だれだって、愛されたい、と思う。
しかも、自分にわかりやすい形で、愛されたい、と願う。
そのためには、どのようにしてもらうことが
自分にとっての「愛されている」感じであるのかを
ちゃんと相手に伝えなくちゃいけない。
だって、自分とあの人は、まったく世界観が違う
別個体なのだもの。
だけど、私はものすごく遠慮しちゃうのだ。
悪いよね。
おしつけがましいって嫌われちゃう。
とか、
そもそも私のことが、ちっとも好きじゃないんでしょ?
とか。
自分でもあきれるほど、いったいどこから
こんな悲観的な弱音がわきあがるのか
そらおそろしい。
ある後輩に昔言われたけどさ。
「自分から行けばいいのに」って。
う~ん。うなったよね。
いや、そんなことしてますけど
それだけでどうにかなるような
因果の私だったら、とっくにどうにかなってますよ、って。
怖いんだよね。
自信がないんだよね。
だって私はいつも男性に傷つけられてきたから。
私がバカで、自分のことがよくわからなかったせいで
私のことを本当に好きじゃないひとの口先にのって
関わってきたことが間違いだっただけなんだけどね。
まさか自分が、ふたごころある男性の気を引きやすい
根っこを持っているとは知らなかったのだもの。
自分で自分にショックで
因果をうらんでみたけど
それが自分に与えられたものだから
どうにもしようがない。
ますます自分で自分を否定するだけだから
それはあきらめて
自分を傷つけない生き方、
自分で自分の身を守る生き方を模索したわけです。
眠り姫が触れた針先の毒で
ショック寝に入ってしまったようなもの。
いばらの道をかきわけて、
本気で求めてくれるひととしか
関わらないぜ!
と決めてますけど
それもどうなん?
そんな突然変異的な関係は自然の法則とも違う気がする。
ひととひとの絆は、ちょっとずつかかわりあうなかで育てるものだからであり
そう簡単に、大事なことを決められるものでもない。
「恋に落ちる」という言葉があって
そりゃ不可抗力的にのめりこむ現象もあるけど
それだって関係をていねいに紡いでいく作業をおこたれば
ただの雷が落ちただけの現象で終わってしまう。
そこで学習したことは
(私は仕事にしてるぐらい、
自然の因果の摩訶不思議のタネの問題を研究してきた)
この手合いのそうとうに筋金入りの
「手に入らないもの」は
もう、自分から進んで望んじゃダメだ!って。
望んでるときは手に入らない。
異性や愛情に限らず、
お金や仕事や信頼や、あれやこれや。
「無私」のこころで
「与えつくす」ときに
そのひとだけの答えが見えてくるものなんだよね。
それも頭でお利口さんにではなくて
ハラからの心でね。
あるクライアントさんが
妊活なさっていて
最初は、旦那様に
「あれしてほしい、これしてほしい」と
悲しんでいたんですが
ていねいに私が不満を受け止めさせていただきながら、
それらのひとつひとつをたいせつに慈しんでいったら
1年したとき「だんなさんが欲しいものを与えたい」という
こころが育っていらっしゃったんですよね。
あ、きた!
いける!
その瞬間のエネルギーの動きって
ものすごくキラキラとしていて綺麗なんです。
そういう瞬間がくるまで
ひとに(特に大切な人には効果的)
与えることを惜しみなくできるようになると
「奇跡」って起こるんですよね。
私も頑張っているところデス♥
今日も私に勇気という名の愛をチャージ✨
最後まで御覧いただきどうもありがとうございます<m(__)m>
*写真は、絵にかいたお餅のように……そう、ちょうど、このラブリーなスイーツブックのように、理想を夢見ているだけでは、現実は手に入らないよ!の想いを込めて♥ 行動も大事だけど、行動力にギアをいれる、ハラからのチカラを磨かないとね(^_-)-☆