コンセールルミエール

フルートアンサンブル 
コンセールルミエールのブログです。

6・13 笛の喜び C&P 佐々木親綱 喜寿 演奏会&パーティー

2014年06月05日 | フルートアンサンブル
《DAC WORLD 管楽器 FAIR 2014 特別企画》

佐々木 親綱氏のお誕生日に開催されるコンサートが今回で4回目を迎え、親綱氏は喜寿を迎えます。終演後には同じ開場・スペースDo(ドゥ)でパーティーも予定しているそうです。

日時:2014年6月13日(金)
19:00開演(18:30開場) 
20:30パーティー開始(21:30終了予定)
場所:スペースDo(ドゥ) 管楽器専門店ダク地下
料金:一般:3,000円
    日本フルート協会会員・学生:2,500円
   (全席自由・パーティー代含む)

プログラム:
ボアモルティエ/3本のフルートのためのソナタ ロ短調 作品7の2(親綱、寿弘、真)
W.A.モーツァルト/アンダンテ KV.315 ロンド KV.373(ソロ : 親綱 +フルートアンサンブル)
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第6番 変ロ長調       BWV.1051(フルートオーケストラ)
スメタナ:「わが祖国」より モルダウ (フルートオーケストラ)

お問合わせ:
管楽器専門店ダク
「6・13 笛の喜び C&P」係
TEL 03-3361-2211/FAX 03-3361-4300

オープンG#に指使いを変えるのには?

2014年06月04日 | ルミエール
真衣子は小学6年生で普通のクローズG#の頭部管銀でアルタスでレッスンを始めました。高校生1年生で総銀の楽器に変える頃、ワタシがオープンG#にちょうど変えた時期で、「まいちゃんも変える?」なんて言ったらオープンG#に変えることにしちゃったのでした。ちなみワタシは30歳を超えてから変えたので指使いがなれるまで1ヶ月ほどかかりましたが、でも真衣子はたったの1週間でした。デニスのインタビューを見ると2週間って言っているので、真衣子すごいかも。まぁ、オープンG#に変える事は実はそんなに難しいことじゃないってことですね。

Denis Bouriakov speaks about his ALTUS PS flute


どうしてワタシがオープンG#に変えることにしたかというと、もちろん私達の神様ウィリアム・ベネット先生がオープンG#だからなのですが、出会ってから変えるチャンスがなかったわけではなく…。
30歳の頃使っていた楽器はアルタスのPSのEメカ無しでした。Eメカ無し…。Eの音程のことで悩んでいたときに田中会長に「Eメカの後付けって出来ますか?」お伺いしたところ、「めんどくさいな~。オープンG#に改造する方がずっと簡単なんだけどな」って言われたからです。「じゃぁ、そっちで!」みたいなことになったわけですが、こんな話を元プリマ楽器の浜端さんにしたら「僕が入社した頃はまだオープンを使っている人が半分くらいいて、注文を聴くときに間違えないように先輩に言われたよ」と。現在は少数派です少し前までは日本でもそうではなかったのね。

横濱洋楽はじめて物語

2014年06月02日 | 音楽一般
今日は横浜は開港記念日です。もう1週間以上経ってしまったのですが、横浜の音楽史についての講習会に行ってまいりました。講師はフェリス女学院の秋岡陽学長。専門は讃美歌学です。

明治時代横浜が開港され、西洋文化が大量に入ってきました。
日本で西洋音楽が普及していった流れは3つあります。1つ目は軍楽。軍楽で有名なのは山手の妙光寺で薩摩の若い人たちがイギリスの軍楽隊長のフェントン氏から音楽を学び、現在ではここが日本の吹奏楽発祥の地として有名です。2つ目は唱歌。これは滝廉太郎、山田耕筰と言った人たちが美しい日本語と西洋のメロディーを融合させることに挑戦し続けた歴史でもあります。そして3つ目は讃美歌です。キリスト教の宣教師たちが布教のために学校を建て、若い人たちに学びの機会を与えました。今NHK朝ドラでやっている「花子とアン」の花ちゃんが学んだ東洋英和もその一つです。今回の講義では当時どんな讃美歌がどんな言葉で歌われていたのか、そして日本語に直していく際どのような苦労があったのか。そういうことを中心に話が進められていきました。

横浜開港後、日本に多くの宣教師がたどり着きました。当時は太平洋航路はなく、大西洋航路。ものすごい大変な旅だった想像できます。フェリスを作ったキダー女史は日本に最初に来た女性の独身の宣教師です。1869年来日、1870年「キダーさんの学校」のちのフェリス女学院を横浜に作りました。当時は山手ではなく山下町の辺りだったようです。

♪チルドレンズプレイズ

これは当時歌われていた讃美歌集です。宣教師達は母国の教会宛に日本でのキリスト教布教の成果を手紙で書き残しています。これらの手紙にどのような讃美歌を日本人の子供達が歌えるようになったか、というようなことも書かれています。フェリスを創立したキダー先生が書いた手紙にこのチルドレンズプレイズの中にあるいくつかの讃美歌を英語で歌えるようになったと記してあります。
面白いことは讃美歌というのは歌詞がだいたい決まっています。たとえば、「神を賛美します」「イエスは私を愛しています。」とか。決まり文句ような詩があって、それに適当なメロディーを乗せます。
たとえばこの讃美歌、歌詞は「Amerika」なのにメロディーはイギリスなんですけれど。



日本に一番最初に入ってきた讃美歌のひとつ「主われを愛す」(Jesus Loves Me)というのがありますが、これは現在でもよく歌われる讃美歌です。でも、当時は違うメロディーにのせて歌われていました。

これが現在歌われている 「主われを愛す」 Jesus Loves Me


そして当時はなんとモーツァルトのドンジョバンニのアリア「ぶってよマゼット」のメロディーに合わせて英語で「Jesus Loves Me」が歌われていました。

ちなみに山田耕筰の家はクリスチャンホームで、この讃美歌を歌いながら育ったそうですが、山田耕筰自伝によると
ジーザス、ラスミー、ジッサウノー
ホーライ、バイブル、テスミッソー
ジーツー、ワンツー、ヒビーロン
デーアル、ヒコボコ、ヒースロン

実際の歌詞は
Jesus Loves me! This I know.
For the Bible tells me so
Little ones to Him belong
They are weak ,but He is strong.

当時の学生さんたち、テレビの花ちゃんたちも山田耕筰のような言葉で歌っていたかもしれませんよね。それにしても「ヒコボコ」ってなによ~と今は笑えます。

プロテスタントのキリスト教会ではその国言葉で聖書を読み、讃美歌を歌うことが重要とされているので、このあと讃美歌を日本語に訳すという試練が待っています。英語で歌われた約2年後です。
この讃美歌一つとってもわかることは、同じ長さでも日本語の方が英語よりも文字数が必要であるということです。

1行目のJesus Loves me! This I know.は訳すと「イエスは私を愛している。私はこれを知っている」ですけれど、英語だとたった8個の音符で歌えるところを日本語だとその何倍も音符が必要になってきます。そのため日本語の歌詞は「主われを愛す」ということだけ言って、後の半分はカット。そして、日本語特有のリズムや言い回しが西洋のメロディと必ずしも一致するとは限らない。当時の宣教師達は本当に頭を抱えたそうです。1番と2番で讃美歌のメロディーを変える訳にいかないですもの。
これは讃美歌に限ったことではなく、山田耕筰が西洋のメロディーで日本語を歌うことについては多くを悩み、そして現在でも同じように作曲家たちは悩んでいます。

この後講義では、先生の授業で自分たちで讃美歌を作ってみようという試みを学生さんたちさせたという話に進みます。実際に学生が作った讃美歌を見せてもらって、彼女達の神様との対話を聴かせてもらってこの日は終わりました。

横浜は開港したことによって、多くの西洋の化の玄関口になったところです。当時の横浜の人たちが受け入れて発展してきたことに思いを馳せることは、次の時代への小さな一歩を進める力になるのかなぁと思ったりした開港記念日でした。

秋岡陽先生の著書
「自分の歌をさがす」フェリスブックス
今回の講義はこの本の内容を中心に進められました。興味のある方はアマゾンで購入することが出来ます。

TWIN FLUTE LIVE

2014年06月02日 | ルミエール
メンバーの徳子さんが出演するボサノバライブです。師匠である大久保はるかさんと演奏します。ピッコロからバスフルートまで使ったフルートデュオ!お酒を飲みながらも楽しむことが出来ます。大人の時間をお楽しみいただけます。お越しの際はぜひご予約を!

ノチェーロ