風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

父の最期のこと (3)

2002-06-27 | 日記
 転院先の病院では、同室の患者さんたちはお年寄り達。意識不明といっていい状態の方たちばかりだ。こちらのナースさんたちは、残念ながら物を扱うような看護だった。○○病院とのあまりの差に、ショックを受けた。
 体位交換や口腔清掃など、つきそって行う。父は、たくさん繋がれた管を無意識に抜こうとするので、それも見守る。帰る時には紐で軽く腕を抑制して、看護婦さんに挨拶して帰る。抑制すると、むくむので避けたいが、点滴やら何やら抜いてしまうので仕方ない。
 父を看病しながら、他の付き添いの方と話したり、本を読んだり。(志茂田景樹の「折伏鬼」という創○○会入信体験記のようなものが印象に残っている)

 父の命は限られているというのに、親不孝娘は自分の先のことで一杯だった。
「私はいつまでこうしてなくちゃいけないのだろう?仕事を探さなくちゃいけないし…うまく見つかるだろうか?」
焦りが私の心を捉えていた。
 2ヶ月くらいした時、既に昏睡状態に入っていた父は、ICUに移動させられた。「今日から(または夜間のみ?)、病院に詰めてください」と言われた。その晩ICUそば、廊下の隅のソファに毛布を持ち込み、やすんだ。
 翌朝7時ごろ、一旦家に帰り、洗車して一眠りした。しかし9時ごろ病院から呼ばれた。危篤と。駆けつけたが、私は勝手にICUを覗いてしまったらしく、もう………裸の父の、死後処置をしている最中で、「まだ入らないでください」と注意されてしまった。
 
 父は眠るように呼吸が止まっていたそうだ。人生の最期(といっても61歳だよ)に、肉体的に大きな苦しみを与えられた父。でも、静かに息を引き取れてよかったね、と思った。

* * * * *

 まだクリスチャンでなかった私は、母と一緒になって、占い師に家相を見てもらい、家を少し改造した。台所を移し、車庫入り口を普段は閉じておくようにした。さすがに階段の移動はできなかった。
 墓の向きから墓石のことまで相談した。
 裏手に「内神様」を祀るといいと言われ(個人宅庭に1mくらいの高さまで石段を作り、上に小さな神社のようなものを設置し、狐を祀る)、あやうくそれもするところだったが、葬式やら何やらで時間がたつうち、二人の中で少し熱が冷め、それはやめた。私は私で、きっと粗末にして、却ってばちがあたりそう、と思ったし。
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