たまにはスローライフ

力を抜いて、頑張らずに...

落ち葉

2024-11-10 00:07:53 | 父の事

秋が深まり、いよいよ枯葉が落ちる時期になりました。

うちの家の前の通りは、モミジの木が程よい間隔で両側に植えられていて(モミジ並木とでも呼ぶのでしょうか)

その並木は町の端まで続きます。

紅葉が深まると、それはとても綺麗で、その下を歩いたり車で通るだけでも、うっとりとしてしまいます。

 

ただ、その落ち葉を掃除するのは、その通り沿いに住んでる人達なので、

何週間にも渡って枯葉を掃除をしなければならなく、かなりの体力仕事です。

父が元気な頃は、毎日掃除をしてくれていました。

細かい性格だったので、人の見ない隅の方まで掃き出していたようです。

 

私が家に戻って来てからは2人で掃除をしていたので、この時期になると

いろいろなことが思い出され、ついつい感慨深くなってしまいます。(秋ですしね

。。。で、掃除をしてると決まって、向かいに住む80代の旦那様が出て来て

ながーい昔話に花を咲かせますので、(だいたいいつも同じ話ですが)

思い出に浸っていた私も直ぐに現実に引き戻されてしまいます。

そんな事を繰り返しながら、モミジの木の葉も残りわずかとなりました。

 

もう少し、もう少し。


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(閑話休題) トマトご飯の話

2024-10-21 23:10:09 | 父の事

市役所の話は一度お休みをして、今日はトマトご飯の話です。

私の父は腸がとても弱く、母からも「本当に、可哀想になっちゃうくらいお腹壊してるよ」と

ため息まじりに言われていました。

 

母が亡くなってからもよくお腹を壊し、私は買い置きしてあった”カニ雑炊”をお鍋に開け入れ、

「温めるだけでOKだからね。」と、父に渡しました。

その頃、父の認知機能は少しずつ衰えてきていたので、出来ることは自分でやってもらおうと、

頭の体操を兼ねて、私は横で黙視していました。

 

すると父はその辺にあったトマトをポイポイと鍋に入れ、グツグツ煮込み始めたのです。

今でこそ私も、似たり炒めたりと色々な料理にトマトを使いますが、

その当時、生で食べると水々しくて美味しいトマトを、煮込むという選択は私にはなく、

すぐさま「いやぁーーーー!と悲鳴をあげ、お鍋を取り上げてしまったのです。

 

その頃の父は、口に入れてはいけないものを食べようとしたり、

せっかくの揚げ物をお汁の中に全部入れて食べたりと、

今までには無いような行動をし始めていたので、

このトマトの雑炊もそういったものの一つかと思ってしまったのです。

 

「最高に美味しいご飯になる、と思ったのに。。。」と残念そうにいった父の言葉は

今でも耳の奥に深く残っています。

       

たまに料理番組などでトマトを煮たりしていると、あの時の事が思い出され、

何ともすまない気持ちでいっぱいになってしまいます。

スーパーで「トマトご飯の素」というのを見つけたので、作って見ました。

ケチャップご飯が好きだった父、このご飯も大好きな味です。

温かいうちに仏壇にお供えしました。ごめんね、お父さん。


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父との思い出

2024-09-28 14:23:16 | 父の事

先日採った野菜やら果物を持って、従姉妹の家へ行った時

従姉妹が、叔父の様子が最近おかしい。。。と話していました。

少しずつ、今までできていた事が出来なくなっているということです。

叔父はもう90歳は過ぎているので、不思議では無いですが、

とても元気で頭もしっかりしていて、うちの母のお葬式(6年前)には誰よりも先に

買ったばかりの鮮やかな青い車で駆けつけ、昔話に花を咲かせているくらいの人でした。

 

いつも元気で羨ましい。。。と、私と一つ違いの従姉妹によく言っていましたので

なんとも寂しい報告でした。

 

家に帰りボンヤリと父の事を考えてしまいました。

母が他界した後、少しずついろいろな事がわからなくなっていった父の事。

えっっ?という時もありましたが、調子の良い時もありましたので、

まだまだ大丈夫  頑張ろうと。。。

 

ある日、いつもと同じく小さな事から言い合いになり、

「お前、そんな事言うんなら、C(私)が帰ってきた時に言いつけてやるぞ  」と、

(私)「。。。」 「。。。じゃぁ、私は誰よ!

(父)「。。。。??」

呆れていたその夕方、記憶が戻ったのか「さっきはごめん」と言ってきました。

。。。本当にもう! と思っていましたが、

それからどんどん認知力は低下し、笑っていられない状態になっていきました。

 

今思うと、うふふと笑いが出るのと同時に、胸がぎゅっと苦しくなる思い出です。

山葡萄でジュース作りました


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