デモはしないけど
映画人として
2011年5月22日『100,000年後の安全』上映以降
映画の上映を通して
3.11以降の日本を考える『場』を提供させていただいています。
作品を観て肯定する人も、否定する人も
色んな立場の人が、色んな思いで観て下さればよい。
特集『今年も松本CINEMAセレクトは忘れません。』
会場 松本市中央公民館Mウイング6階ホ-ル
詳細は松本CUNEMAセレクトHPhttp://www.cinema-select.com/
第一弾 『大地を受け継ぐ」両日井上純一監督のアフタートーク
3月11日(金)19:00 3月12日(土)14:00
2011年3月24日、福島県須賀川市で農業を営むひとりの男性が自ら命を絶った。原発事故を受け、地元の農業団体から農作物出荷停止のファックスが届いた翌朝のことだった。「お前に農業を勧めたのは、間違っていたかもしれない」。そう息子に言い残して。それから四年。11人の子どもたちが福島へ向かった。彼らが訪れたこの農家の息子(樽川和也)は、母(美津代)とふたり、汚された土地で農作物を作り続けている。「福島の米や野菜は今までの値段では売れないし、売れても黒字になることはない」。
第二弾 「LIVE! LOVE! SING! 生きて愛して歌うこと劇場版」
3月13日(日)① 13:30 ②15:30
神戸復興への願いを込めた歌『しあわせ運べるように』。物語は、福島で被災し神戸で避難生活を送る朝海が、阪神淡路大震災から20年という節目に、この歌を学校の行事で歌うことに違和感を覚えるところから始まる。
「私の気持ちは、そんなに単純じゃない…」。
それぞれの場所で、さまざまな“想い”を抱えて生きる人々は、ひとつの歌を通してつながることが出来るのか?音楽は、未来へ前進する原動力になり得るのか?
第三弾 『波伝谷に生きる人びと』 我妻和樹監督アフタートーク
3月13日(日)①10:30 ②17:30
宮城県南三陸町の海沿いに位置する80戸余りの小さな漁村「波伝谷(はでんや)」。
そこには豊かな海と山があり、人びとは牡蠣・ホヤ・ワカメなどの養殖と丘陵地での農業を営み、暮らしていた。共同の牡蠣剥き場で明け方から作業をする女たち
2008年3月、そんな波伝谷にカメラを持った一人の若者がやってくる。
はじめ、大学の研究のために波伝谷を訪れた彼は、地域住民総出で行われる獅子舞の行事に心を奪われ、そのエネルギーの源泉に触れようと一人で波伝谷に通い続ける。そのカメラにおさめた映像を、やがて映画にするために。
それから3年後の、2011年3月11日
その日彼は、翌日予定されていた地域の会合で映画の試写会の日取りを決めようと、波伝谷に向かった・・・。
第四弾 『牡蠣工場』想田和弘監督アフタートーク
3月18日(金)18:30
舞台は、瀬戸内海にのぞむ美しき万葉の町・牛窓(うしまど)(岡山県)。岡山は広島に次ぐ、日本でも有数の牡蠣の産地だ。養殖された牡蠣の殻を取り除く「むき子」の仕事は、代々地元の人々が担ってきた。しかし、かつて20軒近くあった牛窓の牡蠣工場は、いまでは6軒に減り、過疎化による労働力不足で、数年前から中国人労働者を迎え始めた工場もある。
東日本大震災で家業の牡蠣工場が壊滅的打撃を受け、東北から移住してきた漁師の一家は、ここ牛窓で工場を継ぐことになった。そして2人の労働者を初めて中国から迎えることを決心。だが、中国人とは言葉が通じず、生活習慣も異なる。隣の工場では、早くも途中で国に帰る脱落者も。果たして牡蠣工場の運命は?
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