好きな私になりたい

日々浮かぶ、なりたい【私】の姿や、理想の女性のイメージを綴ります。
生きる力のヒントになれば幸いです。

何もかもが嫌になる日

2019-06-23 22:39:41 | 嫌いな自分よ、こんにちは
ときどき、何もかもが
うまく回っていないように感じられて
しかたがなくなることがある。

実際にうまく回っていないところに
目が行きすぎてしまうときだとは思う。
自分の過去の失敗ばかりが目立って
感じやすくなっているせいも大きい。

ほんと、だめだわ、自分。
クズなんじゃね?

すべてを投げ出して
背中をまるめてダンゴムシのように
生きることができたら
楽なのに、と切望することがある。

私、疲れてるのかな?
ちょっと、横になったら?

頭でそう理解して
実際に横になったりもする。

それでも、自己悲観的な視点が消えない。
現実がなにもかも黄金色に思い通りになっていたら
そうはならないのに!?

そりゃまあそれはそうなんだけど
それは「生きる」っていうのとはちょっと違うんだね。

「生きる」っていうのは
登山のようなもので
えっちらおっちら、ぜーはー。
乗り越えるから、獲得ができる、清々しさだ。

キツイなーと感じるときに
私は、非常事態を想像するようにしている。

戦争中の日本人だったらどうサバイブしてるかね?
戦後のドタバタの日本人だったら、どう日々を過ごしたかね?
自然災害に出先で直面化して、裸一貫だったら、
どんな根性をきかせるかね?

地味にホフク前進するのだ。
泥団子のようにコロコロ転がれたら、まだいいのにね😁 

人生には、時の運の影響がかなり大きいところがあり
イマイチだね、と感じるときは、きっとそれが関係している。
どうにかこうにか、妙な運勢が過ぎてくれるのを
ひたすら待つしかない。
もくもくとできることに注力をして。
雨宿りのように。

ひとつ有難いことがあるとすれば
こうやって書きだすと
冷静に自分を見つめられて
「まあ、進むしかないね」という気持ちになって
ふたたびもくもくと集中力がでてくることですかね。

もしかすると、自分が思うほどにではなくても
それなりにけっこう運がいいからそうなるのかも、と
自分で慰めるようにはしている。
(実際には、両親よりも運の格が低い)

感謝、感謝。

今日も最後まで御覧いただき
どうもありがとうございます✨

*写真は、虎ノ門駅交差点でビルを照らす、雲間からの日の光

無欲でいたいのに期待が私を苦しめる時に

2019-06-20 23:14:34 | 嫌いな自分よ、こんにちは
無欲でいたい。

「人生で何が自分を苦しめることになるか」と問えば
結局は、私の欲でしかない、という結論デス。

とはいえ、しょせん
私が抱いているかもしれない欲とは
それほど大きいとも
自分では思わないのですけどね。

大望に苦しむというよりも

日々のささいなことに「えー!?」と
いちいちなるのに疲れマス。

なぜなるか?と点検するに

「こうなるといいな」という
自分勝手な期待と欲

ムズムズとうずいているからです。

ひそかに…じつは…
奇妙な犯罪者とか、
浮き沈みの激しい有名人などの
運勢や運命を調べることが
実益もかねた趣味なのですが

その方たちを拝見していても
やっぱり、同じことが浮かび上がってきます。

「みんな、どんなひとも
どうしようもない渦、
どうにもあらがうことのできない
タオの流れのなかで

ヒーヒー、もだえさせられながら

欲をそぎ落とせるのか、あるいは
さらに、欲を肥やしていくのかの

試練でしかないね」

と。

それに負ければ、
運命のいたずらによって
とても大きなトラブルに
呑まれていったりもするのだなぁ、と。

最強はやはり「受け身」の姿勢ではないでしょうか。

柔術や合気道を思い出すようにしています。

ただ欲を、否定するつもりはありません。

大切な「生命のほとばしり」だから、です。

それはそれで深呼吸をして
「ああ、私、生きているんだなあ」
味わうようにしています。

カウンセリングの現場は
そんなあふれだしてきて
しんどくなった
「欲」をごっそり、いっさいがっさい
はきだしていただく現場であることが
ラブリーなポイント♥

欲、\(^o^)/バンザイだよ。

苦しくなりすぎないためには
私がこうやってブログで整理しているみたいに
とにかくアウトプットしないことにはね。

書いてもうまくまとまらなくて
「やっぱり苦しい―」というときは
カウンセリングがおススメよ☆
いっさいがっさいまるっと
受け止めてもらえるって、気持ちいいからです。
ひとりでは気づけなかった
ラブリーな自分をいっぱい発見できることも
ハッピーのみなもとです♥

書き出したら、元気になった!

私の欲って、
本質は「ひたすら自己を表現したい」という
情熱(パッション)にすぎないのかもな、と気づきました!✨✨

気づきを今日もひとつ。幸せだにゃ。

そういえばあるクライアントの方が
ブログの副題を「日々現状打開」としていたのが印象的でしたが。
その方は、毎日成長できていることが幸せのタネなんですって。

私も似ていて
「毎日、新しい私に出会えて、気づきをえることができていること」が
エルメスのバッグなみにラグジュアリーで
なめらかな気分になっちゃうのでした♥

みなさんは、何が「目に見えない」幸せのタネですか?

今日も最後まで御覧いただきありがとうございます。
みなさまのご多幸をこころより願っています。

今日はこのへんで、おやすみなさい☾😊 


独りぼっちだけど

2019-06-07 16:47:27 | 嫌いな自分よ、こんにちは
モグラのような自分だとは知っていた。
目の前のことをこなすだけで精一杯で
気がついたら竜宮城にたどりついていたのはよかったけど
戻って玉手箱を開けたら、月日だけが流れていた。
親しかったひとたちも、それぞれの道で忙しく
住む世界も大きく違っていった。

独りぼっちが本当は大嫌いなのに。
いつの間にか、独りで闘って生きている。
誰かとチームをつくることを求めなかったわけではないけど
個性のタネの不思議のせいで、決まってソコには運がついてきてくれない。
ものごとが無事にまとまるのは、独りでいるときと観察された。
それが命の運ぶところであるならば、お引き受けするしかない。
<私>とは、自然のあるままに、生かされながら、
流されるイカダのようなものだ。
ちっぽけな意思であらがって踏ん張ったり力んだりしても
どうにもならない津波のように大きな力で
私をのみこんでくる。

明日の家賃と生活費と
営んでいれば
ちょっとずつ溜まってくるストレスのバランスをとるためのお買い物に
流れていくお金を守るためには、しかたがない。

お金をお支払いただいて
知恵とサポートをお求めくださる方々がいらっしゃることは
その中において、これほど救われることはない。
私にできることは、他にないわけだから。


強いこころを忘れない。
運は風のようなものだから。
風がないでいるときは
下準備のとき。
風が吹いてくる日まで
いつまでも待っていよう。

強いこころとは
クルミの殻のように固い守りを持ちながら
やわらいだ境地で
水に浮かぶ蓮の花のように
ゆらゆらとたゆたう。
微笑みの土台にあるのは確かな芯。

ーーーそうと頭でわかっていてもーーー
非「独りぼっち」を嘆きたくなるから
私はブログに言葉を書き綴りながら
気持ちの整理をつける。

「独りぼっち」だからこそ
恵まれている豊かさに
目を向けられる
私でいたい。

ないものに目が向かって心を痛めている私よりも
ないからこそあるものを楽しみ味わえる
愛らしい私でいられたら
たぶん私はもっと自分のことが好きになる。

自分のことが好きになれば
どのような境遇にいても
結局は一緒。
すべては心の問題だからーーー。
と、そんな風に腹から感じることができるようになれたら
「独りぼっち」のことがもっと大好きになれるのになぁ、と
想いを馳せる。

ここまで気持ちを並べてみて
頭から読み直した。
「なかなか悪くないな」と自画自賛の気持ちがわいた。

ちっぽけでも
書き始める前まではなかった
「なかなか悪くないな」という気持ちの誕生が嬉しい。

「独りぼっち」になりきる現在(いま)まで
私は自分の書く文章を好きになれなかったことを思うと

実は私はとっても「独りぼっち」が愛しい魂なのかな、と
目の覚める想いにまでなった。

「独りぼっち」ゆえに
ひとから憧れられる人を目指すのも楽しそう……。

そもそも人はバランスを保って生きやすさを確保するために
どこかで「独りぼっち」を受け容れなければならない存在。

私だけがいつまでも「独りぼっち」に背を向けているのも
人の成長過程において出遅れている一人になってしまうともいえる。

今宵は「独りぼっち」とのマリアージュに
ワイングラスを傾けて乾杯しましょうか。
ジャズやクラシックが耳に心地よく響くなかで。

泣き言から始まって最後は独りよがりな優等生的オチになりました。
どうもすみません。
読み手としては、最後までもだえ苦しみのなかで、
這いつくばっている姿がそこにあったほうが
面白いかなあとも思うのですけど。

そういう日も必ずあるので
こりずにまた読んでくださいね(^_-)-☆
最後まで御覧いただきどうもありがとうございます_(._.)_