世界中の”いのちの水”を巡る旅

世界中の旅を通して、癒し、浄化、変容、開運方法を紹介しています。

望み

2023-07-30 18:23:36 | 日記
わたしは、幼い頃から自分から誰かに何かをお願いする、ということがとても苦手だった。   

というか、そもそも人に何かをお願いしなければならない状況になることをなるべく避けるようにして生きてきたし、それは人に迷惑をかけないようにする当たり前の常識だと思っていた。

ある時、
「あなたは、人に何かをお願いするということをとても躊躇する」 
 と、人に指摘されて、そのことが自分にとって良くないことなのか、と、初めて考えることになった。

確かにそういう面はあるかもしれないけど、それは子どもの時からだし、自分の生まれつきの性格だから仕方がないと思っていた。 

 ただ幼い頃の記憶の中に、ずっと印象に残っている出来事があった。   

わたしが4、5歳の頃の保育園の運動会でのこと。 

 運動会の終わりに、園庭いっぱいに色とりどりの風船が用意されて、どれでも好きな風船を、それぞれの子どもの親が一斉に取りに行く、というゲームがあった。  

周りの子たちは「ピンク!」「青がいい!」などと、お父さんやお母さんに向かって無邪気に叫んでいた。  

わたしは、一緒にいた母が「何色がいい?」と、わたしに聞いてくる前に、その周りの子たちの様子や風船を見渡して、 「青がいい」と言ったのだった。   

女の子たちがみんな、ピンクや赤の風船をねだっているのを見て、なぜかとっさに「青」と言ってしまった。

本当はわたしも、その年齢のふつうの女の子たちと同じように、ピンクや赤の風船が欲しかった。  

 だけど、親同士が競争をしてそれを取り合う様子を想像し、そこまでさせて、もし希望の色の風船をもらえなかったら、ということを考えた時に、とっさに、そんなふうに口走っていた。  

けして青い風船が特別に多かったわけではないし、希望の風船がもらえない可能性が低かったわけでもなかった。   

ただその時のわたしは、自分が何かを望むことさえも、すでに恐れるようになっていた。  

その年齢の子どもにそのような心理が働くのは、少し早過ぎなのではないかと思うし、自分でも、自分と周りの子が違うということをその時に感じて、寂しさのようなものを感じたことを覚えている。  

 母に青い風船を取ってきてもらい、それを持ちながら、ピンクや赤の風船をもらって喜んでいるまわりの女の子たちを見つめて、
ひとりその世界から取り残されたように感じ、周りの全てがぼんやりと現実感がないような感覚がしていた。

 幼児期だから、その前後に自分がどんな風に過ごしていたのか、何かがあったのか覚えていないけれど、 わたしが育った家庭環境や様々なことが原因だったと思うし、生まれつきの性格だったとは、今は思わない。    

それにもしそれが本当に自分の個性や性格なのであれば、その風船の記憶がこんなに強く印象に残っていることはないと思う。 
 
 わたしの中の「ほんとうの自分」が、この記憶を通してわたしに何か大切なメッセージを送ってくれていたのだと思う。 

 その時期の子どもは、周りにいる大人、特に家族、親のことを何でも模倣して吸収していくものだと思うけど、     
考えてみたら、わたしの両親も、人に何かをお願いしたり、自分の素直な気持ちや望みを表現するということができない人たちだったし、厳格な祖父母に父も母も全面的に従い、うちの家庭はまるで一つの企業のような、厳しい縦社会として存在していたと思う。  

だからわたしも、彼らを模倣してそのようになったのだと思うけど、それでも「ほんとうの自分」 は常に自分と一緒にいて、全てを覚えていてくれて、ずっと「意識のわたし」に気づいてもらえるのを待ってくれていた、と感じる。  

とにかく、わたしは大人になってから幸運なことに他の人に指摘されたことがきっかけで、このことを自覚し、そこから自分の心の声に耳を傾ける訓練をし始めた。  

 わたしに限ったことではなく、大人であれば誰でも本音と建前を日常的に使い分け、それは幼児期の模倣によるものが大きなベースになっているのではないかと思う。 

つまり、その時期に模倣されたものは、建前なのか本音なのかも分からず無自覚で習慣として身についていて、 
この無意識の習慣によって、本当に自分が何を望んでいるのかどうかが、わからなくなってしまうことがあると思う。

  そしてそれは、わたしのケースのようになかなか自分で気づくことはできない。 無意識に身についてしまったものに気づくというのは、新しい経験や人間関係をたくさん体験しないとできないものだと思う。

それでも「ほんとうの自分」というは、決して消えてしまうことはなく、その人が生きている限り、ずっと常に自分の中にいるはずなのだ。      

それに気づくためには、自分の感覚、感情にゆっくり耳を澄ませる時間を取り、それまで生きてきた中で習慣にしてきたような価値観や人間関係をリセットしていく必要があると思う。    

そしてそれを簡単にするためにも、旅をするなどして環境を変えたり、心身の浄化や癒しを同時に行うことが相乗効果になると思う。 
 
ここではその様々な方法の中でら自分がとても効果を感じできた方法を紹介していきたいと思う。


癒しの街 チェンマイ その①

2023-07-05 09:48:53 | 旅行

 前回のブログに書いた、亡くなった友人と出会ったのがタイの古都チェンマイ。当時彼は奥様と、一年半の間世界中を旅していて(なんと50カ国)、最後に辿り着いたのがチェンマイだったという。

 そして、あまりの居心地の良さに2ヶ月間も滞在し、奥様がわたしと同じ歳だったこともあって、意気投合し、お互いに同じチェンマイのマッサージの学校で学び、近隣の様々な観光地にも一緒に訪れた。

 もう10年以上も前の話だけど、思い返すと、改めてチェンマイは不思議な癒しの街だったと感じる。

 これは意外と他の国の人には驚かれることだと思うけど、タイでは、子どもの頭を決して触ってはいけない。それがたとえ、親や親しい間柄であっても、だ。

 つまり、他の国では日常的に行われている、赤ちゃんや小さな子に、可愛いね、と言って頭を撫でたりするということは、決してしてはいけないのだ。

 タイでは、頭は精霊と繋がっている神聖な場所だと考えられているから、ということなのだけど、つまり、子どもが神聖な存在であり、尊厳を持って対するべきだという意識の表れなのだと思う。

 

 考えてみれば、赤ちゃんや子どもの頭を撫でる行為は、彼らより体が大きな他の人間にしかできない。その時点で、こちらから一方的に頭を撫でるという行為が、それがたとえ愛着からであっても、身体的な優劣を感じさせる行為であることは間違いないと思う。

 

 赤ちゃんも幼い子も、まだ自由に動けないのに、勝手に抱っこされたり頭を撫でられたりキスをされたりするのは、彼らの人権を尊重している行為とは言い難いことだと思う。

 わたしは、2歳くらいの頃に、親の知人だけど、何度か知らない人に突然抱っこされて頬にキスをされたりしたことがあり、それがすごく嫌だったという記憶が鮮明にある。

 大人の状況や心理をまだ理解できない幼児にとって、そのようなスキンシップを取られることは、どのような影響があるのだろう。そもそも幼児期は、この世界のあらゆること、自分の身に何が起こっているのかも、理解することができない。

 そのことを考えると、幼児のわたしにとっては、その体験はただ不快なだけでなく、同時に大きな恐怖も伴って、トラウマになってしまったのではないかと思う。

 この体験を鮮明に覚えてはいるけど、当時の自分の心理状態は今でも言葉で説明することはできない。ただ、名前をつけることができない無数の感覚や感情の渦の中に自分が飲み込まれているような感じ、だ。

 こういう体験を子どもがした場合、その体験を理性で理解をして、時間と共にそれを癒すということができない。

 わたしはその後の成長過程で、同じような状況や場面に出会うと、嫌悪や恐れを感じるようになってしまい、それをどうすることもできないと思っていた。(そしてそれが幼少期の体験のせいかもしれないと気づいたのも、大人になってからずいぶん後だった)

 だから、このタイの人の子どもに対する尊重や尊厳の仕方、在り方というのは、とても素晴らしいことだし、子どもの情緒の形成にとっても、とても重要なことだ思う。

 チェンマイにいると、知らない人たちが周りにいても、なぜかのんびり心地よくいられる。人疲れや気疲れすることが、圧倒的に少ない。

 日本や他の国の常識になっているような、心理的な社交辞令や、サービス精神やお義理の習慣が、タイではほとんど省かれていると思う。

 例えば、英語圏では、How are you?と挨拶をして、その後何かしら気の利いた会話をしなければならないようで、それが相手に対する礼儀のようだ。(How are you?と挨拶をされて、例えば正直に、最悪の気分だ、などと答えることは許されないだろう)

 日本でも、お辞儀をしたりお礼を言ったり、不確かな次の約束をしたりなど、様々な社交辞令や作法は日常的にたくさんあると思うけど、タイに行くと、お店だけではなく、ある程度顔見知りになり親しくなったりしても、お礼の言葉だけではなく、ちゃんとしたあいさつ自体を全くしない感じなのである。

 だからと言って、冷たい感じは無いし、無視してる感じでもない。子どもが普通に、子ども同士で接するのに近い感じなのだ。(子どもが友達に社交辞令などはしないように)

 

 もちろん、途上国では一般的にこのように社交辞令などの習慣は少ないと思うし、それは教育のレベルも大きく影響していると思うが、その中でもタイの人は敬虔な仏教徒で、生きとし生けるものを慈しむ精神や、仏や神に祈ること、お金があまり無くても日常的に寄付をし、助け合いの精神がとても強いことなど、コミュニティの中で、信仰による人々との繋がりや信頼はとても強い。

 

 とにかくタイでは、今この瞬間を生きているという意識が強いのだと思う。例えば、過去のことを話したり、そのお礼をしたりなどということがないのか、わたしがたまに「この間はありがとう」などというと、怪訝な顔をされたことが何度かある。覚えていないわけではなく、そのようなことをする習慣がないのだ。

 

そしてなんと、タイ語には時制がない。つまり動詞に変化がなく、昨日、とか明日、などをつけて表現する。このことも、彼らが今の瞬間を生きているように見えることと、関連があるのではないかと思う。

 

 余計な気を使わず、極力無駄なことをせず、今の瞬間を生きられる、というのは、とても合理的に幸せになれる生き方ではないかと思う。そんな風に生きられるなんて日本ではなかなか体験できなかったわたしとしては、滞在していてほんとうに自由で楽だった。

 

 こんな風にタイの人は、ただ心地よいか、良くないか、の感覚を基盤に生きているように見えるけど、その根底には、子ども時代の環境で培われた、健全な自己尊重があるからではないかと思う。

 

 チェンマイにはトータル2年ほど滞在したけど、親や大人が子どもを叱っている場面は、一度も見たことがない。どんな人混みで、子どもが泣いたりぐずったりしていても、だ。

 そして、皆とても子煩悩。タイの人はとにかく可愛いものが大好きで、大人でも、おじさんでも、タイの人自体が皆とても可愛らしい。いつも子どものようにはにかんで、ニコニコしている。

 

 それにそもそも、大きな声を出す子どもも大人も見たことがない。チェンマイは大きな街だし、人混みも騒音もあるのに、本当に見たことがない。怒鳴るなんていう言葉は、タイの人の辞書にはないのではないかと思うほどだ。

 わたしは、ふつう子どもは大きな声を出すものだと思っていたけれど、それはやはりそのようにしなければならない環境下で起こることなのだと思う。周りの大人を模倣して。

 

 また、タイ語は、ミャオミャオ、という猫のような発音をしているのだけど、タイの人の話し方はソフトでささやくようで、その発音も相まってか、まわりでタイの人が話をしていても、まるでBGMの音楽のように聴こえる。(タイ語がわからないので、さらにそのように感じるのかもしれないけど)

 

 チェンマイは音楽スポットとしても有名で、夜になると様々なレストランやバーなどで生演奏が行われているのだが、選曲にしても演奏技術にしても歌にしても、とにかくとてもレベルが高くて驚く。素人だからうまく説明できないけど、全てのサウンドが心地良い。アップテンポの曲であっても、疲れず、うるさいと感じることもない。チェンマイの人は、音楽やサウンドに関してもとても敏感で、繊細な感覚、感性を持っているのだと思う。

 また、演者の気負いやプレッシャーのようなものがまったく無く、ただただ本人たちも心地よく楽しそうにマイペースに演奏をしていて、こちら側もそれを感じてリラックスでき、いつまでも聴いていたいと思える。

 

 そしてチェンマイには様々な素敵なお店や宿泊場所がたくさんあるのだけど、やはり同じように、心地よい癒しの空間で、アートや内装のセンスも、ホッとできるような可愛らしくて笑えるものなどがあったりして癒される。

 

 また、熱帯モンスーン気候で雨も多く、街中に様々な植物、樹々、花々が咲き乱れていて、スコールの時も、植物や街が綺麗になり、潤って美しい。果物や野菜が豊富で、古くからの食養生の文化や、植物を使った代替療法、マッサージセラピーが多様にあり、それらセラピーを受けたり学びに来る人たちでも溢れている。

 

 彼らの提供するあらゆるサービスから感じられる、ただ、心地よいか、心地よくないか、という感覚。

 

 シンプルに、どんな物事にもこれを当てはめてみると、自分が正しいと頭で考えていたことが、実は違っていたり、それは過去では通用したけど、今の自分の感覚には微妙に合わないなど、様々な発見がある。

 

理屈や理論よりも、感覚の方が嘘がない。

 

何事も感覚に従うことで、必要なことがインスピレーションとして降りてくる。

 

 外国に滞在すると、自分が長年生活をしてきた場所で当たり前にしていたことや生き方が、本当はどれだけストレスを感じていて無理をしていたのかとか、自分が真に求めていたことを見えなくさせていたのかを、頭ではなく体感して理解できる。

 

 癒しを求めている人たちには、セラピーも豊富にお手軽にあり、食事も美味しいチェンマイは、本当におすすめできる場所。

 

 最近は、断捨離やソロ活やミニマリストなどが注目されているけど、同じ場所に生活しながらそのような変化をすることに難しさを感じる人がいたら、やはり一度環境をガラリと変えて、外国を旅をすることが一番だと思う。何の努力をすることなく、意識や考え癖の断捨離が一瞬で起こるのだから。

 

まずは心の断捨離から。それができたら、現実はあとから勝手についてくるものだと思う。

 

ほんとうは、私たち一人一人の意識が、目に映るもの全てを創造しているのだから。

(写真はチェンマイにあるFern Forest Café)


視えない殺戮

2023-07-01 19:03:20 | 日記

先月、大切な友人が亡くなった。

享年55歳。


奥様がいて、8歳の女の子のお父さんだった。


彼はとても気さくで、誰にでも好かれる愛らしい人だった。いつも明るく皆を見守ってくれ、人や物事を悪くいうことも決してない、とても優しい人だった。


4年前に、彼が肺がんで闘病をしていると知った時は、嘘であってほしい、なんとか快復してほしいと、祈るばかりだった。


しかし、当時すでに再発と手術を繰り返しており、肺がんの生存率がとても低いということも知り、奥様とまだ幼いお嬢さんのことを思うと、同じくらいの年齢の娘がいる自分としてもやりきれない思いと、自分には何もできないという無力感と、それらの感情に直面することを怖れて、


自身の生活に精一杯であったことや遠方に暮らしていたことを理由に、彼が亡くなったという知らせを受けるまで、私は彼に会いに行くことができなかった。


お通夜で、彼に対面をさせてもらった時、涙が止まらなかった。


10年前に最後に会えた時と、彼は何一つ変わっていなかった。綺麗な安らかなお顔に、明るく優しかった彼を思い出させるように、口元に微笑みが浮かんでいた。


だけど、以前よりとても細身に見える骨格から、苦しい闘病生活であったことを想像せざるを得なかった。


告別式は、悲しみしかなかった。
納得はできなかった。


どうして彼のような人が。
どうして家庭やまだ幼い子を持つ人が。
どうして神様は、こんなひどいことをするのだろう。


告別式の次の日の630日は、彼の56歳の誕生日だった。


この日は様々な神社などで、夏越の大祓いという、無病息災を願う儀式が行われる日だと耳にして、儀式が行われているという近所の神社に向かうことにした。

彼の死に直面して、全てが、ただ祈るしかないという思いだった。


その帰り道、近くのショッピングモールを通ると、一緒にいた娘が「お菓子が食べたい、お菓子買って」とねだってきた。


その時、突然すごい怒りが込み上げてきた。


日本では、ヨーロッパなどの他の先進国が、癌や生活習慣病の原因だとして、とうの昔に製造販売を禁止している、トランス脂肪酸や様々な有害な添加物や保存料などが、未だに何百種類と食品に使われていて、私たちは日常的にそれらを口にしている。

(遺伝子組み換え食品にいたっては、表示義務のない加工品や飲み物、外食の中に、ぶどう糖果糖液糖などとしてあらゆる食品に混入されている)


そして私はそういう情報を知りながらも、周りの環境に流されたり、子どもにねだられてうるさいからとか、少しくらいは大丈夫だろうとか、安価だからと理由をつけて購入し、子どもに与えてしまったこと、


そして、それらの食品を作っている人間たちは、環境を破壊し、人々の健康や生活を害してでも、利益を追求し、私腹を肥やしている。


日本はずっと戦争をしていないというけれど、戦争で人を殺め、利益を得てきた過去や、未だ戦争を続けている他の国々と、やっていることは何も変わっていない。


今、2人に1人が癌で亡くなると言われているけど、実際にはそれ以上、ほとんどの人が癌で亡くなり、それはまた急激に低年齢化していると思う。


コロナ禍で、死因を曖昧にされているが、結局は体に悪い食べ物と薬漬けによって免疫力が下がれば、どんな病気にかかっても重症化し、快復することはできない。


小児がんも急増し、10代、20代で癌で亡くなる著名人なども、時々ニュースなどで見かけるようになったけど、それらの情報も一瞬で消され、このような原因を作ってきた政府や大手企業や大手メディアによって、実際の詳しい情報や事実は一般人には知らされない。

彼は、娘さんが生まれる前からずっと、願っていたのではないかと思う。


子どもに、健康に生まれてほしい、元気で幸せな人生を送ってほしいと。


そのために、自分にできることがあれば、どんなことでもする。たとえ己の身を、命を、削ったとしても、と。


彼は、愛する人を守るために、身を挺してこれらのことを見せてくれた、病を請け負ってくれたのではないか。


わたしは金輪際、私たちの家族や子どもの健康や幸せを考えずに作られたものに、それらで利益を得ている人間たちに、一円たりとも払わない、そのようなものを子どもの口に入れることは決してしない。


他者とそのような場面になったら、彼のことを伝えていこうと思う。


今の世の中を見ると、いろいろなことがもう手遅れではないかと、諦めそうになるけど、


彼の優しさ、生き様、残してくれたものを、絶対に忘れない。


またいつか彼に会える日まで。