風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

父の最期のこと (1)

2002-06-27 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
 30歳前後の2年間、N病院で働いていた。
 父が肺癌→脳腫瘍を患った。つくば○○病院(まだMRIも設置していなかった頃)のDr.から、「opeしなければ3ヶ月の命。opeしても半年から1年の命」と母が宣告された。母は一人で呼ばれて伝えられたので、どうしていいかわからないほど苦しんだと言う。
 ope後は、決して一人で散歩させたりできないし(迷子になる可能性・大)、日常もそばについていないと、つまり24時間看病が必要と言われた。
 母は勤務中の私に突然電話をかけてきて、いきなり「お前がやめて父の看病をしろ」と…。!!!!!やっと慣れてきた所だったのに。母は地方公務員(現場)として長く働いていて、収入も安定性も、私とは比較にならなかった。病院の事務は本当に安月給なのだ…。
 父は2回脳腫瘍摘出手術を受けた。腫瘍は、初め、都内の大学付属病院でCTレントゲン撮影をした時、大小9個見つかっていたが、体力などを考えると(肺癌もあったし)Dr.もこれ以上は治療する事はないと。
 家で看病する日々が続いた。父は記憶力などどんどん悪化したものの、下の世話も自分で訴えてくれて上手に始末させてくれたし、会話もできた。もともと気配りの殿堂のような人だったので、私達にも我儘一つ言わず…。
 そんなある日、黒い便が続いた。父自身は苦しそうではなかったが、これは血便である。主治医のA先生に電話で相談したら、明日診察にくるよう言われた。絶対安静だし、救急車を使って良いとおっっしゃって下さった。ただし来る前に病院に一報を入れるよう、指示があった。
 翌朝さっそく『一報』を入れたが、A医師はope中で、B医師に電話がつながれた。B医師は、そういうことで救急車を使ってはいけないと…。A医師の話もしたのに、全くとりあってくれず、駄目の一点張り。後で大変後悔することになったが、仕方なく、「搬送車サービス」のようなものを利用した。3万円弱とられたと記憶している。酸素吸入装置のようなものもついていたと思うが。ライトバンのようなイメージの車で、後ろにベッドがある。母と私は自分達の車でついていった。
 ところが家を出て1~2分で…その車の運転手が停車して父の手当てをしている!何事かと思ったら、父は吐いている。しかも、さっきまで普通の会話をしていた父の目が空しくさまよい、明らかに様態が急変していた。
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