスの絹代ちゃんと仲良くなりました。

小柄でいつもきちんと洗った服を着て感じの良い印象でした。
しかし彼女はいつもどこか遠慮勝ちで さみしそうな姿でした。

ある日絹代ちゃんは私に「うち 子に行くねん」と打ち明けてくれました。

後年分かったのですが、彼女のお父さんは戦死。
お母さんは幼い絹代ちゃんをおいて離縁してしまったらしい。
一人残された絹代ちゃんは長兄の家に居るが叔父さんの家も豊かではなく、経済的負担も大変なことで~どこかへ「子に出す」ことにしたらしい。


絹代ちゃんはある日微笑ながら「お父さんが田中絹代が好きだったから、絹代という名にしたの」
当時の有名な女優さん

戦死した父からの唯ひとつのプレゼントだったのね。

三年生になった時彼女の姿は消えていました。1度くらい葉書を出したような記憶もありますが~~~


今85歳になって絹代ちゃんは何処で暮らしておられるでしょうか!

僅か7 . 8歳の女の子が何と言う悲しい運命を抱えていたことでしょうか!


あんな良い子がその後きっと幸せな日々であったと信じます。今頃は良いおばあちゃんになっておられるでしょう。

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