風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

父の最期のこと (2)

2002-06-27 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
 家からつくばの病院までは、45分くらいかかる。病人を運んでいたのでもっとゆっくりだったかもしれない。
 普通の外来を受けるはずだったのに、救急処置室に運ばれてしまうはめになった。「救急車を使わせてもらえなかったからだ」と、当時はB医師と、スタッフ間の連絡の悪さに対し、大きな不満というか、恨めしさが心にずっとあった。救急車でも同じ状態になってしまっただろうけど(揺れが脳の状態に大きく影響を及ぼしたのだろうから)、同じ状態になった時の処置に、格段の差が出るはずだ。救急隊員は一人ではないし、車内設備も、緊急事態への隊員訓練も、しっかりしているはず。
 
 救急処置室にはたくさんの患者さんがいた。父は1時間前と同じ人とは到底思えない状態。このまま逝ってしまうのか?さっきまで会話してたのに。ついさっきまで!!!
 再び入院になった。正気でない父は、意識不明とまでは言わないのだろうか…?
 食べさせるが飲み込めない。
 鼻から何かの目的で管を通したが、管を通す時、父は大変嫌がり、父の目からは涙が出る。相当苦しいのだろう。何か言っている。口元へ耳を近づけ、唇の動きや状況から判断して、「勘弁してくろ、勘弁してくろ」と繰り返しているのがわかった。【世界一の気配り男】と私が思っている父。我儘も言わずに看病を受けてた父。その父が、涙を流し、「勘弁」と声にならない声で訴えている!正直言って、「もう止めて!!」と言いたかった。でも、少しでも生きててほしいし…。
 この病院の、脳神経外科病棟のナースさんたちは、とても若いのに(そのように教育されているのだろう)、意識不明に近い父に対し、「○○さーん。△△しましょうね?」と、いちいち声をかけながら看護してくださる。脳神経外科だからか?
 1ヶ月くらいそんな状態が続いたが、なんせ遠いし、もう治療する事もないので、近くの病院へ転院させていただくことにした。脳神経外科はない病院だったが、無理を承知でお願いした。

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