好きな私になりたい

日々浮かぶ、なりたい【私】の姿や、理想の女性のイメージを綴ります。
生きる力のヒントになれば幸いです。

独りぼっちだけど

2019-06-07 16:47:27 | 嫌いな自分よ、こんにちは
モグラのような自分だとは知っていた。
目の前のことをこなすだけで精一杯で
気がついたら竜宮城にたどりついていたのはよかったけど
戻って玉手箱を開けたら、月日だけが流れていた。
親しかったひとたちも、それぞれの道で忙しく
住む世界も大きく違っていった。

独りぼっちが本当は大嫌いなのに。
いつの間にか、独りで闘って生きている。
誰かとチームをつくることを求めなかったわけではないけど
個性のタネの不思議のせいで、決まってソコには運がついてきてくれない。
ものごとが無事にまとまるのは、独りでいるときと観察された。
それが命の運ぶところであるならば、お引き受けするしかない。
<私>とは、自然のあるままに、生かされながら、
流されるイカダのようなものだ。
ちっぽけな意思であらがって踏ん張ったり力んだりしても
どうにもならない津波のように大きな力で
私をのみこんでくる。

明日の家賃と生活費と
営んでいれば
ちょっとずつ溜まってくるストレスのバランスをとるためのお買い物に
流れていくお金を守るためには、しかたがない。

お金をお支払いただいて
知恵とサポートをお求めくださる方々がいらっしゃることは
その中において、これほど救われることはない。
私にできることは、他にないわけだから。


強いこころを忘れない。
運は風のようなものだから。
風がないでいるときは
下準備のとき。
風が吹いてくる日まで
いつまでも待っていよう。

強いこころとは
クルミの殻のように固い守りを持ちながら
やわらいだ境地で
水に浮かぶ蓮の花のように
ゆらゆらとたゆたう。
微笑みの土台にあるのは確かな芯。

ーーーそうと頭でわかっていてもーーー
非「独りぼっち」を嘆きたくなるから
私はブログに言葉を書き綴りながら
気持ちの整理をつける。

「独りぼっち」だからこそ
恵まれている豊かさに
目を向けられる
私でいたい。

ないものに目が向かって心を痛めている私よりも
ないからこそあるものを楽しみ味わえる
愛らしい私でいられたら
たぶん私はもっと自分のことが好きになる。

自分のことが好きになれば
どのような境遇にいても
結局は一緒。
すべては心の問題だからーーー。
と、そんな風に腹から感じることができるようになれたら
「独りぼっち」のことがもっと大好きになれるのになぁ、と
想いを馳せる。

ここまで気持ちを並べてみて
頭から読み直した。
「なかなか悪くないな」と自画自賛の気持ちがわいた。

ちっぽけでも
書き始める前まではなかった
「なかなか悪くないな」という気持ちの誕生が嬉しい。

「独りぼっち」になりきる現在(いま)まで
私は自分の書く文章を好きになれなかったことを思うと

実は私はとっても「独りぼっち」が愛しい魂なのかな、と
目の覚める想いにまでなった。

「独りぼっち」ゆえに
ひとから憧れられる人を目指すのも楽しそう……。

そもそも人はバランスを保って生きやすさを確保するために
どこかで「独りぼっち」を受け容れなければならない存在。

私だけがいつまでも「独りぼっち」に背を向けているのも
人の成長過程において出遅れている一人になってしまうともいえる。

今宵は「独りぼっち」とのマリアージュに
ワイングラスを傾けて乾杯しましょうか。
ジャズやクラシックが耳に心地よく響くなかで。

泣き言から始まって最後は独りよがりな優等生的オチになりました。
どうもすみません。
読み手としては、最後までもだえ苦しみのなかで、
這いつくばっている姿がそこにあったほうが
面白いかなあとも思うのですけど。

そういう日も必ずあるので
こりずにまた読んでくださいね(^_-)-☆
最後まで御覧いただきどうもありがとうございます_(._.)_




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