ときどき、何もかもが
うまく回っていないように感じられて
しかたがなくなることがある。
実際にうまく回っていないところに
目が行きすぎてしまうときだとは思う。
自分の過去の失敗ばかりが目立って
感じやすくなっているせいも大きい。
ほんと、だめだわ、自分。
クズなんじゃね?
すべてを投げ出して
背中をまるめてダンゴムシのように
生きることができたら
楽なのに、と切望することがある。
私、疲れてるのかな?
ちょっと、横になったら?
頭でそう理解して
実際に横になったりもする。
それでも、自己悲観的な視点が消えない。
現実がなにもかも黄金色に思い通りになっていたら
そうはならないのに!?
そりゃまあそれはそうなんだけど
それは「生きる」っていうのとはちょっと違うんだね。
「生きる」っていうのは
登山のようなもので
えっちらおっちら、ぜーはー。
乗り越えるから、獲得ができる、清々しさだ。
キツイなーと感じるときに
私は、非常事態を想像するようにしている。
戦争中の日本人だったらどうサバイブしてるかね?
戦後のドタバタの日本人だったら、どう日々を過ごしたかね?
自然災害に出先で直面化して、裸一貫だったら、
どんな根性をきかせるかね?
地味にホフク前進するのだ。
泥団子のようにコロコロ転がれたら、まだいいのにね😁
人生には、時の運の影響がかなり大きいところがあり
イマイチだね、と感じるときは、きっとそれが関係している。
どうにかこうにか、妙な運勢が過ぎてくれるのを
ひたすら待つしかない。
もくもくとできることに注力をして。
雨宿りのように。
ひとつ有難いことがあるとすれば
こうやって書きだすと
冷静に自分を見つめられて
「まあ、進むしかないね」という気持ちになって
ふたたびもくもくと集中力がでてくることですかね。
もしかすると、自分が思うほどにではなくても
それなりにけっこう運がいいからそうなるのかも、と
自分で慰めるようにはしている。
(実際には、両親よりも運の格が低い)
感謝、感謝。
今日も最後まで御覧いただき
どうもありがとうございます✨
*写真は、虎ノ門駅交差点でビルを照らす、雲間からの日の光